―渋沢栄一家の旧居跡と史料館で渋沢栄一の足跡をたどるー


今回、晩秋の北区飛鳥山公園に行き、渋沢ゆかりの青淵文庫、晩香廬、そして渋沢史料館本館を訪ねてきた。王子の飛鳥山は江戸時代から桜の名所で知られるが、渋沢栄一は晩年ここに移り住んだ。そして、自宅域を「暖依村荘」と名付けて家族と日常を過ごすと共に、日本の経済、政治の指導者らと懇談を重ねる一方、外国の代表とも交流を深める交際の場として活用してきた。この交流の中心になった建物が青淵文庫と晩香廬である。 飛鳥山の渋沢邸全体は戦時空襲で焼失してしまったのだが、この二つの建物だけは焼け残り、今は、貴重な明治大正の建造物、渋沢の功績を伝える貴重な重要文化財となっている。また、飛鳥山公園の一角には、渋沢史料館本館が開館され、渋沢の足跡をたどる歴史資料が展示されている。これらの施設は、2019年からリニューアル工事を行っていたが、2020年11月に完了し公開をはじめている。飛鳥山に新たな魅力の歴史コーナーが誕生したことになる。
先回は、深谷の渋沢邸跡と渋沢栄一記念館を訪ねて報告してきたが、今回は、飛鳥山の渋沢邸をめぐる逸話、史料館の展示について記しておくことにした。
<渋沢栄一の生活と交流の場となった旧渋沢邸>


渋沢栄一は、自身の創設した王子の「抄紙会社」工場が見渡せる飛鳥山の丘上に、1879(明治12)年に住居を構えて91歳まで家族と生活を共にし、一方で、内外の有識者との社交の場としてきた。往時は8470坪(約28,000㎡)の広い敷地に、日本館と西洋館からなる本宅をはじめ様々な建物が存在していたという。これら居室部分は全部空襲で焼け落ち、今は礎石しか残っていない。そのため往事の邸宅庭園の姿は残った写真などでしか確認できない。しかし、内外の賓客の来訪や地域との交流、また関東大震災などの避難場所として活用されてきたことが多く記録にのこされている。また、この飛鳥山邸での渋沢家の生活と住居については、渋沢秀雄「父 渋沢栄一」に生き生きと描かれており当時のことを偲ぶこととができる。
この中で僅かに焼失を免れたのが「青淵文庫」と「晩香廬」の建物で、この歴史的建造物からも明治、大正に活躍した渋沢の実像が垣間見える。






<渋沢史料館本館の多彩な展示>、


史料館本館は1982年開設、新札肖像画決定やNHK大河ドラマなどによる渋沢ブームを受けて、2019年、新しいコンセプトの下にリニューアルオープンした。テーマは渋沢の生涯を「たどる」、「知る」となっており、その足跡を1年ごとに区切って紹介している。各展示ユニットの上部には渋沢の年齢を大きく刻印したガイドがあり、年代毎にどのような活動がなされてきたのかを示す展示となっている。例えば、血洗島の青年時代、20歳前後の慶喜との出会いと欧州への勇躍、30代の大蔵省での活躍と各種銀行・企業設立の促進、40歳代からの経済社会団体での参画と社会福祉活動、60歳代からの民間外交の促進、70年代、80年歳代になってからもなお活発な幅広い社会・経済活動、といった幅広い足跡が解説パネル、写真、文書、記念品でわかりやすく紹介されている。








また、残念ながら現在は使用停止中であるが、各ユニットには引き出しがついており、その中に様々な資料が収納されている。そのほか映像資料として、各種式典やエポックを記録したVTR、肉声のレコードの映像鑑賞スペースも設けられている。 史料館では、上記の常設展示に加えて随時、企画展示も行っていて、訪問した2023年後半には「新一万円札発行記念企画展・渋沢栄一肖像展」を開催していた。
<歴史を語る青淵文庫>


「青淵文庫」は、渋沢栄一の80歳を祝して、1925年、竜門社(現・渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈した煉瓦及び鉄筋コンクリート造の2階建の建物で、大正期を代表する建築物として、現在、重要文化財に指定されている。1階は接客室,閲覧室,記念品陳列室、2階は書庫となっている。1階のメインルームでは、渋沢家の家紋「丸に違い柏」に因んで柏の葉をデザインしたステンドグラスや装飾タイルが珍しい。また、渋沢の様々な場で述べたという言葉がリニューアルした部屋の壁面に投影展示されているのも新鮮である。文庫として当初収蔵されていた「論語」をはじめ多くの漢籍は、1963年、渋沢財団により東京都立日比谷図書館に寄贈され、現在は東京都立中央図書館に所蔵されているという。青淵文庫の建物自体は、現在外壁修復中であるが内部は公開されている。



<大正の名建築「晩香廬」


晩香廬は、渋沢栄一の喜寿を祝って、渋沢と縁りの深かった清水建設が送呈した洋風茶室で、青淵文庫と並んで国の重要文化財に指定されている。建屋は木造平屋,寄棟造,赤色桟瓦葺の建物。洗練された意匠と精緻な造形で知られ、工芸品ともいうべき建築作品に仕上げられている。1917年に竣工し内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして盛んに使用された。建物内の暖炉、薪入れ、火鉢などの調度品など内装にもこだわり、当時の趣向が数多く取り入れられているという。和洋折衷の茶室でステンドグラスも美しい。暖炉上には、栄一の長女である穂積歌子の清水組と栄一の親交を記した「撰文」も掲げられている。 この晩香廬の設計・意匠を担当したのは芸術家肌の建築家で知られた田辺淳吉、当時の清水組(現清水建設)の主任技師であった。


<参考>

(1)「財団法人渋沢栄一記念財団」(旧龍門会)が史料館内事務局に設けられていて、渋沢に関する「情報資源センター」、「研究センター」があり、渋沢栄一情報の発信、渋沢社史データベース、世界・日本のビジネス・アーカイブズ、実業史錦絵プロジェクト、といった活動を行っている。https://www.shibusawa.or.jp/center/index.html

(2)(読売新聞 2023.09.04記事)(東京・深川福住町、青森県六戸町にあった)「旧渋沢邸」を江東区に移築…
→ 渋沢栄一の福住町の邸宅は、明治38(1905)年、現在の港区三田に、そして平成3(1991)年に青森県六戸町へと移り、今回、清水建設が東京都江東区の新たな研究開発拠点内に移築したと発表。清水建設の2代目当主・清水喜助が手がけたゆかりの建物といわれる。
Ref..: 140年の時を超えて受け継がれる歴史的建造物「旧渋沢邸(清水建設)https://www.shimz.co.jp/topics/construction/item17/
♣ 渋沢史料館を訪ねた後で・・


渋沢栄一ゆかりの史跡、施設としては、兜町の東京証券取引所、日証館、深谷の渋沢家生家、渋沢記念館、富岡の富岡製糸所、そして最後に飛鳥山の渋沢史料館と訪ねてきたが、日本の経済と社会の近代化に巨大な足跡を残した渋沢栄一の生涯と活動の幅の大きさ実感する行程であった。なかでも、後半生を過ごした飛鳥山と王子周辺は渋沢にとって特に記念すべき場所であったと思える。日本で最初の洋紙会社が造られたのも石神井川沿いの滝野川であったし、日本煉瓦製造(株)が造った赤煉瓦で建てられた旧醸造試験所もここにある。そのほか、日本製絨、国立印刷局もこの地にあり、東京北区の工業を最初に切り開いた功労者は渋沢であったといえるだろう。

このため飛鳥山には渋沢史料館を含む、北区郷土資料館、紙の博物館、新紙幣の肖像を印刷する国立印刷工場、お札と切手の博物館も王子駅近くであり、王子周辺は、近年、ちっとした渋沢ブームである。飛鳥山の史料館も訪問者が既に60万人を越えたという。 それにしても、生涯で約500社もの会社設立と経営に携わり、およそ600もの社会公共事業や民間外交に尽力している渋沢の姿には感心せざるを得ない。また、栄一が携わった会社は多岐に亘り、数多くが現在でも盛んに経営活動を続けている。まさに、日本資本主義の父と呼ばれる所以であろう。このことは、東京証券取引所の史料センター、渋沢史料館に余すことなく紹介されている。


しかし、注目すべきは、後半生に、特に多くの社会福祉事業、教育、民間外交に取り組んできた功績であろうかと考えられる。 まず、例を挙げれば上げれば、第一に東京都健康長寿医療センターの前身「養育院」の運営に深く関わっている。養育院は、明治初期に生活困窮者や病人、孤児、老人、障碍者などの弱者を保護するため開設されたものだが、渋沢は責任者の一人として生涯にわたって支援している。また、教育関係では、「東京高等商業高校」(現一橋大学)、「日本女子学校」(現日本女子大学)、「東京女学館」などが代表例と言われる。渋沢が人生哲学としてきた「論語と算盤」が、ここでも生きていたと思われる。

幕末から明治にかけて風雲児として生き、近代を切り開く実業家として社会をリードしてきた渋沢栄一の一生は、各地各界に多大な足跡を残しており、人々を引きつけ続けた人物であることを今回の訪問を通じて強く実感したところだ。

最後に、幸田露伴が渋沢栄一を評して述べた言葉が印象に残ったので記してしておく。
「栄一に至っては、その時代に生まれて、その時代の風の中で育ち、(中略)時代の要求するところを自己の要求とし、・・求むるとも求めらるることも無く自然に時代の意気と希望とを自己の意気と希望として、長い年月を克く勤め克く労したしたのである。・・」
(幸田露伴「渋沢栄一伝」岩波文庫) これは栄一の息子渋沢秀雄の「父 渋沢栄一」の引用するところでもあった。
(了)
★ 参考とした主な資料:
- 渋沢史料館のご案内パンフレット
- 渋沢史料館ガイドブック(渋沢史料館編)
- 渋沢秀雄「父 渋沢栄一」(実業之日本社)
- 渋沢研究会編「はじめての渋沢栄一」(ミネルバ書房)
- 井上潤「渋沢栄一伝」(ミネルバ書房)
- 幸田露伴「渋沢栄一伝」(岩波書店)
- 雑誌「東京人」2021年2月増刊号 特集・王子飛鳥山を愛した渋沢栄一
- 施設概要|渋沢史料館|渋沢栄一記念財団 (shibusawa.or.jp) https://www.shibusawa.or.jp/museum/facility/
- 青淵文庫と晩香廬 kikaku2011_04.pdf (shibusawa.or.jp)
- 歴史的建造物 落成から100年、名建築「晩香廬」清水建設 (shimz.co.jp) https://www.shimz.co.jp/topics/construction/item10/
- 渋沢史料館リニューアルオープンのご案内 pressrelease_renewal202011_shibusawa.pdf
- 渋沢栄一と渋沢敬三https://www.touken-world.jp/tips/92955/
- 渋沢栄一の功績/ホームメイト (touken-world.jp) https://www.touken-world.jp/shibusawaeiichi/