滝野川「旧醸造試験所第一工場」を見学

―日本酒造りの近代技法と明治の歴史的建造物の意義を学ぶー

旧醸造試験所の入口

東京都の文化財ウィークを利用して、明治年間に設立された旧大蔵省醸造試験所の試験工場跡を見学してきた。この醸造試験所は、日本の酒造りの近代化と酒類産業の発展を図るため作られたもので、清酒の醸造法開発と品質改良、技術講習、四季を通じた酒醸造開発を目指していた。通称「赤煉瓦酒造工場」といわれたこの工場部分は、ドイツのビール工場を手本に建てられたもので、今では貴重な歴史建造物(国の重要文化財)となっている。見学では、煉瓦による堅牢で機能的な建物の内部、当時の酒醸造試験の設備と機能、実験や講習の様子などを観察できる。これをみることで、当時の煉瓦建築の技術、酒造実験などの様子を詳しく知ることができる。

赤煉瓦酒造工場全景
赤煉瓦酒造工場の内部

 特に貴重なのは、当時最先端の温湿度調節に適した麹室、発酵実験室などが再現されていること、赤煉瓦の外壁、化粧煉瓦、天井アーチ、耐火床など建築史上貴重な構造体がそのまま保全されていることである。今回、見学を機会に、この醸造試験所の歴史と役割、建築上の特色と意義、酒造の現状と将来について考えてみた。

♣ 見学でみられた旧醸造試験所第一工場の概要 

アーチ煉瓦ヴォールト構造
赤煉瓦の工場外観

  色鮮やかな赤煉瓦で囲まれた旧醸造試験所第一工場は、地上3階、地下1階、約800平方メートルの大きな建屋である。一階部分は、現在、見学者や研修のために使われている広いボイラー室と原料処理室、旧麹室、発酵室が整然と配置されている。二階部分は、酒の仕込みに使うのタンクを置いた醸造室と麹づくりの麹室、地下階には温度調節された貯蔵室がある。また、貯蔵室内には、現在、酒造100年プロジェクトという日本酒の熟成に関する実験コーナーも設けられていて目を惹いた。旧麹室内には、昭和初期まで行われていた「酒造」講習の様子を示す写真パネルも用意されている。建築学的に貴重な長手煉瓦のアーチとボールド天井、耐火床、外壁のドイツ積みと内部のイギリス積み煉瓦の組合せもみえる。また、本邦では珍しい白色施釉煉瓦の旧麹室は、日本酒の性質をよく考えた施工であるとの評価が高い。これらは、ドイツのビール工場をモデルといわれるが、明治の建築家妻木頼黄が工夫をこらして設計したものと伝えられている.

白色施釉煉瓦の旧麹室
赤煉瓦の回廊
地下の”100年”酒造庫

<赤煉瓦酒造工場を設計した妻木頼黄の功績> 

妻木頼黄
特徴的なデザインを誇る赤煉瓦工場

  旧醸造試験所第一工場、通称「赤煉瓦酒造工場」は、その建築学的意義と酒造の歴史的役割から国の重要文化財となっているが、建物の設計と建築を主導したのは妻木頼黄である。見学会では、この妻木の工場建設の功績についても詳しい説明がなされた。
  妻木は、辰野金吾片山東熊と共に明治の三大建築家として黎明期の西洋建築で活躍した建築家で、赤煉瓦使用の官庁建築を多く手がけたという。彼は工部大学校建築科で学んだ後、米国とドイツに留学、特にドイツでは醸造関係の建築を多く学んだという。このこともあり、大蔵省の懸案であった醸造試験所の設計に関わることになる。そして、ドイツのビール工場構造を取り入れつつ日本酒の製造工程をよく理解した酒造工場を完成している。例えば、断熱用の中空壁(暑い壁体に空気層)、温度調節と正常な空気供給の設備、外観は化粧煉瓦の小口積、煉瓦と鉄骨を組み合わせたヴォールド天井、白色煉瓦の導入などみるべきものが多い。また、関東大震災や大空襲で被害を蒙るも、躯体そのものは保持されるなど堅牢さの面でも特筆される。このため100年以上経った現在でも使用可能な施設となっている。こういった貴重な建造物であり歴史的にも価値のあることが評価され、2014年には国の重要文化財に指定されている。妻木頼黄の設計力の卓越さが証明されたわけである。

♣ 旧醸造試験所の成り立ちと歴史

設立当時の大蔵省醸造試験所
矢部規矩治

  江戸から明治にかけて日本の主要産業であった酒造りは、技術的には伝統的な杜氏などの経験と技によって保たれてきたが、醸造過程で腐敗や劣化がみられる欠点があった。一方、酒税を大きな財源とする明治の日本は、品質の改善と安定、清酒生産の増加、醸造技術の普及による税源確保が求められる状況にあったようだ。このため科学的理論に基づく近代的な製造技術の確立が当時強く求められていたのである。こういったことから、清酒製造技術の改良と普及のための科学的研究拠点として「醸造試験所」が発起され、明治37年(1904)、大蔵省の下で「大蔵省醸造試験所」が創立されることとなる。この設立に当たっては、農学博士矢部規矩治の「清酒酵母の分離」研究が大きな役割を果たし、その後、規矩治は初代の醸造試験所の所長として活躍した。このため、屋外には矢部規矩治の功績を顕彰肖像が建てられている。

<建設地の選定と工場設備の特色> 

試験所跡地公園内の記念碑
反射炉の礎石(錘台)

 試験所の建設地となったのは、千川上水と石神井川に囲まれ、水量と良水に恵まれた東京北区の滝野川であった。この地は、江戸末期、大砲鋳造のため反射炉が建設された場所で、明治後は国有地になっていた場所でもあった。このため、旧醸造試験所の構内にはモニュメントとして反射炉の錐台も残されている。 この歴史的建造物となった試験所建物の特徴としては、ドイツのビール工場をモデルとしていること、日本で最初の近代的煉瓦工場 深谷の日本煉瓦製の煉瓦を採用していること、半円型の煉瓦ヴォール天井と耐火床が使われていること、麹室等に白色施釉煉瓦が用いられていることなどがあげられている。また、醸造設備としては、ドイツから輸入した大型石炭ボイラー、最新のアンモニア冷却装置などが用いられている。いずれもが、当時としては最先端の技術を取り入れた醸造設備の装備と歴史的建造物の価値をもつ特色にあふれた試験所であったといえる。

<醸造試験所の研究と講習事業歴史> 

大正年間実施の「醸造講習」のアルバム

 明治37年に設立を果たした醸造試験所では、日本酒の技術開発のため様々な研究・試験・講習が行われた。研究分野では、米麹づくりの改良、有望酵母の育種、好適米種の開発、蒸米手法と機械の開発、もろみの改良など各種の実験研究が行われている。中でも力を入れて実施されたのが酒類醸造講習の実施であった。この講習は、明治38年(1905)に開始されて以来現在まで117回の開催を数えている。この講習実施は、日本の多くの酒造業者の技術水準を引き上げ、多数の新酒、優良酒を育てる基となったといわれている。訪問時には、大正時代に実施された講習アルバムが展示されていて、当時の実地研修の様子がよく描かれている。

広島市の現在の「酒類総合研究所」

 しかし、昭和24年(1949)に創立以来続けられてきた酒精製造関係の研究と講習は所管を変更して、通産省の発酵研究所、農林水産省の醤油醸造に分掌、以降は旧醸造試験所は酒類のみの研究試験機関となった。さらに平成元年(1989)、同試験所は広島に移転して「酒類総合研究所」となっている。この結果、滝野川の試験所跡地は北区の公園に、残置された赤煉瓦酒造工場は国の重要文化財として文化庁の所管、公益法人日本醸造協会管理の下で施設活用されることになった。

♣ 旧醸造試験所赤煉瓦酒造工場にみる日本酒醸造の現場

  今回の見学では、赤煉瓦酒造工場の歴史的建築遺産を確かめるだけでなく、ガイド案内により、当時行われていた酒造りの現場を学ぶことも含まれていた。このツアーと提供資料により、日本の酒造りがどんな過程と作業で成り立っているのかを知ることが出来たのは収穫であった。この結果を概略記しておこう。

<酒米造りから米麹、酒母つくりまで>

 清酒造りは、まず、米の精製からこれを蒸す工程から始まる。精米した米は、「洗米」し、浸漬し蒸すことで「蒸米」となりお酒の原料となる。

洗米と蒸米の工程

原料処理室
洗米のデモ

 

   この加工は、赤煉瓦醸造工場の「原料処理室」で行われる。ここに大きな樽(甑)があり、ここでかつて洗米、そしてボイラーの熱で米を蒸す作業が行われていた。そして隣にある蒸し米放冷室で適温まで冷やす作業。これらは丁寧に手でほぐしながら行われていた。

作業工程の展示
麹作りの作業デモ

 次が、麹づくり。かつては白煉瓦の旧麹室で行われていたが、現在は(新)麹室で行われていたようだ。麹は、蒸米に種麹をふりかけ、31~32度で培養を開始、最終温度42度程度で製造する。これには約2昼夜かかるそうで、この間、麹に含まれる糖化酵素によって米の中のデンプンが糖分に変えられ、酵母によってアルコール発酵がなされて酒のもと「酒母」ができあがる。

<もろみから清酒精製までの発酵過程>

発酵工程の図
発酵タンクの部屋

 次は「もろみ」の発酵工程。まず、酒母は発酵室に移され、発酵タンクに蒸米と米麹、そして水、酒母を入れ発酵が開始される。この発酵仕込みは雑菌混入を避けるため4日位に分けて徐々に行われるようである。発酵完了には3週間位で発酵が落ち着いてくるが、この間、「櫂入」という“かき混ぜ”作業をいれていくことで発酵が安定させねばならない。手のかかる監視作業が連続するわけである。

試験所で使用の濾過器
酒を搾出する酒槽(さかふね)

  酒造の最終過程では、出来上がった「もろみ」(醪)が圧搾機で搾り出され「清酒」が精製される工程がきて、固形物の残りは「酒粕」となる。その後、一般的な製造方法の清酒では、新酒は「火入れ」と呼ばれる加熱処理を行うそうである。この一連の作業は、圧搾機などの装備された別の機械室で行われていた。 この全工程を、訪問時の見学資料から引用すると以下のようになる。

ガイドツアーの配付資料からみた清酒造りの全工程

 これら清酒生成過程には長い間培ってきた日本の長い歴史と奥深い酒つくりの技法に加えて試験所の新たな試みが生きていると感じた。

♥ 赤煉瓦酒造工場訪問の感想として

跡地公園になった旧醸造試験所

 旧醸造試験所第一工場(赤煉瓦工場)は、王子駅から音無川沿いに飛鳥山を左にみて橋を渡った滝野川地区にあった。ここは幕末に大砲鋳造所が置かれていた場所で、旧醸造所が広島に移転した後公園になっている場所の一角である。訪問日は、東京文化財ウィークの行事で特別に一般公開されていた。十数人の見学者達が集まる中で、学芸員の方が赤煉瓦工場の歴史や見どころなどを説明、その後、館内をガイドツアー、歴史的に価値高い建造物の価値や特色などを丁寧に案内してくれた。この過程で明治初期に建てられた貴重な外壁や内部構造、工場での酒造り講習概要や実践内容をみせてもらい、日本酒の醸造作業過程を実感することが出来て非常に興味深い体験をさせてもらったと思う。

○ 参考とした資料

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