産業遺産からみた印刷技術の進化と社会

―活字文化の歴史と印刷の社会的役割をみるー

はじめに

 明治初期の鉄道開設や電信の整備が社会に与えた変革と同様に、活版印刷の普及が、教育文化、社会の近代化、教育政治思想の形成に与えた影響は非常に大きなものであった。大量に供給される印刷物は庶民の教育普及に役立ったし、活字新聞の普及は政治思想や社会運動の原動力となり、文学や美術に対する関心を大いに深める結果となった。 この稿では、「活字」印刷技術がどのように日本にもたらされのか、技術の背景は何かを、博物館の展示、記念物、遺跡などから考えてみたい。
  なお、印刷の歴史については、これまで幾つかの博物館訪問で紹介しているので、これも参照して欲しい。

→ 大日本印刷の博物館「市谷の杜 本と活字館」を訪ねる
https://igsforum.com/dpns-print-museum-j/
→ トッパンの「印刷博物館」を訪ねて
       https://igsforum.com/visit-printing-museum-in-tokyo-j/
→ ミズノ・プリンテック”の「印刷ミュージアム」を訪ねる
       https://igsforum.com/visit-printing-museum-in-tokyo-j/

♣ 日本における印刷の歴史概観

<独自の道をとった日本の印刷技術の歴史>

 日本では、近世初期に一度活字による印刷も試みられたが、やがて木版による製版印刷が主流となり独自の方向で印刷文化が発展してきている。中世まで、日本では仏教の法典や文書のほとんどが写本、木版によって複製されたものであった。一時、徳川時代の初期、中国、朝鮮からの活字技術の受け入れ、銅活字による印刷を試みがあったことはよく知られている。このとき作成した金属活字は現在も残っており、重要文化財として印刷博物館に実物が展示されている(“駿河版銅活字”1607-1616)。また、同じ時代、ポルトガルのイエスズ会宣教師の手によってキリスト教伝道書も活字印刷され頒布されていた(“きりしたん版”印刷物 1590s-)。しかし、前者は、漢字文字数が多く作業も繁雑だったこと、また、後者はキリスト教禁教措置のため中止となったことなどが影響してやがて忘れ去られることになった。

<木版製版、版画美術文化の隆盛>

 このようにして、日本ではが江戸時代には、活字を使わない木版印刷が隆盛を極めることとなる。当時、精緻に作られた浮世絵版画や錦絵などが庶民の人気を集め、専門の出版社も出現して大量に印刷刊行されていたことが記録されている。両国の「江戸東京博物館」には、木版の「彫り」や「摺り」を施した多色刷りの浮世絵の実物が数多く展示されていて、当時の盛況ぶりを窺うことができる。また、江戸時代には、浮世草子、黄表紙、洒落本、滑稽本といったものが多数発刊され庶民の読み物として普及したほか、話題を呼ぶニュースを伝える「かわら版」といったものもメディアとして人気を呼んだ。これらはすべて木版印刷によって作成されたもので、江戸期の高度な印刷技術として定着していったのである。

♣ 活版印刷の導入起源と立役者

<活字印刷への復帰>

しかし、明治期になり急速に近代化する社会変化の中で、従来の木版印刷では増える社会情報需要や教育の普及には追いつかず、新たな活字印刷技術が必要となってきた。そして、この機をもって大量印刷が可能な金属活字による近代的印刷の導入が迫られることとなる。このときの黎明期を支えたのがオランダから活版印刷技術を学んだ本木昌造であった。長崎で通詞を勤めていた大木は、オランダから活版印刷技術を学び、数の多い日本漢字を独自の方法( “蝋型電胎法”という活字母型製造法)で作った鉛活字を発明する。また、これを普及させるため、1869年には「活版伝習所」の開設も行っている。ちなみに、長崎には「活版印刷発祥の地の碑」があり、大木の作った活字母型のレプリカも展示されている。

<平野富二と築地活版製造所>

築地活版製造所の工場

  以降、日本でも、従来の木版による印刷方法から大きく転換、様々な学問書、新聞、教科書、証券類がすべて西洋活版印刷技術をベースに作られるようになった。 こうして明治近代化の中で生まれた旺盛な印刷物需要に応えるべく、日本では、各地に多くの民間活版印刷所が設立された。 まず、大木の弟子であった平野富二が東京に「東京築地活版製造所」を設立し、活字類の鋳造、印刷機械類の製作を開始している。(平野は石川島重工、現IHIの創業者でもあった)また、谷口黙次が大阪で「谷口印刷所」(大阪活版所)を設立するなど、本木昌造を起点にした日本の近代活版印刷は大きく裾野を拡げる。。

なお、築地活版製造所が長崎の活版製造所から引き継いで製作改良を重ねた書体は「築地体」と呼ばれ、日本で現在使われている印刷文字の源流となっている。

キヨッソーネと木村延吉
新築の紙幣寮(明治9年)| ジャパンアーカイブズ

 すこし遅れて1900年(明治33)には、大蔵省印刷局の外国人専門家エドアルド・キヨッソーネの部下だった木村延吉と降矢銀次郎が、銅凸版印刷技術(別名・エルヘート式凸版印刷)を前面に出して印刷大手の「凸版印刷」を設立している。これとは別に、すこしさかのぼるが、江戸幕府によって1855年に設立された「洋学所」(開成所)の存在も忘れられない。ここではオランダから贈られた欧文活字と鉄製の活版印測機を使い、英語、フランス語、ドイツ語の外国書物の翻訳出版も行っている。本木昌造とは全く異なるルートでも、日本の近代印刷技術が進展していったことを物語っている。

♣ 活字文化のもたらした近代化の軌跡

<広く普及していく活版印刷>

小学校教科書
福沢諭吉「学問のすゝめ」

  このようにして日本で活版印刷所が多数生まれ、従来の木版による印刷方法は姿を消して、多くの印刷物は西洋活版印刷技術をベースに作られるようになる。様々な学問書、新聞、教科書、証券類が活版印刷方式で作られ、印刷物の社会的役割がますます大きくなっていく。特に大きかったのは、小学、中学など学校向けの教科書、辞書類が活版印刷により安価且つ大量に提供され、教育の普及に役立ったことである。また、鋳造漢字を用いて印刷した印刷物、例えば、福沢諭吉の「学問のすゝめ」、「特命全権大使米欧回覧実記」といった教養書が広く読まれ、日本人の視野が広げるのに訳だったこともあげられる。

明治初期に発刊された新聞
明治年間に発行された文芸雑誌

  さらに、活字印刷は、新聞、雑誌が社会に対する知識や情報の普及を促した。明治初期の発刊になる「朝野新聞」、「東京日日新聞」などの新聞は、世論形成を促し自由民権運動などにも大きな影響を与えたといわれる。また、雑誌では、文『国民之友』『太陽』『中央公論』『改造』などが次々に創刊され広い層で読まれた。このように活版による印刷方式が、明治以降の社会近代化の動きを一段と促したことは疑いない。「トッパン博物館」や大日本印刷「活字館」などの展示物は、これらの流れをよく表している。

<多様な印刷形態の登場>

龍文切手と金札

  明治初めには木版法の他に、銅凹版法、石版法などの方法が知られていた。また、孔版印刷という手法も試みられている(日本で普及し謄写印刷はその一つ)。このうち、銅凹版技術は長崎通詞を経て日本に伝わっていたものを応用したもので、明治初年、紙幣寮の松田敦朝が太政官紙幣「金札」と郵便切手「龍文切手」を日本ではじめて印刷している。

石灰石に描画印字する「石版法」
石版印刷機

また、石版法(別名“リトグラフ“)は、石灰石の上に脂肪クレヨンで描画し製版する手法であった。木版や銅版のように彫る作業が不要で文字や絵柄を自由に描いて印刷に持ち込める利点があった。18世紀末に発明され日本にもたらされ、紙幣寮において図版を伴う紙幣や証券のほか、海図などの図版印刷にも用いられている。

初期のオフセット印刷機

この石版法は、時代が進むにつれて進化し、高価で摩耗しやすい石灰石から亜鉛版やアルミニウム版へと変化し、やがて現在一般的に用いられているオフセット印刷方式に変わっていった。この材質転換、機械技術の進歩によりシリンダー式の印刷機に転換できたのも大きい。 さらに印刷技術を高めたのは19世紀末の「写真植字」(写植)の発明だった。これにより活字を一つ一つ拾っていく「文選」作業が不要になり印刷効率が飛躍的に高まった。特に活字数の多い日本語にはメリットが多かったと思われる。日本では森澤信夫と石井茂吉が1924年邦文写真植字機の特許を取っている。この写植技術によって。以降、活版印刷と平板印刷が融合、輪転印刷機を使うことによって殆どの大量印刷がオフセット方式で印刷されるようになった。

「文選」から「写植」へ
そして電算写植へ

<日本的軽印刷“謄写版印刷”の登場と普及>

謄写版印刷の用具類

 しかし、日本の印刷文化において忘れてならないのは、日本的軽印刷“謄写版印刷”の登場と普及である。この原型は、エジソンが1890年代開発した「ミメオグラフ」であったが、これを明治年代の1894年に、発明家堀井新治郎が改良して作ったのが「謄写版印刷機」と呼ばれるものである。この印刷方式は、印刷原紙とインクがあればどこでも印刷が可能な便利なもので、教材やチラシなど少部数の印刷に最も適していた。パラフィン、ワセリンなどを塗った蝋紙に鉄筆で文字を書き、透過した部分にインクを乗せて印刷する「ガリ版」(謄写版印刷)とよばれた印刷方式である。これは原理が簡単で安価な上に、漢字数の多い日本語文書が自由に作成するため急速に普及した。

<普及する謄写版印刷と社会性>

和文タイプライター作業
謄写版印刷作業

 この印刷方式は、特に、戦後急速に普及して日本の社会生活にとって最も身近な印刷方式となった。1950〜1980年代には演劇や映画の台本、楽譜、⽂芸同⼈誌など、社会運動や教育、文化運動の一翼を担う「ガリ版⽂化」と呼ぶべき印刷文化が形成されたのは記憶に新しい。その後、この方式はさらに進化して和文タイプライターによる印字、謄写輪転印刷機の導入などで少部数印刷分野では、最も一般的な印刷方式となって定着している。

時代を画したRisoのプリントゴッコ
近年の家庭用印刷機

  しかし、この分野でも技術変化は激しく、1985年ごろからはリソグラフ等の簡易印刷機の出現や電⼦複写機のコストの低下によって、今では⽇本でほとんど使われなくなっている。ただし、アニメなどの台本は近年まで謄写版で刷られていたという話も残っている。現在でも、この謄写印刷は、電気などがない地域のアフリカやアジアの⼩学校などで多く使われているという話も聞かれ、まだ有用性は失われていないだろう。
  このように、活版印刷、オフセット印刷のような商業印刷を主とする印刷文化の発展の一方、簡便で社会性のある印刷方式が現存したことも忘れてはならないだろう。

♣ 最後に

江戸時代に印刷された「解体新書」
日本最古の印刷

 これまで日本の印刷技術の歴史を社会との関連で見てきたが、この印刷文化のもたらした社会的影響の大きさを改めて認識した次第である。印刷物は、古くから人間の情報伝達の基本であったし、知識や思想、そして社会文化の担い手となってきたことは疑いない。古代では仏典、中世では歴史書、詩文集、絵画、近代では啓蒙書や新聞、小説や娯楽書類などが印刷物を媒介として、社会生活を豊かなものにしてきた。教育や科学の発展に印刷が果たした役割も大きい。

政教社の雑誌(明 21 )
絵入自由新聞」(明21)

 これらは印刷技術の進歩と密接に結びついていた。特に、17世紀にヨーロッパで発明された活版印刷の技術が社会革命につながったことは広く知られるところである(ルッターの聖書印刷出版)。日本では、明治期に導入された活版印刷技術の普及が大きな社会変化を促した。明治以降、一般公共教育の発展、科学、文化思想の普及、世論形成が、活版で大量安価に印刷された書籍、新聞、雑誌発行によって大きく促進されたことは、これまで見てきたとおりである。

 この印刷技術は、今や、活版印刷を乗り越え、様々な手法によって多様化し発展してきている。写植技術を使ったオフセット印刷、グラフィック印刷、ホログラム、レーザー印刷、そしてPCを使ったインクジェット印刷など枚挙にいとまがない。一方、印刷技術はさらに進展し、紙印刷の領域を越え半導体設計、情報産業分野、3-D プリンター技術にまで進んできた。これはトッパン印刷や大日本印刷の業態を見ても明らかである。

ガリ版伝承館(近江市)   ー堀井新治郎の生家ー
伝承館の展示

 一方、日本的軽印刷の分野の功績も忘れられない。謄写版印刷は、PCによる個人印刷以前には、庶民の間では最もポピュラーな印刷技法であった。これらのことを考えながら印刷関連施設や博物館を訪ねてみるのは、楽しい思索の旅であろう。また、各地に残る印刷遺跡やモニュメント、文庫や図書館を見て歩くのはこの上ない楽しみになると思われる。これからも多くを訪ねてみようと思う。
 なお、この稿は、今年10月に行った筆者の講演「産業遺産にみる鉄道開業と印刷技術」を再編して作成したものである。

(了)

参考とした資料:

  • トッパン印刷博物館「印刷博物館ガイドブック」
  • 「プリンテック 余、蘇る文字と印刷の歴史」(ミズノプリンティング刊)
  • 「ぷりんとぴあー印刷の歴史」(日本印刷産業連合会)
  • “ぷりんとぴあ”日本の近代印刷術の祖 本木昌造 | 日本印刷産業連合会 (jfpi.or.jp)
  • 「お札と切手の博物館」展示案内パンフレット
  • 日本印刷DNP「市谷の杜 本と活字館」案内パンフレット
  • 大日本印刷DNP「館内案内マップ」
  • 大日本印刷DNP 企画展「100年くらいまえの本づくり解説」2020年6月https://www.dnp.co.jp/corporate/information/history/
  • 「近代活版印刷発祥の地-長崎からはじまった」「伝える」シリーズ【長崎市】
  • 秀英体の歴史|秀英体|DNP 大日本印刷株式会社
  • 徳川家康と活版印刷 – 森カズオ コラム | 活版印刷研究所 (letterpresslabo.com)
  • “明治150年”記念展示 「日本の印刷の歴史」: https://www.jfpi.or.jp/printpia/topics_detail21/id=4030
  • 樺山紘一「旅の博物誌」(千倉書房)
  • 山形謄写印刷資料館(⼭形ガリ版資料館):https://chuo-printing.co.jp/gariban/
  • 印刷いまむかし近代編① 文明開化、印刷の近代化 (ヤマックス株式会社Yamacs)
  • 独立行政法人 国立印刷局 – 沿革 (npb.go.jp) https://www.npb.go.jp/ja/guide/enkaku.html
  • 写真植字(写植)の歴史について:印刷史のなるほど雑学20 | デザイン作成依頼は
  • 印刷機について・印刷知識 (asobo-design.com)https://asobo-design.com/nex/blog-118-51105.html
  • オフセット印刷機の仕組み・特徴について:印刷史のなるほど雑学11 https://asobo-design.com/nex/blog-77-49604.html

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