医療機器の歴史博物館(1)ー企業ー(博物館紹介)

ー日本の企業は医療・健康にどのように取り組んできたかー

(作業中)

はじめに

あああああああああ

<医療機器メーカーの資料館>

♣ オリンパス技術歴史館「瑞古洞」(オリンパス株式会社)

所在地:東京都八王子市石川町2951 オリンパス株式会社技術開発センター石川内
HP: https://www.olympus.co.jp/jp/info/2013b/if130925zuikodoj.html
HP: https://www.polyplastics.com/en/pavilion/olympus/index.html

オリンパス技術歴史館外観

 → この資料館は、オリンパス社の技術開発の歴史を紹介する産業博物館。特に顕微鏡、カメラ、内視鏡の技術発展を跡づける豊富な展示を行っている。当初は、社内技術者のための展示施設だったそうであるが、2013年に一般公開された施設である。資料館には、カメラだけでなく、歴史的な顕微鏡、工業用や生物・医療用の高性能顕微鏡の展示があって、オリンパス独自の光学機器の技術進歩をみることができる。オリンパスの内視鏡技術の進化をも知ることができる。 

顕微鏡展示コーナー
顕微鏡「旭号」
顕微鏡「精華号」
生物顕微鏡DF

 ちなみに、オリンパスの顕微鏡は、現在、世界でも大きなシェアを占めるが、その歴史をみると、1920年代から始まる。この最初の成果が顕微鏡「旭号」(1920年)である。資料館の展示では、この「旭号」、昭和天皇も使用した”精華号”(1928)、写真も撮れる「万能顕微鏡スーパーフォト」(1938)、大型双眼生物顕微鏡「瑞穂号LCE」(1935)を見ることができる。戦後では、「昭和号GK」(1946)、本格的な生物観察を行う倍率の高い「生物顕微鏡DF」(1957)、など年々進化する顕微鏡の姿を展示で確かめることができる。

レーザー走査型顕微鏡
高級実体顕微鏡SZH

 また、生物観察や医療現場だけでなく、工業・産業用にも広く使われる「実体顕微鏡」も数多く展示されている。 1961年の「実体顕微鏡SZ」(1961)、新しい先端技術を使った高級実体顕微鏡SZH(1984)、工業用の「レーザー走査型顕微鏡LEXT」シリーズ、GXシリーズ(2001)シリーズもなどがこれに当たるだろう。

<内視鏡の歴史展示>

胃カメラ GT-IJ

 しかし、なんといってもオリンパスの独壇場は内視鏡技術の優位性である。内視鏡の歴史展示コーナーでそのことがよく示されている。オリンパスが最初に内視鏡に取り組んだのは1949年といわれ、東大病院の医師と連携しつつ世界で最初に実用的な内視鏡施策に成功。これが1952年「胃カメラGT-IJ」。それまでの内視鏡は金属製の湾曲が難しいものであったが、この胃カメラは巻き取り可能な管を使った点で画期的なものだった。 その後、1960年代には、新素材グラスファイバーを使うことで内臓の様子がリアルタイムで観察出来るグラスファイバー付胃カメラ」(1964)、1970、1980年代には、進化したカメラとビデオ技術により内視鏡内にビデオカメラを組み込んだ「ビデオスコープ」の誕生、記録・観察だけでなく医療行為にも活用するシステムがオリンパスによって開発されることになる。また、2000年代には、世界で初めて「ハイビジョン内視鏡システム」も生まれる。現在では、直径11ミリのカプセル内視鏡も開発されていているという。オリンパス資料館では、これら内視鏡を使った手術や医療処置が年々進歩していく姿が確認できる。

金属製直行胃カメラ
現在の各種胃カメラ
内視鏡手術

<オリンパス社の創業と発展>

山下長
1920年代の高千穂製作所
“瑞光”レンズ

 資料館の「歴史展示コーナー」では、オリンパスの創業と技術の発展経緯を取り上げ展示が行われている。これによれば、同社は、1919年、技術者であった山下長が、理化学機器の製造販売を手がけたことに始まるという。社名は「高千穂製作所」であった。後に社名はオリンパスと改めるが、これは「高千穂」という名称が、“神々の集う場所“(日本神話)→ “高千穂峰“(九州)であったことから、ギリシャ神話になぞらえて”オリンポス“→”オリンパス”としたものだという。 同社の技術開発は、当初、体温計と顕微鏡を中心に進められた。体温計については、後に「テルモ」社に譲渡されたが、顕微鏡開発では日本の第一人者として活躍することとなる。1934年には.顕微鏡で培った光学技術を応用して写真レンズの製作も開始、1936年には、著 “瑞光”レンズを開発、このレンズを使用した小型カメラ第一号が「セミオリンパスI型」を発売であった。これがオリンパスのカメラ事業参入のベースとなっている。

初代セミオリンパス
オリンパスの内視鏡

 1940年代の戦時期には、軍の要請で光学兵器の製造に関わったが、戦後は民生に転じ、カメラ、顕微鏡の技術開発を進めると共に、1950年代には、当時新事業であった内視鏡ガスト開発に取り組み、60年代には、ファイバースコープを採用した画期的なガストロカメラ(胃カメラ)の製作に成功、この分野でオリンパスの名が世界に認知されるまでになっている。現在では、医療系の内視鏡ビジネスは、同社の中心事業となり売り上げでみても7割を越えるという。

・参照:オリンパスの歩み http://www.olympus.co.jp/jp/corc/history/
・参照:オリンパス技術歴史館―瑞光洞―」 案内パンフレット
・参照:内視鏡の歴史(オリンパスメディカルシステム)http://www.gakuto.co.jp/web/download/rika197_7.pdf
・参照:オリンパス技術歴史館「瑞光洞」を訪ねるhttps://igsforum.com/visit-orinpasu-m-jj/

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♣ テルモの「Terumo Medical Pranex」

東京都渋谷区幡ヶ谷二丁目44番1号(テルモ本社)
HP: https://www.terumo.co.jp/about/who-we-are
HP: https://www.terumo.co.jp/about/pranex/floor

  → テルモは、体温計から初めて、注射器、カテーテル、人工心肺、腹膜透析システム・血糖測定ステムなどを扱う医療機器メーカーである。このテルモの事業を紹介するため開設されたのが「Terumo Medical Pranex」である。現在は、一般には開放されておらず、医療関係者のみが見学を許されている施設となっている。

館内は、草創期展⽰として、1921年の創業から当時の医療課題に挑んだ軌跡を紹介。製品を実際に触れながら体感できる展示スペース、テルモの磨き上げたコア技術を紹介するコーナー「Terumo Engine」があり、実戦用のX 線造影室、オペ室、Medical Design Room、人間工学ラボ(模擬居宅)なども設けられている。施設の理念としては、未来の医療を提案し、体験と対話により現場の課題に向き合うこと、在宅医療研修や業務課題解決を検証する空間とすることを目指しているという。

<テルモ社の概要と沿革>

 テルモは、先に述べたように、体温計、注射器、人工心肺、腹膜透析システム・血糖測定ステムなどの高度な医療機器と医療サービスを行っている医療機器メーカーであるが、その創業は1921年、良質な体温計の国産化を目指して「赤線検温器株式会社」を設立したことから始まる。1936年に「仁丹体温計株式会社」に商号を変更、戦後の1936年、使い切り“注射筒”、1969年に血液バッグを発売して業域を広げ日本の血液事業を支える企業となっている。1970年以降は、ソフトバッグ入り輸液剤開発、人工腎臓(ダイアライザー)を発売して、人工臓器分野に進出している。また、カテーテルシステム(1985)、腹膜透析システム(1988)を開発するなど高度医療への道を歩むことになる。その後も、糖尿病対応の血糖測定システム、首から行うカテーテル治療、高カロリー輸液剤の開発などを行っており、在宅医療分野でも存在感を増すようになっている。

 テルモは、一般には体温計が有名であるが、現在、体温計が占める割合は1%未満で、カテーテル治療、心臓外科手術、薬剤投与、糖尿病管理、腹膜透析、輸血や細胞治療などに関する幅広い製品・サービスを提供する総合メーカーとなっている。グローバルな医療機器市場でも海外メーカーに伍する日本メーカーとして、オリンパスともに双璧をなしているという。

・参照:施設紹介 「Terumo Medical Pranex」https://www.terumo.co.jp/about/pranex/floor

・参照:テルモの沿革 (企業情報)https://www.terumo.co.jp/about/history

・参照:テルモ – Wikipedia

TERUMO 100th HISTORY | テルモ100周年記念サイト https://www.terumo.co.jp/about/history/100th/history

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♣ 「オムロン・コミュニケーションプラザ」

コミュニケーションプラザ | オムロン株式会社

所在地:京都市下京区塩小路通堀川東入 オムロン京都センタービル啓真館内 Tel.075-344-6092

HP: https://www.omron.com/jp/ja/about/promo/showroom/plaza/

 → オムロンは、家庭用電子血圧計などで知られる健康医療機器メーカーの一つであるが、自動改札機、ATMのほか、産業用オートメーション機器の製造でも大きなシェアをもっている企業。このオムロンの製品と事業展開、技術開発を紹介するのが「コミュニケーションプラザ」である。

 プラザには、歴史のフロア、技術のフロアに分かれて展示が行われており、「歴史」では、オムロンの創業から現在までの事業の展開、理念、将来のビジョンを紹介、「技術」では、オムロンのコア技術、環境技術、健康寿命への取り組みなどが、SFビジョンシアターと共にそれぞれ紹介されている。

 オムロンは、世界初の無接点近接スイッチを開発するなど産業用オートメーション機器に強みを持つが、一般消費者には家庭用電子血圧計は世界トップシェアを誇るなど健康医療機器で知られる。

このオムロンは、創業者立石一真が立石電機を設立したのがはじまり。その後、センシング&コントロール技術を核とした産業向け制御機器やシステム、電子部品のほか、ヘルスケア製品等を展開する「オムロングループ」に成長している。2022年より長期ビジョン「SF2030」を発表しており、創業時から受け継がれる理念とオムロンの育てたコア技術を活用して「カーボンニュートラルの実現」、「デジタル化社会の実現」、「健康寿命の延伸」の社会的課題解決、社会の豊かさと自分らしさを追求する「自律社会」の実現を目指すとしている。この経過は、コミュニケーションプラザの「SFビジョンシアター:オムロンが目指す未来へのアプローチ」で詳しく映像紹介されている。また、オムロンのコア技術の象徴「フォルフェウス」では、センシング&コントロール+Think技術を結集させたデモ機を展示している。

<オムロンの歴史と発展>

 先に触れたように、オムロンの創業は、1933年、立石一真が大阪市都島区東野田に「立石電機製作所」が開設したのがはじまりで、瞬時に正確に撮影できるレントゲン写真用のタイマ製作に取り組み「誘導型保護継電器」を開発して起業に成功。その後、継電器を改良して一般向け配電盤用の継電器を発売、また、1943年には、日本初の国産マイクロスイッチに挑戦して完成させている。この研究開発成果が、戦後のオートメーション機器パイオニアとしてオムロン発展の礎となったという。終戦後、家庭用家電にも進出するが、1950年代にマイクロスイッチの改良に着手、オートメーション市場の拡大に伴いスイッチの需要が高まる中、1960年、高性能・長寿命の「無接点近接スイッチ」開発に成功した。この時期、オムロンは中央研究所の建設、1959年に商標を「OMRON」に制定している。

 1960年代以降は自動化システム、自動販売機を開発に着手、1964年に「定期乗車券自動改札装置」、続いて1967年には世界初の「無人駅システム」、1971年、「オンライン現金自動支払機」を完成させるなどこの分野の独自技術を発展させている。

 90年代以降は、センシング技術の高度化、2000年以降は環境関連事業への本格参入している。この過程で、工場の製造工程の「インラインでの自動検査」装置、電力監視機器、電力センサ、直流リレーなど既存の省エネルギー関連機器の提供を行うようになっている。

一方、医療機器分野では、1978年には電子血圧計、1983年には電子体温計「けんおんくん」を発売、した。2010年には、ITを活用した健康管理サービス「ウェルネスリンク」事業を開始、2003年にヘルスケアビジネスカンパニーを分社化し、「オムロンヘルスケア株式会社」を設立している。また、同社は福祉事業にも熱心で、1972年、日本初の福祉工場である「オムロン太陽株式会社」を設立したことで知られる、

 なお、オムロン社の創業者立石一真にまつわる逸話、創業、発展の経過については「立石創業記念館」の資料や展示に多くが紹介されているので参考になる。

・参照:https://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/ayumi/innovation.html

・参照:https://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/

・参照:https://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/ayumi/

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♣ 立石一真 創業記念館

京都府右京区鳴滝春木町.

  → この記念館は、オムロンの創業者 立石一真の90年の“人生とひととなり”、今日のオムロン企業理念の根幹をなす“創業者精神、ベンチャースピリット”を体感する施設として2017年に誕生。立石氏の住居棟と庭園、創業者の足跡をたどる展示棟から構成されるテーマパークとなっている。ここでは「なぜ創業したのか、なぜ成功したのか、なぜ社憲が生まれたのか」を中心に、オムロンの発展と立石の貢献、創業の理念、オムロンの技術開発の特性がエピソードを交えて語られている。施設は、デジタルを避け、自邸や庭園、地域の空気を感じながら、五感を刺激する体験演出が特色であるという。

 ちなみに、立石一真は本市新町に伊万里焼盃を製造販売する「盃屋」に生まれ、旧制熊本中学校を経て、1921年、熊本高等工業学校電気科一部(現・熊本大学工学部)卒業。兵庫県庁での勤務を経て、1930年に「彩光社」を京都市にて設立。1933年にオムロンの前身である「立石電機製作所」を設立している。

戦後、オートメーションの必要性からマイクロスイッチなどを自社開発し、当時の同社の資本金の4倍もの資金をかけて中央研究所を設立する。ここで計算能力をもつ体温計、自動販売機、自動改札機などの製品を次々と発明し、オムロングループを一代で大企業に育て上げた。

著書に『永遠なれベンチャー精神』(1985年 ダイヤモンド社)などがある。I

・参照:立石一真 – Wikipedia

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