―拡大する明治の鉄道網と技術の国産化-

第一部では、鉄道開設の政策決定、鉄道工事の進展と遺構、鉄道開設の社会的影響と意義、新橋横浜で行われた鉄道開業式などについて概説してきた。第二部では、開業以来、日本の鉄道は驚異的な早さで拡大していくが、その中で進んだ鉄道技術の内国化、開設150年を迎える日本の鉄道の意義について考えてみる。
♣ 拡大する明治の鉄道網

明治5年、初めての日本の鉄道開業式が行われてから、鉄道は驚異的なスピードで拡大、普及が進んでいった。まず、大阪・神戸間が明治7年に開通、続いて明治10年にはこれが京都まで延伸開通、北海道開発推進と併せて官営幌内鉄道が完成(明治13年)、そして、明治22年には、東海道本線にあたる新橋神戸間が全通している。また、明治16年、上野熊谷間が開業、同17年には上野熊谷、前橋間がつながり、東海道線と並ぶ中山道沿いの鉄道が完遂した。さらに、明治24年までに上野、大宮、仙台、青森間が全通、鉄道は東京を中心に本州主要部をカバーするまでに拡大していく。


明治末年近くになると、これまでの発展を基礎に、近畿から山陽、九州北部、北陸、新潟の日本海側、九州北部、そして北海道主要部と、ほぼ全国に鉄道がつながり、全国的な鉄道網が構築される。これら鉄道網の拡大は、主要輸出品の生糸や絹織物などの産業の振興、石炭開発、貨物物流、人流の促進など日本の産業社会の形成に大きく貢献していった。特に、1885(明治18)年に開通した前橋・赤羽・品川のルートは、官営鉄道(品川・横浜)と合わせて当時の主要輸出商品であった生糸や絹織物の産地と輸出港を結ぶ直行路線となり鉄道による産業発展への貢献の第一号となっている。
参照( https://igsforum.com/dawn-of-japans-railway-dev-in-meiji-j-pt1/
この様子は、以下の明治期における鉄道網の拡大を示した地図に見ることができる。


しかし、国主導で精力的に取り組んだ官営鉄道の整備も決して容易に進められたわけではなかった。明治10年代の財政難もあり、国主導による鉄道建設は、当初計画にあった東京横浜、京都大阪神戸間以外、新規建設としては、北海道の幌内鉄道(後、手宮線・函館本線の一部・幌内線)や釜石鉄道、それと東海道線につながる大津駅 – 神戸駅間の進展に限られていた。その代わりに登場したのが私有鉄道の参入とこれによる鉄道網の拡大である。
♣ 私有鉄道の登場とその進展

当初の官営鉄道開業によって事業の採算性と社会的効果が明らかになるにつれて各地で鉄道誘致と鉄道投資への動きが高まっていく。こういった中、政府の認可と保護を受けた半官半民の会社として、1881年(明治14年)に「日本鉄道」が設立が認可される。また、関西鉄道、山陽鉄道、九州鉄道、北海道炭礦鉄道が産声を上げ、全国での鉄道開設の動きが加速したのである。なお、全国に広まる鉄道網の記録は国立文書館の「公文書」にも多く残されている。
・ 京都ヨリ⼤坂迄鉄道建築ノ儀伺 明治04年09⽉
・ 京阪間鉄道建築ニ付御布告伺 明治05年02⽉
・ 東京ヨリ陸奥⻘森マテ鉄道建築御達 明治04年10⽉
・本府ヨリ越前敦賀迄鉄道建築ニ付測量等ノ儀伺 明治04年04
・ 京阪間鉄道建築伺 明治05年02⽉
・ ⻄京⼤坂ノ間鉄道築造条約ノ儀伺 明治06年05⽉

<日本鉄道による本州縦断路線>

まず、明治14年(1881) 12月、政府から認可を受けた日本鉄道は、東京から養蚕地の群馬県へ向かう鉄道路線から建設をはじめ、1883年(明治16年)、上野駅 – 熊谷駅間を開業、明治17年8月に高崎、前橋駅まで延長、さらに明治18年、品川・新宿・赤羽間を開業して官営鉄道と接続し、当時の主要輸出商品であった生糸や絹織物の産地と輸出港を結ぶ路線となった。また、明治24年9月には、現在の東北本線にあたる上野駅 – 大宮駅 – 仙台駅 – 青森駅間を全通させるなど短期間で急速に路線を延ばししている。
(生糸や絹織物の須要輸出路線となった東京、横浜、高崎間の鉄道開設。明治14(1881)年12月23日工部卿佐々木高行から太政大臣三条実美に提出された東京高崎前橋間の鉄道線路図)

<関西、中国地方の路線開発>


関西鉄道では名古屋から旧東海道に沿って草津に至る路線、そして網島、木津、名古屋に至る路線を明治22年に完成させている。九州では、九州鉄道が門司から小倉、長崎を結び、熊本、佐賀をつなぐ路線を1891(明治25)年までに完成、人の移動だけでなく筑豊炭田の石炭輸送に大きく貢献している。山陽鉄道は、神戸から広島を経由し、馬関(現在の下関)に至る路線(現在の山陽本線)を敷設。1888(明治22)年設立、1894(明治18)年に広島まで完成させた。この路線は、東海道線と連結し、首都と中国地方を直接つなぐ人や物資の輸送の大動脈ともなっている。

<北海道の路線>
北海道では、北海道炭礦鉄道が、明治23年、官営幌内鉄道の路線を譲り受ける形で発足し、函館本線・室蘭本線・石勝線などの路線を敷設、沿線の炭鉱から産出される石炭を積出港に運搬する役割を果たし北海道開発に貢献している。
<首都圏の鉄道路線>


他方、東京首都圏内では、1889(明治22)年に開業した私営「甲武鉄道」(後の中央線)の開設も忘れられない。この路線は御茶ノ水を起点として、飯田町や新宿 を経由して国分寺や立川などを貫いて八王子に至る鉄道で東京市街線の嚆矢ともなっている。
このようにして、明治10年代から20年代にかけては、財政難からやや動きの止まった官営鉄道に代わって、政府からの財政支援を受けた私営鉄道が躍進し、全国の鉄道網の拡大に大きく貢献したのである。(これは前図の路線整備の図(赤が私営、青か官営)にも明らかに示されている)この動向は、1906年(明治39年)「鉄道国有法」により、主要私鉄会社が国有化されるまで続くことになる。
♣ 難航した鉄道工事と日本人技師団の貢献


このように順調に進んだかに見える明治の建設工事は、私営鉄道を含めて意外に困難なものだった。ちなみに関西圏の鉄道工事についてみると、1887(明治9)年に大阪・京都で工事が完成、明治11年には京都大津の建設工事が開始されたが、工事は難航を極め10年近くたった1889明治22)年になってようやく完成にこぎ着けた。阪神間の鉄道には大きな河川があり、天井川のため川の下にトンネルを掘る難工事(石屋川トンネル)であった。また、大河川をまたぐ橋梁も必要であったが、多くは外国人の指導によるトラス式鉄橋やトンネル建設に頼らねばならなかった。この中にあって、京都・大津間の逢坂山トンネルは、日本人の技術者が中心となって進められた初めての工事であったという。

また、本州中央の中山道ルートは、碓氷峠を挟み急峻な山岳地帯の勾配と多数の屈曲が避けられない路線であった。このため、数多くのトンネルのほか、線路に歯車のアブト式を適用するという工法となっている。これは鉄道建築師長のボイルが指導に当たって建設されたものである。これらの多くの難工事の記録は鉄道遺構として各地に残っていて、当時の苦労が偲ばせる。
♣ 鉄道技術の吸収と国産化
これまでみてきたように、当初の鉄道建設は機械設備、工事設計、運行まで、全て西欧諸国技術の直輸入に頼らざるを得ない状況で発足したため、日本の鉄道技術者は現場での経験を蓄積する中で技術吸収して行くしかなかった。一方、政府は早くから国に依存しない鉄道建設を目指し、鉄道技術者を育てるための鉄道建設の教育・訓練機関を設置に努力している。
<鉄道寮新橋工場での実務訓練>


この制度的な第一歩は、1972年(明治5年)に設置された「鉄道寮新橋工場」であった。ここでは英国技術者の指導の下で技術訓練が行われ、機関車などの日本人による修理、整備が実施された。ここで訓練された技術者が、後に鉄道運営のため大きな役割を果たしたといわれる。この歴史的訓練施設は、現在名古屋の「明治村」に復元移転され、当時の訓練の状況を示している。
<工技生養成所による技術研修>


また、モレルが提唱し、井上勝が設立した「工技生養成所」(明治10年)は、その後の鉄道建設工事を担うとりわけ重要な鉄道技術者養成機関となった。ここでは英国人建築師長T.R.S.シャービントンが指導教官として教育訓練に当たり、多くの優秀な鉄道技術者を育てている。また、オランダに留学した鉄道省の飯田俊徳も教官として参画して指導に当たった。この工技生養成所の卒業生の中には、大津線「逢坂山トンネル」の工事責任者となった国沢能長などの卒業生が大勢含まれている。 この逢坂山トンネルは、日本人の技術者だけで完成させた日本で初めての山岳隧道で、鉄道記念物に指定されている。
<工部大学校の設立>


一方、鉄道敷設を管轄する工部省が、明治10年、鉄道技術者を含む多様な工学技術者を養成するため「工部大学校」を設立した。この“学校”は、鉄道技師長モレルが伊藤博文に日本人技術者を養成する教育施設を併設することを提案したことがベースとなったといわれる。その後、工部省に’工学寮’が設置され、当初、工作局長の大鳥圭介が校長に就任、英国グラスゴー大学のヘンリー・ダイヤーを中心とする教師団を招いて技術系の「大学校」として発足する。この“学校”は、土木、機械、建築、電信、化学など6学科の総合工学教育を担う高等教育機関であった。1873年9月に学生募集が行われ、11月に開校している。やがて東京大学工学部と発展し、日本の工学教育の中心になっていく。この大学校卒業生の中に鉄道技術発展に貢献した人材も多く含まれていたことは言うまでもない。
♣ 鉄道技術自立化と国産化の歩み

鉄道網の広がり、鉄道建設の経験の蓄積、教育訓練の充実の中から、鉄道技術の自立化の気運も高まってくる。 また、建設時代に培った技術体系は、その後の機械産業、建設業、電気事業などの発展に大きな影響を与えた。例えば、新橋横浜間や大津琵琶湖線の鉄道工事に携わった鹿島建設、藤田建設などは鉄道工事を通して大手建設会社に成長、汽車製造(川崎重工業)、日本車輌、川崎造船などは車両製造で躍進、東芝、日立なども鉄道を手がけることで成長の種を見いだしたメーカーである。
<難しかった機関車の国産化>

しかし、機関車の設計製造は長く外国の技術によらねばならず、明治の末年まで全て輸入蒸気機関車によって運行せざるを得なかった。これは設計技術の困難さに加えて、1900年代まで国内のしっかりした鉄鋼生産が困難だったこと、工作機械の自製化が遅れたことなどが影響している。


こういった中で、 1893 年(明治26年)、官鉄神戸工場が、英国人指導のもと輸入部品を使って蒸気機関車SL860型の製作を行った記録が残っている。また、1896年(明治29年)には井上勝が「汽車製造」会社を設立、5年後の1902年、既存の機関車モデルを使い「小型タンク機関車A8型」を完成させた。

しかし、この時代は、まだシリンダーなど基幹部品は英国から輸入されたものだったという。そして、1912年になると国内の工作機かメーカーが成長する中、鉄道院が統一規格を定めて国産の機関車を使用するよう推奨し、1914年からほぼ完全な機関車「8620型」の国産化が始まっている。この頃を境に川崎造船、日立、日本車輌、三菱造船などが民間のSLメーカーとして台頭し、徐々に国産蒸気機関車が輸入を凌駕するまでになる。1913年には国産車両が164両、輸入車両が2213両だったのに対し、1925年には2076両対1754両と逆転、1935年には輸入車が802に対し国産車は3046両とほぼ国産化が成し遂げられたことになる。この間、蒸気機関車SLも技術進化し、より高度なものに変化していることは言うまでもない。


このように長い期間がかかったが、1930年代後半になって、明治以来の宿願であった鉄道技術がようやく自立化を果たすことができた。しかし、蒸気機関車SLがほぼ内国生産化が完了するころ、世界でも日本でも、ジーゼル機関車、電気機関車、電車駆動列車が導入され、新しい鉄道技術への転換を促す時代に移っていったことも否めないだろう。こうして第二次世界大戦以降は、高度経済成長、大衆消費社会、大量輸送時代を迎え、技術革新も進んで高速特急列車の登場、新幹線といった先端鉄道技術が日本自らの技術力で開発できるようになったことは驚異的といえるかもしれない。そして、今日、鉄道は、最も基本的な社会インフラとして、産業の発展、社会生活の近代化に大きな役割を果たすようになっている。
♣ 最後に


振り返ってみると、日本人がはじめて蒸気機関車を見てから約170年、日本に鉄道が開設されてから150年、鉄道は、今や国民の最も基本的な公共交通機関として定着、新幹線に見られるように日本の鉄道技術も世界をリードするまでに躍進した。 他方、時間が経つにつれて交通手段は多様化、鉄道以外の様々な移動形態も提供されるようになった。特に戦後は、自動車の普及、バス路線の拡大、航空機の普及によって人々の移動は鉄道以外にもシフトしつつある。鉄道貨物からトラック輸送の動きも強まった。


このような交通手段の多様化の中で、鉄道事業を担ってきた国鉄(日本国有鉄道)も体質転換を迫られ、1987年、ついに分割・民営化されJRとなっている。また、地方の私鉄も廃線となるものもぼつぼつ出てきている。しかし、鉄道は依然として基本的な公共交通基盤であることに変わりない。また、新幹線に見るように先端の交通手段として現代社会になくてはならないものになっている。大都市の通勤列車や地下鉄網も重要な柱である。 こういった状況下で明治の鉄道開業から150年の今日、改めて鉄道のあり方を振り返ってみるのは意義のあることであろう。各地で鉄道開業150年の行事、展示会などが開かれている所以である。また、SL人気は未だ健在で、今日、SLを求めて写真家が路線に群がる様子がよく報じられ、鉄道博物館は人気の公共施設一つとなっている。
今回、日本の鉄道導入の歴史をたどり、鉄道に関わった人々の事績、鉄道のもたらした社会的影響、鉄道技術の進化、今に残る鉄道遺跡の存在意義を改めて認識した次第であった。
++++++++
♣ 明治における鉄道建設推進の貢献者列伝(付・参考と紹介)

ここでは、日本初の鉄道建設に尽力した人物について、主立った働きをしたと考えられる10名をレビューしてみた。

・大隈重信
出身は佐賀藩士、幕末には尊王派として活動する一方、外国交渉で手段を発揮。明治初期に参与、大蔵大輔として活躍した。鉄道建設については、明治2年、伊藤博文と共に英国公使パークスと協議して日本初の鉄道開設の道を開いた。明治10年代には、憲政改革に関与して立憲改進党を結成、後に、外務大臣、内閣総理大臣として政界でも活躍。早稲田大学を設立したことでもしられる。

・伊藤博文
長州藩出身の政治家で、幕末、吉田松陰の「松下村塾」に学んだ後、藩の命により英国に留学。明治維新に活躍した「長州ファイブ」の一人に数えられる。鉄道建設では、大隈と共に英国公使パークスとの交渉に加わり鉄道開設に道を開いた。明治期全般にわたって常に政権の中枢にあり、明治憲法の草案作成にも当たっている。日本初代の総理大臣でもある。

・井上勝
長州藩士出身。江戸末期に藩校明倫館、蕃書調所で航海術を学んだ後、藩命で伊藤、山尾などと共に英国に留学、帰国後は鉄道技術者として活躍した。特に、明治期の鉄道建設推進に当たっては、行政・実務の中心的な役割を果たし「鉄道の父」とも呼ばれる。日本初の鉄道、新橋横浜間の工事に当たっては、英国から派遣された鉄道技術者モレルを助けて明治5年無事開通を成功させた。その後、鉄道寮鉄道頭となり、神戸 – 大阪間、大阪 – 京都間の鉄道も開通させ全国的な鉄道網の拡大に寄与している。また、「工技生養成所」を設立して鉄道技術者養成にも大きく貢献した。

・ハリー・スミス・パークス( Harry Smith Parkes)
幕末から明治初期にかけ18年間駐日英国公使を務め、日本の政治動向深く関わり、また外交問題でも大きな役割を果たした。鉄道建設では、日本初の鉄道建設を大隈重信、伊藤博文に進言し実現に結びつけている。また、建設実現のための借款をレイに(レイ借款)、技術者としてモレルの派遣を取り決めるなど、鉄道建設に関わる政策面での貢献は大きい。

・エドモンド・モレル (Edmund Morel)
イギリスの鉄道技術者で、明治初期、御雇外国人として日本初の鉄道建設に貢献した。特に、新橋・横浜間の建設工事では、日本人を指導しつつ短期間で工事を完成させ、開通に導くなど日本の鉄道の礎を築いたことで知られる。不幸なことに開通前に結核で死去してしまうが、その後は井上勝など日本人技術者が引き継いで完成させた。また、当初鉄製の予定だった「枕木」を国産の木製に変更するなど、日本の実情に即した提案を行ったことでも知られる。また、日本の地形にあった「狭軌」軌間を採用を提案したのも彼といわれる。(「狭軌」軌間について、井上勝は、後に、「先見の明がなかった」と述べたが、当時の財政力、地形の点からやむを得なかったとの評価となっている)

・リチャード・ヴィカーズ・ボイル(Richard Vicars Boyle)
英国の土木技術者で、明治初期、建築師⻑(エドモンド・モレルの後任)として⽇本に滞在、日本鉄道建設に貢献した。特に、英国技術者、日本技術者と共に明治期の鉄道建設を進めた功績は大きい。また、ボイルは新橋横浜間以外の路線拡大について、東京・京都を結ぶ幹線として中⼭道幹線建設を提言、東京・高崎間の測量調査も行っている。後に、幹線建設は東海道線に変更されたが、中山道のうち東京・高崎間は明治18年に開通している。

・山尾庸三
長州藩士で、文久3年(1863)、伊藤、井上などと共に長州藩の命を受け英国に留学。グラスゴーのネピア造船所 技術研修を受けた後帰国。、横須賀製鉄所の後モレルの提案を受けて、明治3年、工部省の設立に尽力、工学寮と測量司の長に就任し日本の鉄道開設に行政面で大きく関わる。その後、後に東京大学工学部につながる技術者養成機関の「工学校」創設した。

・小野友五郎
江戸時代末期から明治時代にかけての日本の数学者・海軍軍人・財務官僚として活躍。幕府の海軍伝習所の後、築地の軍艦操練所教授方となり、測量・航海術の専門家として「咸臨丸」の遣米使節に勝海舟と共に参加。鉄道建設では、新橋横浜間の鉄道建設測量を始め、中山道、東海道などの地形測量に大きく貢献している。数学の普及に力を尽くしたほか、東京天文台の創設にも関わっている。

・田中久重
江戸時代後期から明治にかけての技術者、発明家。九州久留米の出身で、佐賀藩主鍋島直正の「精煉方」に着任し、国産では日本初の蒸気機関車及び蒸気船の模型を製造している。また、製鉄では反射炉の設計と大砲製造にも関わっている。この鉄道模型は、後の鉄道蒸気機関車製造の嚆矢となった。田中は、後の芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者ともなっている。
♣ 鉄道開業150年記念行事、記念展示など(付・参考と紹介)
今年は鉄道開業150周年を迎え、各地で多様な記念行事や展示会が開催されている。こここでは東京を中心に行事内容を紹介してみる。
♥ 旧新橋停車場・鉄道歴史展示室 企画展「鉄道開業150年記念新橋停車場、開業!」

日本ではじめて紹介されたペリー持参の蒸気機関車模型はじめ、新橋横浜間の鉄道建設の模様、開業式典、新橋停車場、初期の蒸気機関車、鉄道を見物する人々などを豊富な写真と錦絵で紹介している。
(2022年7月20日~11月6日)https://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/
♥ JR桜木町駅(旧横ギャラリー) 旧横濱鉄道歴史展示

桜木町駅は日本で最初の鉄道駅である「旧横濱駅」であることにちなんで、鉄道創業当時、実際に走行していた110形蒸気機関車をはじめ、客車の再現、パネル展示やジオラマなど鉄道の歴史を感じられる展示が豊富。(常設展示)
https://www.cial.co.jp/sakuragicho/floorguide/detail.php?store_id
♥ 港区立郷土歴史館 鉄道開業150年記念特別展「人物でみる日本の鉄道開業」

日本で初めての鉄道建設に関わった人物像を中心に、佐賀藩の蒸気機関車制作、鉄道建設建議、路線設定と鉄道工事、新橋停車場と開業式などの写真、絵画、明治の鉄道と社会を描く錦絵などを展示紹介。特に、高輪築堤の記録写真、鉄道遺跡などの記述が詳しい。
(2022年10月14日~12月18日)
https://www.minato-rekishi.com/exhibition/railway150.html
♥ 東京ステーションギャラリー 「鉄道開業150周年記念展 鉄道と美術の150年」

1988年から東京駅丸の内駅舎内に設けられた美術館。開館以来、駅舎の構造そのもののレンガ壁の展示室野中に随時展覧会を開催している。1872年の鉄道開業以来、今日に至る鉄道史を、錦絵から近現代美術まで鉄道をモチーフにした作品を展示、美術を介して鉄道史を振り返る試み。
(2022年10月8日(土) – 2023年1月9日)
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/index.asp
♥ 鉄道博物館(大宮)鉄道開業150年記念企画展「鉄道の作った日本の旅150年」

明治5年の鉄道開業以来、旅の形は徒歩から乗り物によるものに変わる。そして、以来150年、観光旅行は勿論、出征や復員、疎開、集団就職といった時代に生じた人の移動は鉄道が主役であった。展示会では、こうした鉄道による長距離移動のすべてを「旅」ととらえ、日本人の「旅」と「鉄道」との関わりを、各時期のさまざまな事象と共に取り上げながら振り返ってみる。
(2022年7月23日〜2023年1月30日)
https://www.railway-museum.jp
♥ 京都鉄道博物館 鉄道開業 150 周年記念企画展 「鉄道いろいろいろは展 ~150 年の歴史を彩った鉄道のあゆみ~」

鉄道が開業して 150 周年、現在まで運行された、新幹線・特急・通勤列車などの鉄道車両をキーワードに、日本の鉄道の歩みを紹介。今回の展示は、車両の色、沿線の様子、様々なサービスのありかたに注目し、関西を彩った国鉄・私鉄の特徴的な車両や特色も紹介している。
(2022年10月8日~2023年2月12日)
https://www.kyotorailwaymuseum.jp/
♥ 旧万世橋駅 旧交通博物館の遺構展示

明治45年に作られた万世橋駅。1936(昭和11)年以来、鉄道博物館(後の交通博物館)として使用された。大宮に博物館が建設された後は、「旧万世橋駅」として、駅の遺構を再生、赤レンガ高架橋の中にホームや階段などを残して展示している。また、現在、同旧駅舎は「マーチエキュート神田万世橋」と銘打つショッピングモール、レストラン街にもなっている。
(常設) https://www.ejrcf.or.jp/mansei/
♥ 国立公文書館「鉄道開業150年 広がる、広げる-公文書で描く鉄道と人々のあゆみー」

国立公文書館では、鉄道開業150年で特別企画展示。鉄道開業、鉄道行政、私設鉄道の設置文書、鉄道国有化に関する論争などに関連する公文書を展示することで鉄道事業進展の歴史を伝えている。鉄道のもたらした社会的影響にも触れていて興味深い。
(2022年10月8日~12月4日)
https://www.archives.go.jp/
++++++++++++
(第二部 了)
参考とした資料:
- 老川慶喜「日本鉄道史―幕末・明治編」(中公新書)
- 中西隆紀「日本の鉄道創世記」(河出書房新社)
- 小島英俊「鉄道技術の日本史」(中公新書)
- 「人物でみる日本の鉄道開業」(港区郷土歴史館 鉄道開業150周年記念)
- 「鉄道開業150年記念 新橋停車場、開業」(旧新橋停車場鉄道歴史展示室)
- 「鉄道開業150年-公文書で描く鉄道と人々のあゆみ-」(国立公文書館)
- 「鉄道博物館 図録」(大宮鉄道博物館刊)
- 「鉄道博物館100年の歩み」(東日本鉄道文化財団)
- 「横浜と鉄道―日本の鉄道発祥地150年の軌跡と未来」(旅と鉄道 編集部)
- 日本の鉄道史 – Wikipedia
- 桜木町・旧横ギャラリー(旧横濱鉄道歴史展示) (machimori.main.jp)
- 鉄道年表・鉄道の歴史 (tanken.com) https://tanken.com/tetudonenpyo.html
- 鉄道寮新橋工場(機械館) | 博物館明治村 (meijimura.com)
- 鉄道開業〜現在までのあゆみ
- https://www.jreast.co.jp/150th/history/
- JR東日本 鉄道開業150年スペシャルサイト (jreast.co.jp)
- 鹿島の軌跡 第10回 明治期の鉄道工事 (kajima.co.jp) https://www.kajima.co.jp/news/digest/oct_2006/kiseki/index-j.htm
- 明治20年ごろまでの地方鉄道の敷設進捗状況(日本工業の黎明付録9) (coocan.jp)
- http://ktymtskz.my.coocan.jp/ueda/x9.htm
- 田邊朔郎編「明治工業史 鉄道編」(碓氷線(gijyutu.com) https://gijyutu.com/ohki/isan/isan-bunya/usuisen/shiryou/meijikougyoushi/tetudou-usui.htm
- 日本鉄道の設立(1881年11月11日): 夜明け前 (cocolog-nifty.com)
- 鉄道寮・工技生養成所の教育訓練カリキュラムと修了生の活躍
- https://www.tetras.uitec.jeed.go.jp/files/kankoubutu/c-024-03.pdf
- 工部大学校 – Wikipedia
- ミュージアムレポート「明治の鉄道人物伝 ~鉄道の夜明けを支えた14人の男たち~」:京都鉄道博物館 (kyotorailwaymuseum.jp)
- https://www.kyotorailwaymuseum.jp/museum-report/meiji_tetsudou_jinbutsuden/
- 汽車製造 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/