―お金の社会的価値と偽札防止技術の歴史を展望ー


2024年から“お札”(日本銀行券)のデザインが一新され、1万円札は福沢諭吉から渋沢栄一に、5千円札は樋口一葉から津田梅子に、千円札は野口英世から北里柴三郎にそれぞれ変更されるという。これを機会に、2023年1月、東京・王子にある「お札と切手の博物館」を訪ねてきた。この博物館は特別行政法人国立印刷局の見学施設で紙幣や切手の印刷技術の進化や紙幣の歴史をみることができる。明治以降発行印刷された紙幣の印刷方式や形態、偽造対策の技術の展開を解説する展示を行っており非常に興味深かった。明治初年以降、この製作事業を行ってきたのは国立印刷局である。全ての紙幣と切手がここから生み出されている。

この記事では、この国立印刷局の成り立ちと役割と歴史をたどると共に、博物館の展示に示された印刷技術と紙幣の歴史、偽造防止の対策と印刷技術の進化を、展示品の紹介してみた。
なお、類似の博物館としては日本銀行の「貨幣博物館」があり、「お札と切手の博物館」と共にホームページを以下に紹介しておいた。
○「お札と切手の博物館」ホームページ:http://www.npb.go.jp/ja/museum/
所在地 〒114-0002 東京都北区王子1-6-1
電話:03-5390-5194
○ 日本銀行 貨幣博物館 (boj.or.jp) https://www.imes.boj.or.jp/cm/
♣「お札と切手の博物館」の概要


この博物館は、大蔵省印刷局創立100年を記念して、1971年、東京都新宿区市ヶ谷に初めて創設されたものである。その後、2011年、国立印刷局王子工場に隣接する「王子展示室」に移転、新たに「お札と切手の博物館」として開館している。運営主体は国立印刷局である。

博物館の1階展示室では「偽造防止技術の歴史」を題材にした展示が行われており、紙幣の信頼性を保持し偽札を防止する(印刷)技術がテーマとなっている。そこではお札の原版製作、製版技術、印刷方式のあり方を丁寧に解説紹介しいる。当然のことながら、お札(紙幣)は、発行する主体の権威と信用によってのみ“お金”として価値が保証される。それだけに「偽造紙幣」を絶対に許さないという高度な印刷技術と精密な偽造防止策が必要となる。展示では、この偽造防止技術の内容を実物に沿いつつ細かく説明している。また、展示室には偽造防止技術体験コーナーもあり、紙幣のマイクロ文字や特殊発光インキの効果など最近の技術も知ることが出来る。


2階展示室は、歴代の紙幣や切手約700点の展示コーナーである。社会背景の変化や技術の進歩によるデザインの移り変わりなどがわかる仕組みになっている。また、世界の珍しい紙幣と切手、国立印刷局が製作している日本国旅券、収入印紙や、紙幣の製造に使われた銅版画などの展示もみられ興味深い。案内板の説明では、「信頼の形であるお札や切手について、製造元ならではの視点で展示紹介」し、「普段何気なく使っているお札や切手の社会的、文化的意義について、改めて考えるきっかけ」として考えて欲しいと述べている。紙幣や切手の印刷の仕組みや技術を考えるには最適の博物館である。
♣ 国立印刷局の成り立ちと役割


明治維新により近代化の道を歩み始めた日本は、日本独自の貨幣制度を整えるべく大阪に造幣局を創設するが、それと前後した明治4年、大蔵省紙幣司(紙幣寮)を設置して近代的な「紙幣」の発行を目指した。しかし、当初、紙幣の製造発行に必要な印刷技術が未熟だった日本は、近代的な紙幣の製造をドイツやアメリカに依頼せざるを得なかった。しかし、安全保障上も紙幣は国内で製造すべきであるとして、新しく設けられた紙幣寮において紙幣国産化の取組が急遽開始される。

この紙幣寮の手で作られたのが、明治10年(1877)の「国産第1号紙幣」(国立銀行紙幣(新券))である。これを嚆矢として、日本人による全ての紙幣がこの紙幣寮で製造されるようになる。だが、ここに至る経緯は容易ではなかったようだ。


まず紙幣寮は、精密な印刷技術を導入するためイタリアの彫刻技術者キヨソーネをお雇外国人として招き、銅板彫刻による紙幣のデザイン、精密印刷の制作に当たらせ、同時に精密な紙幣製作に必要な凹版印刷技術の修得を開始させた。この結果が、明治14年、初の肖像画をデザインに加えた紙幣券の製作「神功皇后札」である。

これ以降、人物肖像に細密模様を施した紙幣の製作が主流となり現在に経っている。また、彼の指導下で多くの技術陣育ったことにより、日本人スタッフが、その後の紙幣、証券、切手の制作の中心になっていく。機構的にみると、紙幣の印刷事業は、明治年間には紙幣寮から紙幣局、そして大蔵省印刷局に引き継がれ、現在の「国立印刷局」となる。現在、日本で発行される全ての紙幣、証券類、切手の印刷は、この印刷局の工場によって製作されている。ともあれ、いずれも制作品も贋造が許されない貴重なものであり、高度な偽造防止技術と厳格な製造体制を維持しつつ今日に至っている。このことは、博物館を見学することでよくわかる。
♣ 博物館展示から見る日本の紙幣発行の歴史点描


では、日本での紙幣“お札”の発行はどのような形で始まったのだろうか。ここではお札発行の始まりと歴史をたどってみることとする。
日本での制度的な“お札”の発行は、1600年代、伊勢地方の商人の間で使われ始めた「山田羽書」だといわれている。伊勢外宮門前町山田地区の「御師」や商人たちの手により発行され、個人手形的なものが次第に紙幣の形態を整え、銀貨との兌換性を持つ独自の紙幣に発展していった。

その後、江戸中期には福井藩などにおいて領域内で通用する「藩札」が発行された。各地域で商業取引が盛んになるにつれ、金貨銀貨を用いずに経済活動を促進できる紙幣は非常に魅力的で、各藩は次々と藩札を発行し通貨の不足と財政難に対処しようとしたのである。このため幕末までに200余藩で藩札が発行されたという。しかし一方で、財源不足や乱発により信用力の落ちた藩札発行が、しばしば経済混乱や社会不安を起こすに足る事例も多く発生したことも確かである。また、精密さがかける藩札の製作は多くの偽造を誘発して混乱を招いている。

時代が移り明治になると、乱発された藩札を整理するため、明治政府は明治初年に「藩札回収令」を発布して藩札回収を行う一方、日本全国で通用する政府紙幣「太政官札」を発行した。これにより通貨の統一と安定を図ろうとしたのである。しかし、この「太政官札」は、政府の信用が強固では無かった上、印刷技術が未熟だったため偽造の危険が大きく流通は困難をきわめた。

このため、政府は、明治4年、新貨条例を制定し、通貨単位を「両」から「圓(円)」に切り替えると同時に本位貨幣金貨との兌換制度を採用している。そして、太政官札は、翌年に発行された新紙幣の「明治通宝」と交換する形で回収されていく結果となる。この明治通宝は、明治時代初期に発行された政府紙幣で、ドイツに委嘱して作成された西洋式印刷術による初めての紙幣として知られる。ただ、印刷製法が未熟だったため偽造券が多発するという問題点も抱えていた。

次に、登場した紙幣は、国立銀行条例の制定に伴い、明治6年に発行された「国立銀行紙幣」(旧券)で、製造をアメリカに依頼して作成されている。紙幣としては、二十円券から一円券までの5種類の券種が製造発行され、図柄の題材となったのは歴史画や風景であった。

これに対し、紙幣は国内生産を旨とすべきとの観点から大蔵省に紙幣寮(紙幣局)を創設して紙幣発行の任に当たらせた。この紙幣寮において前述キヨソーネの指導の下に作成されたのが明治10年の「国産第1号紙幣」(国立銀行紙幣(新券)1円)であった。
その後、政府は中央銀行として日本銀行を設立し、明治18年には初めての「日本銀行券」、通称、「大黒札」が紙幣局の手によって発行され、本格的な紙幣発行時代が始まる。それ以降は、”お札”は日本の印刷技術向上に支えられて順次、日本銀行券が安定的に発行されるようになる。図案的には、明治21年以降、なじみやすく偽造しにくい歴史上の人物の肖像画が用いられている。「お札と切手の博物館」には、明治以降の紙幣が時代を追って展示されているので、これらの発行紙幣の推移を確かめることができる。


♣ お札印刷技術の進化との歴史―偽造防止技術の展開

以下は、博物館の資料を参考にして、偽造防止印刷技術の進化を印刷の原盤製作、製版技術、印刷方式、製紙技術に分けて紹介してみよう。
<原盤製作に関わる技術の展開>


江戸時代の山田羽書や藩札に類する兌換券には、偽造防止のため各種の絵柄や模様を木版で作成するのが中心であった。欧米でも、活版や腐食凹版による印刷により紙幣は作成されていた。しかし、いずれも、細密で精緻な原盤製作にはほど遠く、偽造を防ぐには十分ではなかった。このため、常に多くの偽札が横行する危険をはらんでいた。これに対し、19世紀に欧米で、一般の印刷物には使われない特殊な原盤彫刻法「直刻凹版」が、紙幣の原盤彫刻に採用されるようになる。これは熟練した職人が彫刻刀で細密な曲線を金属板に直接手彫りする手法である。日本の紙幣寮でキヨソーネが指導して開発したのがこの技法である。

また、19世紀の彩紋彫刻機の発明により「機械彫刻」方式による複雑な幾何学模様「彩紋」を彫刻が可能になったことも大きい。これにより彫刻機による歯車の組合せで無限のバリエーションの模様を描画できるようになった。しかも、同じ模様を再現することはきわめて困難になり高い防止効果を期待できるようになった。これは現在でも引き継がれている原盤作成法である。
<製版の技術の進化>


紙幣の量産には、原盤から図柄を正確に複製し、その下で均質に大量印刷するする必要がある。このための技術が紙幣の製版作業である。近代以前の手彫りした木版などでは、原盤を直接印刷機にかけると貴重な原盤が摩耗してしまう。このため、大量に印刷するためには、同じ図柄を印刷用の版面を複製する必要がある。しかし、近代以前には、手彫り原盤の精巧な複製を作ることは困難で、印刷された図柄が微妙に異なってしまい、真贋判明が難しくなっていた。しかし、 19世紀に、加圧式の彫刻画像を写し取る「転写法」と、メッキと同じ光学原理で彫刻曲線を写し取る「電胎法」が発明され、大量で正確な原盤複製が可能となった。これにより、偽造防止効率の高い紙幣を均質に大量印刷することが可能になった。
<偽造を防ぐ印刷方式>

印刷機器が進化するにしたがって、複数の印刷方式を組み合わせて偽造防止の紙幣、切手などが使われるようになった。第一は「地紋印刷」で、版面の彫刻画線に詰めたインクを紙に写し取る方式。 これにより細密画像の印刷が可能になり、盛り上がったインクにより独特のざらつきのある感触が生まれ、偽造防止に役立つ。この地紋印刷に凹版印刷による版式を重ね刷りすることにより、印刷画像の複雑化が高まりさらに偽造防止効果が上がることになる。明治10年代以降、日本でも地紋印刷と凹版印刷を重ね刷りして紙幣が製作するのが一般的になっている。
<製紙技術の発展>

製紙技術の進歩も偽造防止と紙幣の耐久性を高めるのに重要な役割を果たす。江戸時代の日本の藩札は紙材料としては和紙が使われていた。しかし和紙は丈夫ではあるが近代的な印刷方式には適さなかったため、印刷局では三椏の白皮を西洋技術で漉いた独自の紙を製作して紙幣の印刷に当てた。この和紙と洋紙の融合により強靱で独特の風合いを持つ支配が生まれている。欧米では、製紙過程でエンボス(型押し)を入れる技術があり、日本でも江戸時代にはお札の部位に着色模様を入れた技術も取り入れられていた。現在、多くの国では「セキュリティ・スレッド」という製紙過程で帯状の素材をすき込む技術が使われているとされる。
さらに「すかし」は、古くから広く使われている偽造防止技術として知られる。イタリアでは、歴史上、製紙工程で自社のマークをすき込んで差別化を図った例が報告されている。また、日本でも江戸時代この「すかし」を取り入れた藩札も多く発行された。また、紙幣寮では、明治15年、初めて「白すかし」を入れたお札が製作されている。現在の紙幣用紙には、印刷局独自の伝統・技法を生かした精巧な「すかし」が入っており、日本のお札の大きな特徴になっているという。
♣ 現在の偽造防止の技術と工夫
では、現在使われている「お札」の通用性の効率、偽造防止の工夫はどのようになされているのかを博物館の図解解説によって確かめてみる。(それぞれ博物館のHP画像とユーチューブで紹介されているので直に参照できる。(https://www.npb.go.jp/ja/intro/gizou/genzai.html)
第一に触感(触ってわかる工夫)―深凹版印刷―


お札の肖像部分などの図柄には、凹版印刷という印刷方式が使われている。日本銀行券という文字には、特にインキを高く盛り上げる「深凹版印刷」が使われていて、触るとざらざらした感じがある。また、券種別に紙幣の表面には「識別マーク」が付されている、かぎ型(E一万円札)、8画型(5千円札)、横棒(千円札)などのマーク。

次に、すき入れ技術(白黒すかし)。 紙の厚さを変えることによって表現する偽造防止技術である。現在発行のお札には、表面の肖像と同じ、「福沢諭吉」、「樋口一葉」、「野口英世」などが浮き出す“すかし”が施されている。また、これらには棒状の「すき入れパタン」も入れ込んであり、一万円は三本、5千円は2本、千円は1本がみえる。

第三に「傾けて」わかる偽造防止技術。いわゆる「ホノグラム」で、角度を変えて見ることにより、額面数字、日本銀行の「日」の文字をデザイン化したもの及び桜の画像が見える。また、傾けると、表面には額面数字の「10000」、「5000」、「1000」、「2000」が、裏面には「NIPPON」の文字が浮かび上がって見えるようになっている。さらに、角度によって表左下にパール印刷による「千円」の文字と、潜像模様による「1000」の数字がそれぞれ浮かび上がる仕組みも導入されている。そのほか、「パールインク」、「光学的変化インク」などが印刷過程で使われており、傾けると、お札の両端がピンク色に、文字部分か紫色に変化したりする技術施されている。




そのほかに、マイクロ文字や特殊発行インクなどによるルーペやブラックライト(紫外線)などの道具を使って判別化する技法も用いられている。これらは、特に、機械処理における真偽判別の手段として、また、現金取扱機器の多い日本の流通環境を考慮した偽造防止の技術として活用されている。
これらの、紙幣偽造防止の技術は、博物館の「体験コーナー」で実際に確認することができるが、普段使っているお札を詳しく見ることでも観察できるので、「一度、試してみてはどうかとおすすめしたい」と博物館案内では述べている。
♣ 博物館訪問のあとで


2024年に新しいデザインの「お札」が発行されると聞き、この「お札と切手の博物館を見学してきたのだが、改めて、経済利便性を維持しつつ財貨価値を保証品蹴ればならない信頼性のある “お札”発行がいかに重要性をもつか認識できた。
他方、現在、通貨をめぐる情勢は大きな変化を来しているように思える。電子技術の発展によって紙幣の換金がATMといった機械化処理によってなされ、利便性と安全性を如何に確保するかといった課題、印刷技術の進歩で一般でも細密な印刷による精巧な偽造紙幣が生まれやすくなっている問題、通貨の国際的流通によって外国による偽造通貨が多く出回るようになっているといった状況も発生している。より難しい偽造防止対策がとられねばならない事態になっているといえよう。

日本の造幣技術は海外でも高く評価されてきたが、警察庁によると「2018年に1万円札だけで1523枚の偽札が見つかった」といわれる。新紙幣には傾けると肖像が立体的に浮かび上がる3次元(3D)ホログラムを世界で初めて採用したほか、新たに高精細なすき入れ模様を導入するなど多くの最新技術が盛り込まれているという。(注:【図解・経済】偽造紙幣の発見枚数(2019年4月)

さらに、電子マネー、クレジットカード、電子決済が一般化しつつある現在、紙幣そのものの存在価値が変化しつつあるように思える。景気動向にもよるが、新規一万円札の発行量は、平成20年度の15億枚だったが平成30年度には12億枚に減少している。あながち電子決済の結果とはいえないが減少傾向にあるのは確かなようであろう。(注2:日本銀行券の発注と流通量とキャッシュレス)
また、“お金”は現金使用のほか、預貯金、信託、保険、株式投資、債権など、保蔵しておく役割も大きいので、流通量を持って経済規模を語ることはできないが、現金通貨の要である“お札”の絶対価値と信頼を維持するための紙幣製作技術の向上は今後も変わることはないと思われる。こういったことを考えつつ「お札と切手の博物館」の見学を終えた。なお、王子の国立印刷局工場では、予約制で”お札”製作の工場現場も見学できるというので、近いうちに見学依頼もしてみたいと考えている。
今回、切手については余り触れなかったが、金券と同じ「切手」はお札の価値と同様重要であろう。
(了)
参考資料:
- 「お札と切手の博物館」展示案内パンフ
- 「お札と切手の博物館」ホームページ:http://www.npb.go.jp/ja/museum/
- 「お札と切手の博物館 」特別展示 (npb.go.jp) お札を彩るさまざまな模様
- 「お札と切手の博物館」ニュース (npb.go.jp) 1 (npb.go.jp)、
- 独立行政法人 国立印刷局 – 法人概要 (npb.go.jp)
- 明治4年からお札を作り続けてきた国立印刷局 https://ameblo.jp/dosomething5591/entry-12504930067.html
- 日本銀行 貨幣博物館 (boj.or.jp) https://www.imes.boj.or.jp/cm/
- 日本銀行 貨幣博物館図録(常設園図録)
- 渋沢栄一にまつわるお金のはなし (boj.or.jp) https://www.imes.boj.or.jp/cm/learn/ouchimuseum/mod/cm_shibusawa.pdf
- 紙幣司/紙幣寮|アジ歴グロッサリー (jacar.go.jp)
- 日本紙幣の歴史 (manegy.com):https://www.manegy.com/news/detail/1250/
- 山田羽書・伊勢河崎商人館- (isekawasaki.jp) http://www.isekawasaki.jp/hagaki/
- 藩札 – Wikipedia、太政官札 – Wikipedia、明治通宝 – Wikipedia、
- 国立銀行紙幣 – Wikipedia
- 日本銀行券の発注と流通量とキャッシュレスhttps://www.financepensionrealestate.work/entry/2019/01/29/220426
- 図解・経済】偽造紙幣の発見枚数https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_kinyushoken20190427j-03-w430