– A happy journey exploring the roots of Japanese beer brewing


I had a wonderful visit of the “Sapporo Beer Museum (Factory)” in May while traveling to Hokkaido. There are lots of beer wineries in Japan that offer factory-tour with “beer-tasting” in various places, but this Museum is a rare Industrial Museum that records the history and development of Japanese beer industry. It was also a historic site showing actual examples of the challenging reclamation and cultivation in the frontier Hokkaido land after the Meiji Revolution.

As looking into the history of beer industry in Japan, the brewery started built when the Western food culture has spread widely along with social modernization in the Meiji period. At that time, new western food and beverages were introduced broadly in Japan, and beer was beginning to brew as a new fresh beverage in various places. Of these, “Kaitakushi Beer Brewery”, the predecessor of Sapporo Beer in Hokkaido, successfully produced the pure domestic beer at first by Japanese engineers in the beginning of 1890s. The museum was established to commemorate the 90th anniversary of this brewery.

The museum introduces the process of beer brewing through videos and actual products, as well as the role of “Kaitakushi Beer Brewery”, which brought about the founding of beer production in Japan, the history that led to the transition to “Sapporo Breweries”, and the development of the beer industry in Japan as a whole. A wide range of exhibits, including photos, panels, and commemorative items, were shown as evidence of Japanese evolution of breweries.

In addition, the theme park called Sapporo “Beer Garden” is attached there with a tasting corner and restaurants and other facilities. It also can’t forget that the museum building is a kind of historic legacy that records the history of pioneering reclamation of Hokkaido in the Meiji revolution era. In this sense, the Museum is a really valuable place that you should definitely visit if you have a chance to travel to Sapporo city, Hokkaido.

In terms of beer-related sightseeing facilities, there are “Ebisu Beer Museum” (virtual), “Asahi Beer Museum” (virtual), “Kirin History Museum” (virtual), etc.

Sapporo Beer Museum (Factory)
〒065-8633 Higashi-ku Kita 7-9-1-1, Sapporo City, Hokkaido
https://www.sapporobeer.jp/brewery/s_museum/
♣ ビール博物館の展示 ♣ Exhibition of the Beer Museum

「サッポロビール博物館」の建物は、もともとは1888年設立の「札幌製糖」の工場として使われていたもの。この工場が、その後、サッポロビール社の麦酒醸造用の製麦工場となり、1986年に現在の博物館となった。

(1980s) 博物館は、明治期の赤煉瓦ビール製造工場の外観、内装をそのまま残していて、全体が北海道の歴史遺産にも指定されている。また、赤煉瓦の煙突にはサッポロビールのシンボル星印が刻印され、建物の外には「開拓使麦酒醸造所」時代に積み上げられた「ビール樽」も展示されている。見学コースには札幌工場で麦汁を煮沸するための銅製の大きな「釜」(未来技術遺産)も据え付けてあり、明治期のビール作りの姿を彷彿させる。


二階の展示コーナーをみると、日本のビール製造業発展の道筋が12個のブースに分けて紹介されている。開拓使時代の麦酒造り、サッポロビールの設立、大日本麦酒、ヱビスビール誕生に至るビール事業発展の姿が、豊富な写真と文書資料で記されているのを見ることが出来る。また、ビール作りについては、北海道における麦酒原料ホップの生産や大麦の栽培技術開発などの資料も解説されていて興味深い。著名な映画スターを使ったサッポロビールの広告も、時代の変化を感じさせ魅力的である。
♣ ビール博物館でみるサッポロビールの展開
Development of Sapporo Beer brewery seen in the Beer Museum
ここでは、ビール博物館に展示された資料を中心に、サッポロビール誕生の背景とその後のビール産業全体の発展を考えてみる。


江戸から明治に移り、北海道開発が明治政府の喫緊の課題となる中、政府は「開拓使」を設けて北海道開拓政策を進めた。当時、北海道に開拓に適した30以上の事業が開拓使の手で推進されたが、そのうちの一つがビール生産工場であった。明治政府は、開拓使官吏の村橋久成に準備を指示、ドイツでビール醸造を学んだ中川清兵衛を招聘して、1876年(明治9年)、「開拓使麦酒醸造所」の建設に取り組み、同年9月に完成をみる。この当初の醸造所工場跡は、現在は、歴史的建造物として当時の外観を保ちつつ、札幌市内にある総合商業施設「サッポロファクトリー」として生かされているのは忘れられない。
<北海度開発とビール産業創始> Hokkaido’s New frontier Development and Beer Industry

また、開拓使長官の黒田清隆は、招聘外国人専門家のアドバイスにより麦酒の原料となる大麦とホップ栽培の育成を指令、札幌官園(実験農場)での試験栽培も始めている。結果、1881年には醸造所でのホップはすべて北海道産のものとなった。そして、1877年には、醸造所で生産されたビールが「冷製札幌ビール」として東京ではじめて発売され好評を得ている。

しかし、その後、明治政府の方針で開拓使を廃止したことで、傘下の事業は北海道庁に移管されることになる。そして、1882年3月、「開拓使麦酒醸造所」は農商務省工務局の所管となり「札幌麦酒醸造所」と改称。1886年、北海道庁の初代長官岩村通俊は工場の民間払い下げが決定する。この払下げを受けたのが大倉喜八郎である。この官営ビール事業は、1886年、完全に民営化され「大倉組札幌麦酒醸造場」として新たなスタートを切ることになる。さらに、大倉は、渋沢栄一、浅野総一郎らに事業を譲渡する形で、1887年、新会社「札幌麦酒会社」を設立する。この経過は、博物館のパネル展示で詳しく解説されていて興味深かった。これが後のサッポロビール社の母体である。


一方、時代が進み、都市部でのビール需要が高まる中、1890年代後半以降、多くの大手のビール会社が誕生するようになる。こういった中で、「札幌麦酒」は、工場が札幌にあることから立地上の不利は免れなかった。このため、1899年、東京工場の建設を決定、隅田川沿いに東京工場が完成させ、「札幌ビール」の出荷を開始。同工場の効果は大きく、1905年、札幌麦酒はビールの製造量で業界トップ躍り出た。当時、ビール業界は札幌麦酒株式会社(札幌ビール)、日本麦酒株式会社(恵比寿ビール)、ジャパン・ブルワリー・カンパニー(麒麟ビール)、大阪麦酒株式会社(朝日ビール)の大手4社が激しい販売競争の過程にあり、過当競争に陥っていたという。こういった中で、明治の財界人渋沢栄一などの働きかけもあって、内閣の勧告により、1906年、四社合同の「大日本麦酒株式会社」が成立する。社長は日本麦酒の馬淵恭平であった。この大日本麦酒は日本の市場8割以上を占め、アジアではもっとも大きなビール会社として、飲料業界を牽引することとなる。そして、この体制は1940年代の戦時体制下まで継続される。
<「ニッポンビール」から「サッポロビール」へ> From Nippon Beer Co. to Sapporo Beer Co. Ltd.

終戦後、大日本麦酒は、占領軍の手で「過度経済力集中排除法」の適用会社となり、1949、日本麦酒株式会社と朝日麦酒株式会社に分割される。日本麦酒は、大日本麦酒から「サッポロ」「ヱビス」を継承する形で再出発した。1951年、ビール各社のブランドも復活し、日本麦酒は新ブランド「ニッポンビール」を発売したがシェアは伸びなかった。そこで、1956年、札幌工場創業80年記念を兼ねて、発祥の地、北海道限定で「札幌ビール」を発売。発売直後から売れ行きは極めて好調だった。翌年1月、同社は、全国発売に踏み切り業績が復活、これを踏まえて、1964年1月には、会社名を「サッポロビール株式会社」と変更し現在の姿となった。
<「ヱビスビール」の復活と「ビン生・黒ラベル」の発売> Reborn of Sapporo’s Ebisu-Beer and Black Label beer Bland


社名を変更したサッポロビール株式会社は、戦前の人気ブランド「ヱビスビール」を1971年12月に復活させる。戦時中、すべてのビールブランドが停止されて以来、28年ぶりのことである。復活に際しては、単なるブランドの復活ではなく、高品質ビール、ドイツタイプのビールの商品化としての位置づけを行っている。

一方、1957年に発表したサッポロビールの「樽生ビール」は、従来からビアホールでの評価は高く、「生はサッポロがうまい」との評判を得ていたこともあり、同社は、競争関係で優位と判断して生ビールを前面に打ち出すことを決定。1977年4月、「サッポロびん生」を全国発売する。これは、ラベルの色調から「黒ラベル」の愛称で親しまれ、以来、サッポロビールの主力商品として現在に至るロングセラーとなっている。びん詰め生ビールの商品化での課題は、役割の終えた酵母を除去することが重要で、サッポロビールの技術陣は、ビールのうまさを損なうことなく酵母を除去する無菌ろ過システムを独自に開発したことが大きかったという。
現在、サッポロビール躍進の3本柱は「ヱビス」「黒ラベル」「ラガー(赤星)」といわれ、これを連綿として開発してきたサッポロビールは、開拓使から始まる国産ビールの歴史そのものである、と同社は自負している。
♣ ビール博物館にみる日本のビール産業の創成と展開 The Creation and Development of the Japanese Beer Industry as Seen in the Beer Museum
♣ ビール博物館にみる日本のビール産業の創成と展開

ビールは、最近の発泡酒を含めて日本ではもっとも広く普及したアルコール飲料である。このビール業界を見ると、大手4社(アサヒグループホールディングス(HD)、キリンHD、サントリーHD、サッポロHD)で市場の9割以上を占めているが、それぞれが独自の来歴と歴史を持っていて興味深い。以下に、日本のビール造りの歴史をたどってみた。
<日本のビール醸造ことはじめ>


日本で初めてビールの醸造を試みたのは、江戸時代の蘭学者である川本幸民といわれる。当時、物理・化学分野のオランダ文献を翻訳していた川本は、その翻訳過程でビールの醸造実験にも取り組み、橋本左内など知人の間で実際に試飲会を催したとも伝えられている。
一方、開国後の横浜で、明治2年(1869年)、外国人居留地にビール醸造所が設立され麦酒生産が日本ではじめて開始された。

これが「ジャパン・ヨコハマ・ブルワリー」である。アメリカ人のG・ローゼンフェルトとドイツ人技師のE・ヴィーガントが設立した醸造所であった。続いて、1870年にはノルウェー系アメリカ人技師ウィリアム・コープランドが「スプリング・バレー・ブルワリー」を同じく横浜の外国人居留地に設立している。このコープランドは、工場隣接の自宅を改装し、外国人居留者と外国船の船員向けに「スプリング・バレー・ビヤ・ガーデン」も開設している。なお、このブルワイナリーは、業績不振から売却再編され、1907年、「ジャパン・ブルワリー」となった。これが、後の「麒麟麦酒」になり、やがて日本の主要なビール会社の一つに発展していく。

この時期、横浜をはじめとした大都市を中心に、さまざまなビール醸造所が設立されていった。しかし、多くのビール醸造所はアメリカやドイツなどの外国人によって造られたものであった。この中にあって、明治5年(1872年)、大阪市で日本人による初のビール醸造・販売会社が設立されたのは注目される。これが渋谷庄三郎氏による「渋谷(しぶたに)ビール」。渋谷は、大阪・堂島の土地を利用してビール醸造所を建設し、アメリカ人技師フルストから技術指導を受けて醸造を開始した。ホップの種子をアメリカから輸入して、醸造所構内で栽培も試みていたという。
<大手ビール会社の誕生と発展> Born and Development of Major Beer company


続く明治9年(1876年)、日本初の本格的ブルワリーとして設立されたのが、現在のサッポロビールの前身である「札幌麦酒製造所」。これについては、サッポロビールの歴史で詳しく述べた。以降、19世紀末期までに、ビール飲料の普及と共に続々と大手資本が参入してくる。そして、初期には輸入ビールの量が生産高より多かったが、1887年頃をピークとして輸入量は減少し、大手資本がビール生産に参入したことで市場が拡大していく。 1885年には居留民によってジャパン・ブルワリー(麒麟麦酒の前身)、1887年には丸三麦酒、1888年には札幌麦酒醸造所を大倉組が買収し札幌麦酒株式会社を設立、1889年には大阪麦酒株式会社(アサヒビールの前身)、1893年には日本麦酒(ヱビスビールを生産)が成立している。
<ビール会社の統合と連携>


1900年代になると、先述したように、過当競争を懸念したビール業界大手の三社(札幌、日本、大阪)は、財界主導で経営を統合し「大日本麦酒株式会社」を形成した。また、ジャパン・ブルワリーは、1907年、麒麟麦酒と社名を変えて再出発することになる。この間、国内のビール生産は好調な消費に支えられ業績は拡大、また、国内消費だけでなく海外輸出にも進出していく。1918年には、日本で醸造されるビールの25%が輸出に充てられていたという。1939年、日本のビール製造量は第二次世界大戦前のピークに達する。しかし、同年9月に物価停止令による販売価格の固定化、続いて1943年に製品の規格が統一化され、戦後の1949年までビールの主要「ブランド」が消滅する暗い時代が続いたことは忘れてならない。
<ビール業界の戦後体制の構築> New Development after the World War II


時代は変わって、終戦後の日本は新たな道をたどることになった。1949年、合同していた「大日本麦酒」が朝日麦酒と日本麦酒に分割され、麒麟麦酒との三社体制になってビール生産の強力な戦後体制が始まる。また、この時期、新たな麦酒メーカーが加わりビール業界も競争が激化する。例えば、1957年には宝酒造が「タカラビール」を販売(1967年に撤退)、1957年には沖縄にオリオンビールが誕生、1963年にはサントリーがビール生産に参入するという動きもみせている。
<生ビール論争とドライ戦争>


このうち、1967年にサントリーが「熱処理をせず、酵母菌を除去したビール」「純生」を発売。熱処理をしないビール=生ビールが日本において人気商品となって、大手ビールメーカーの一角を占めるようになる。また、1968年にはアサヒビールが「熱処理をせず、酵母菌が入った状態のビール」である「本生」を発売。酵母菌の有無を巡って「生ビール論争」が起きるなど、新しい動きが出てくる。

また、1980年代、アサヒは麦芽量を減らしコーンスターチなどの副原料の比重を増やすことで発酵度を高め、アルコール度数を高くした「アサヒスーパードライ」を開発、1987年に発売を開始した。このスーパードライは大ヒット、初年度売上は1350万箱とビールの新製品の売り上げ記録を更新することになった。1988年より他社もスーパードライに類似した商品を発売し、「ドライ戦争」と呼ばれるようになる。

一方、キリンビール(麒麟麦酒)は、1990年、「キリン一番搾り」を発表、醸造過程で“一番搾り”しか使わない製法で作られた麦芽100パーセントのビールは大評判で、ビールの辛口ブームに一席を投じた。このように、戦後80年代以降は、従来のビール生産の常識を覆す「品質」の競争となっていったのが特徴であった。
<発泡酒と第三のビールの登場> Emerging new category of beer production

1994(平成6)年になると、サントリーは発泡酒「ホップス」を発売、これをきっかけに大手ビール各社が一斉に発泡酒市場へ参入する。味や香りは純ビールと変わらないが、価格は安い「発泡酒」が登場したことはビール業界に大きな衝撃を与えた。これはバブル経済崩壊後の不況を迎えて、税制や消費者のアルコール飲料への志向が変化したことにもよる。



この発泡酒市場は「麒麟 淡麗〈生〉」の発売により一気に拡大、1998(平成10)年のビールおよび発泡酒全体の市場における発泡酒の構成比は13パーセントを超えた。その後も新商品が次々と発売され、カロリーオフや糖質オフ、プリン体カットなど「第3のビール」とも呼ばれた健康志向の商品も現れ、市場が急拡大している。2001年には、アサヒビールが「本生」(現アサヒ本生ドラフト)を発売、2005年には「キリン のどごし〈生〉」が登場、現在では「本麒麟」といったブランドも発売されている。サッポロビールは「ゴールドスター」、サントリーは「金麦」といった商品を市場に投入している
<地ビールの躍進> Emerging local beers by local breweries


近年では、地方各地で「地ビール」を醸造、発売するケースが増えていることにも注目する必要がある。この動静は地方経済活性化の目玉の一つともなっており、観光振興と結びついた新しい傾向である。1995年2月に発売された新潟の「エチゴビール」が地ビール第1号となり、以後、地ビールメーカーは爆発的に増え、2年間で300社以上のメーカーが出現している。京都の「京都麦酒」、北海道の「小樽ビール | 、「網走ビール」、九州では由布院の「ゆふいんビール」、「門司港地ビール工房」などがよく知られている。
このようにビール業界のアルコール飲料は多様化が進んでおり、150年の歴史を経て新たな展開を見せているのが現状といえよう。
♣ 現在のビールと私たち(見学後の感想)Impression of Beer Museum and Japanese Beer industry


今回の「サッポロビール博物館」で多くを学ぶことが出来たと思う。まず、北海道の「札幌麦酒醸造所」で日本人技術者がはじめてビールが生産を成功させたこと、開拓使による官営の醸造所が民営化されることで新しい飲料企業が生まれてきたこと、横浜居留地ではじめて日本で外国人経営のビール醸造所が誕生したこと、明治以降、西洋の食文化が導入され浸透する中で多くのビール飲料メーカーが誕生していることなどである。また、ビール業界も時代の波にのまれつつ合従連衡を繰り返しつつ発展してきたことも見逃せない。戦後は、醸造法を含めて技術革新が進み新ビール飲料メーカーが誕生していることなどである。また、ビール業界も時代の波にのまれつつ合従連衡を繰り返しつつ発展してきたことも見逃せない。戦後は、醸造法を含めて技術革新が進み新しいブランドのビールが次々と登場、最近では「発泡酒」、「第三のビール」といった新しいジャンルが生まれていることなど、である。近年では、各地で「地ビール」が誕生して、地方経済の活性化にもつながっていることも忘れられない。

さらに最近の傾向をみると、ビール各社は、観光事業促進と商品プロモーションをかねて、自社の工場を開放、試飲を入れた見学を促進していることも新しい特徴としてあげることが出来る。サッポロビールは、特に熱心で、北海道の「醸造所」跡を、歴史遺産と位置づけると共に、博物館・見学コースとして広く開放している。また、サッポロ傘下の「エビスビール」では、東京恵比寿に「記念館」を作り、同じく試飲見学を呼びかける活動を行っている。キリン、アサヒ、サントリーも同じような取り組みを加速している。
ともあれ、札幌の「開拓使麦酒醸造所」跡のサッポロビール博物館を訪ねたことで、北海道の開拓に結びついた産業創成の実例、日本のビール開発の歴史、ビール業界の新しい動向、そして、地域の活性化につなげる飲料メーカーの活動など興味深いものが多くあった。その意味でも、味わい深い北海道旅行と博物館訪問であったといえる。
(了)
(参考文献)
- サッポロビール博物館 https://www.sapporobeer.jp/brewery/s_museum/shisetsu/
- 「開拓使麦酒醸造所」開業 | 歴史・沿革 | サッポロビール (sapporobeer.jp)
- 図説・ビール(キリンビール株式会社)河出書房新社
- 近代日本のビール醸造史と産業遺産 (淡交社刊)
- 日本のビールの歴史と国内の大手ビールメーカーを知ろうhttps://tanoshiiosake.jp/9219
- 歴史紹介 | 歴史・沿革 | サッポロビールhttps://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html
- 日本のビールの歴史はここから!「札幌開拓使麦酒醸造所」https://www.travel.co.jp/guide/article/5235/
- キリン歴史ミュージアム (kirinholdings.com)
- 日本のビールの歴史年表(キリンホールディングス)https://museum.kirinholdings.com/history/nenpyo/bn_01.html
- 日本のビール – Wikipedia
- ビールの歴史-ビール物語- https://www.maboroshinosake.com/sake/beer/history/
- ヱビスビール記念館https://www.sapporobeer.jp/brewery/y_museum/
- アサヒの工場見学https://www.asahibeer.co.jp/brewery/