―ライオンの石鹸と歯磨き、生活用品開発の産業史を探るー


墨田区にある郷土文化資料館で企画展「すみだの石鹸 LION この地で130年」があることを知り先日訪ねてみた。石鹸や歯磨きで知られるライオン社は、現在、本社を墨田区に置いているが、来年(2023年)対岸の蔵前(台東区)に移転する予定である。郷土資料館では、これ機に、長く地域に親しんだライオン社の歩みと石鹸産業のつながりを紹介する特別展を開催したのである。

展示では、ライオン社の創業者の逸話や慈善活動、初期の石鹸販売や歯磨き用品開発の記録をはじめ、洗濯洗剤、台所洗剤やトイレタリー用品、生活衛生用品などの開発の歴史を現物、広告、メディア紹介などを広く紹介している。いずれもが、我々の生活に欠かせない日常の生活用品であり、日本の社会生活全体と公衆衛生の発展と深い関係を持ちながら開発されたものである。

日本の生活近代化、家庭用品産業の発展の歩みを見る上でも非常に参考になる展示であった。さらに、戦前戦後を通じ、東京・墨田では油脂産業、繊維、機械産業などの集積が早くから進み、花王、カネボウ、資生堂、ライオンなどの工場が進出してきている。地域産業の歴史を見る上で面白い課題展示であった。
以下に、この企画展示と“ライオンミュージアム” (On-line Museum; lion.co.jp)を参照しつつ、ライオン社の創業と発展、商品開発と地域産業の歴史から紹介してみた。
○すみだ郷土文化資料館
〒131-0033 東京都墨田区向島二丁目3番5号
電話:03-5619-7034
https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/
○ライオンミュージアム「ライオンの歴史」(On-line Museum; lion.co.jp)
https://www.lion.co.jp/ja/company/history/museum/
♣ ライオン社の創業


ライオン社の基となる企業「小林商店」は明治初期に誕生している。創業者は若い明治期の起業家小林富次郎である。彼は、16歳まで家業である酒造業従事していたが、一家が経営不振に陥り破産、発意して1877年(明治10年)に上京した。そして、墨田にあった石鹸工場「鳴春舎」に職工として働き始める。富次郎はこの工場での精励の結果、工場支配人にまで昇進して活躍する。しかし、後には鳴春舎自身が倒産して富次郎は苦汁を飲むことになる。この間、彼は眼病を煩いキリスト教にも入信している。


そして、10年余の労苦の末、1891年10月30日、東京神田に石鹸およびマッチ(燐寸)の原料取次ぎ「小林富次郎商店」を立ち上げる。この日が、現在ではライオン社創業の日となっているのは興味深い。商店の事業は、明治期の生活スタイル変化に対応して順調に拡大していった。富次郎は、これで満足せず、将来を見込んで石鹸の商取引だけでなく、その製造にも着手する。このとき売り出されたのが化粧石鹸『高評石鹸』である。品質もよく好評であったという。また、洗濯用石鹸『軟石鹸』も同時期に販売をはじめた。
♣ ライオンの初期の商品開発―石鹸から歯磨きへ


小林商店は、これら石鹸製造の成功を受け、新たな商品市場「歯磨剤」にも参入する。当時、口腔衛生の関心が高まる中、歯磨き剤の市場は広がりをみせていたが、品質、価格の点で問題を抱えていた。富次郎は、材料に工夫して品質を高め、1896年に第一号粉ハミガキ『獅子印ライオン歯磨』の発売にこぎ着ける。結果は大成功で、売れ行きは大きく伸びた。この好成績は、富次郎の正直な販売姿勢と品質へのこだわりにあったといわれる。同時に、斬新な宣伝・広告活動への取り組みが功を奏した点も指摘されている。音楽隊にのせての商品宣伝活動、大相撲イベントといった取り組みは、当時としては非常に斬新な取り組みであった。このため「ライオン歯磨」の名は一気に広まった。この伝統は、今日のライオン社にも引き継がれているという。

また、富次郎は、事業の成功を受け、社会への還元を志し、慈善事業に熱心に取り組むようになる。彼は、自己の病気や宗教意識も手伝って孤児院への多額の寄付を行ったほか、1905年には「慈善券付きライオン歯磨袋入り」を発売して、ビジネスと慈善活動の合一にも取り組むようになる。

「慈善券」を慈善団体に持ち込むと、小林商店がその額を団体に寄付するという仕組みであった。また、岡山孤児院「ライオン館」設置、小林夜学校の開設なども行っている。これら取り組みは、小林商店の社会的評価を高め、商品の知名度と事業の発展にも大きく貢献したことは間違いない。
♣ ライオン社の商品開発の多様化


これら石鹸と歯磨き剤事業の発展を受け、小林商店は、新たな商品の開発と製品の多様化を開始する。この展開は、郷土資料館に展示されている数々の製品群によく反映されている。また、国内の市場拡大に次いで海外進出も図っていることも見逃せない。具体的に見ると、1907年に新製品開発のための「小林研究所」設置、1913年には学童向けの「ライオンコドモハミガキ」を発売、1914年には「萬歳歯刷子」。1920年には日本で初めての家庭用の植物性洗濯石鹸「植物性ライオンせんたく石鹸」を発売している。この間、組織的には、1919年石鹸部門を分離し「ライオン石鹸株式会社」を設立している。しかし、これらを主導してきた創業者の小林富次郎は、1910年、惜しまれながら亡くなり後身が事業を引き継ぐ形となった。

そして、歯磨き部門では、1921年「ライオン児童歯科院」を設立、1933年、「家庭洗濯相談所」を開設して、商品知識の普及と社会衛生意識の向上を図っている。
♣ ライオン社の戦後における事業展開と近年の取り組み
第二次世界大戦が終わり、戦後の新しい社会変化を受けてライオン社も新しい展開を見せる。まず、ライオン石鹸株式会社をライオン油脂株式会社に改称(1940年)、小林商店をライオン歯磨き株式会社に改称(1949年)、そして、最終的には、1980年に「ライオン株式会社」となって今日に至っている。

商品面では、新たな生活文化の変容を取り込み、次々と新しい生活家庭用品を市場に投入する。この製品群出現は郷土館の展示によく表されている。


1948年には日本で初めてのフッ素入ハミガキ『ライオンFクリーム』を発売、1956年には食器洗い専用の台所用合成洗剤『ライポンF』、1961年、『ホワイトライオン』ハミガキ、ローションタイプの食器・野菜用洗剤『ママレモン』(1966年)、




生分解性に優れた洗濯用洗剤『ダッシュ』(1967年)、無リン洗剤『せせらぎ』(1973年)、酵素パワーを生かした洗濯用洗剤『トップ』(1979年)、歯垢を酵素で分解するハミガキ『クリニカライオン』(1981年)、界面活性剤を使用した洗濯用洗剤『スパーク』(1991年)、化粧石鹸『エメロン植物物語』(1992年)、殺菌成分配合の『キレイキレイ薬用ハンドソープ』(1997年)。



いずれもが我々日常生活の中でよく使われるなじみの深い商品となっている。
今世紀に入ると、ライオン社は、新たな成長分野、浴室剤、汎用医療薬品、サプリメントなどにも参入して市場を広げようとしている。2007年にはサプリメント『ナイスリムエッセンス ラクトフェリン』、『ルック おふろの防カビくん煙剤』(2012年)、最新の「クリニカ歯磨」などがよく知られている。
♣ おわりに


ライオンは、花王などと並んで洗剤、歯磨剤、健康衛生用品などのトップメーカーである。今回の展示は、ライオン社が手がけた各種製品開発の歴史を時代に沿って紹介するものであった。また同時に、これら用品が、どのように近代日本の生活様式や衛生習慣を大きく変えてきたのかを実感させてくれるものでもあった。日本の日常生活において、石鹸、洗剤用品の洗練化と進歩、種類の多様化が洗濯、台所、浴室のあり方を変えたし、歯磨き用品は口腔衛生改善に大きく貢献していることがよく分かる。ライオン社はじめ生活衛生品メーカーの社会的貢献は大きいと思わざるを得ない。また、今回の展示で自覚したことの一つは、企業の社会的課題への取り組みが商品開発に生かされうること、且つ、企業の社会的評価と市場拡大にもつながってくることであった。ライオン社の歴代の孤児院への貢献や児童歯科院の設立、家庭洗濯相談所の開設、歯科衛生研究所の設立、などが例としてあげられるだろう。

展示でも紹介されている小林富次郎の労苦のエピソード、慈善事業への取り組み、夜間学校開設や斬新な商品広報活動なども、明治期の起業家の気概と社会意識を思い起こさせ感動的なものであった。現代の企業者にも参考になる逸話であろう。
最後に、今回のような地域に根ざした企業の歴史や活動を紹介する展示企画が、各地の郷土館や博物館で数多く開催されることを強く希望したい。
(了)
参考とした資料
- すみだ郷土文化資料館特集展示「すみだの石鹸 LION この地で130年」
- 「小林富次郎 創業者物語り」(ライオン株式会社刊)
- ライオンミュージアム「ライオンの歴史」ライオン株式会社 (lion.co.jp)
- ライオンの歴史|LIONの活動・歴史 ( ライオン株式会社)https://www.lion.co.jp/ja/company/history/
- 小林富次郎 – Wikipedia
- ライオン株式会社 https://www.lion.co.jp/ja/company/
- 創業の精神について 百周年(1991年)記念式説話集(ライオン株式会社)