「自転車文化センター」で自転車のルーツを探る(Part 2)

ー日本の自転車産業の軌跡と製造メーカーの展開ー

♣ 世界と日本の自転車産業の現況

  現在、世界で自転車関係の主要メーカーは、台湾、中国などのアジア勢、米国、ドイツ、フランス、イタリアなどの欧米勢が主力を占めている。日本メーカーは、老舗の自転車メーカーは振るわず、特定の部品メーカーを除いて劣勢に立たされているのが現状のようだ。

台湾のメーーカー・ジャイアント

 このうち、世界最大のシェアを誇るのが、台湾に本社もつ「ジャイアント」(巨大機械工業)といわれている。年間生産台数650万台以上を生産する大企業である。第二は、同じく台湾メーカーで「メリダ」、自動車の設計から販売まで一貫体制を構築して世界展開を図っている。世界でも稀なマグネシウムフレームの製造を行い、この分野で世界をリードしている。オランダに本社を置く「アクセルグループ」(Accell Group)は知名度が高く、傘下に数多くのメーカーやブランドを保有している。米国のトレック・バイシクル(Trek Bicycle)は、米国を代表する総合自転車メーカーで、ロードバイク、マウンテンバイク等の幅広いブランドを持っている。台湾が全ての自転車分野でトップを占め、欧米はスポーツ自転車に強いという構図になっている。そのほか、ロードバイクでは、ビアンキ(イタリア)、フェルト(ドイツ)、リドレー(ベルギー)などが知られている。

台湾のメリダの自転車
アクセルグループ傘下の自転車ブランド (GHOST BIKE )
米国のトレック・バイシクル

<浮沈を繰り返す日本のメーカー>

 日本では、シマノが高級自転車のギア部品で世界のトップを占めるが、他のメーカーは完成自転車ではマイナーな存在となっている。しかし、傾向として、近年、家電、自動車関連分野メーカーによる自転車事業への参入が顕著で新たな傾向もみえる。電動アシスト自転車を中心とした新たな需要も生み出されているのは注目すべきであろう。

ヤマハ・PAS(1993)
パナソニックサイクルの電動アシスト自転車

 例えば、電動アシスト自転車の登場では、1993年、ヤマハがヤマハ・PAS(電動ハイブリッド自転車)を開発したのが世界初とされる。以降、様々なバリエーションで普及している。ヤマハに続いて、パナソニック、ブリヂストンがこの分野に進出、パナソニックは年間300万台を越える国内生産を行っている。現在では、家庭用自転車として最も人気が高い。

「自転車ひろば」に展示してあるマルキン自転車(1938)

 一方、伝統的な老舗自転車メーカーは振るわず、130年の歴史を持つ「宮田自転車」は、台湾のメーカー「メリダ」の傘下に入って子会社化、明治期に創業した「岡本自転車」は1982年に倒産している。1894年創立の「丸石自転車」は、2006年に中国の「天津富士達電動車」の子会社になった。 また、1916年設立の「大日本自転車」は「日米富士自転車」と変わり、後の1997年に事業をとじている。「山口自転車」(1914年創立)の後を引き継いだ「アサヒサイクル」は、アサヒブランド小規模ではある家庭用自転車の製造をが継続している。また、1932年に誕生し、一時、好調だった「マルキン自転車」は1977年に事業を閉じている。

 これら製造を取りやめた伝統的なメーカーの作品についても、ブランド力には根強い人気があり、未だ市場の一角を占めている。これは博物館の展示の中にも散見されていて確認できる。

<競争力保持する部品メーカー>

シマノ本社工場
Shimano 600, 1(980)

 一方、自転車部品メーカーでは、日本で幾つかの企業が存在感を示している。そのうちで最も名が知られ世界的なシェアを誇っている「シマノ」である。「シマノ」は、1921年に創業のしたアウトドアスポーツメーカーで、自転車部品と釣具の製造を主な事業としている。スポーツ自転車部品、特に変速ギヤで世界最大のパーツメーカーとして発展している。 このシマノは、1950年代、内装3段変速機の生産で高い技術評価を受け、世界中の自転車に採用されトップメーカーとなった。

2022年に開館したシマノ自転車博物館

 そして、1960年代後半に米国や欧州で起こった巨大スポーツサイクルブームが追い風となり会社は急成長した。海外にも事業を広げて、日本の自転車業界では他を圧する自転車メーカーとなっている。売上高の世界シェアでは、台湾のジャイアントを抜いて第一位のメーカーとなっている。なお、2022年には「シマノ自転車博物館」を開設するなど、自転車事業の振興にも努めている。 他方、「新家工業(アラヤ)」は、スポーツ自転車などのフレームを製造する部品メーカー。新家自転車製造として1919年にスタート、一時、マウンテンバイクも製造していたが、1990年代に取りやめ、現在は、車輪を構成するリムの製造では国内最大手となっている。

 このように、日本の自転車メーカーは、特定の部品メーカーを除いてマイナーな地位留まり、同じに二輪のオートバイ市場で、新興のヤマハやホンダ、カワサキといったメーカーが世界を圧する力を破棄しているのと対極的といってよいだろう。今後、電動自転車や新しい形の二輪車需要に、日本の自転車関連メーカー如何に対応していくのか注目されるところである。

♣ 最後に・・・ 

自転車が簡便で便利な乗り物として世の中にもたらされてから200年になるという。これを機に自転車文化センターと科学博物館「自転車ひろば」を訪問してみたが、この乗り物が発明以来、多様な発展を遂げ、富裕層の遊具から、庶民の買い物、通勤、子供の送迎などの日常生活、スポーツ、レースなど広い分野に浸透していく様子が実感できた。この一見単純な構造ながら”構造力学””機械工学”を応用した自走技術の進化には驚くべきものがある。また、その発展の延長線上に、オートバイ、自動三輪、電気自転車などがあり、乗り物革命の進展に自転車技術が生かされていることも了解できた。また、タイヤ、フレーム、ギアなどの基礎部品開発にも自転車技術との共通性が確認できるであろう。

宮田自転車の広告(1891)

 また、振り返ってみれば、未だ近代的な機械工学の基礎がなく金属加工の技術も貧しかった日本で、最初に自転車の製造に関わったのは“鍛冶職”であったというのは興味深い。日本で最初の国産自転車を作ったのは「宮田栄助」で、当初は“鉄砲鍛冶”で、「宮田銃」を開発している。からは、東芝の前身である「田中製作所」に入職、沖電気の操業者沖牙太郎、金属加工の池貝庄太郎と共に働く職工であった。また、シマノは、堺の鉄工所職人だった島野庄三郎が創業して後、自転車金属部品フリーホイール(駆動輪)の生産から自転車業界に参入している。そのほか、明治の職工たちが、数々の工夫をして新奇の乗り物“自転車”の製造に乗り出して機械工場を作った例は多いようだ。この意味でも、国産自転車の製造努力が、日本の機械工業生成の一つの要素となったことは否めない。この意味でも、今度の見学は非常に勉強になった。

 今日、自転車産業、特に汎用自転車製品は、既にコモディティー化しつつあり、残念ながら日本の自転車業界はそれほどの勢いは見られない。しかし、電動アシスト自転車などの技術確信による新たな市場拡大、高度なスポーツ・サイクルの進化と普及が見える中、新しい自転車文化の創成と産業の発展を期待したいところである。 最近、大阪にシマノの「自転車博物館」ができたと聞くので、是非訪問してみたいと思っている。 

(了)

参考にした資料:

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