島根・安来の和鋼博物館(産業博物館紹介)

ーー博物館展示を通して「たたら製鉄」の歴史と意義を知る  

和鋼博物館の外観

 和鋼博物館は、日本の伝統的製鉄法「たたら」に関する日本唯一の総合博物館である。1993年、「鉄の道文化圏」(安来市・雲南市・奥出雲町)内の文化館のひとつとして誕生している。元々は、日立製作所安来工場(現 日立金属)付属の展示施設であったが、「たたら製鉄」関連の文化遺産保持のため、新たな構想のもと安来市の博物館として開館したもの。遠隔地であるため訪問はかなわなかったが、「たたら製鉄」には関心が深かったので今回紹介することにした。

館内の展示コーナー

 館内は、種々の和鋼の製鉄用具の展示や映像、体験コーナーを通して、たたら製鉄とその歴史・流通、さらに各種匠技を紹介するとともに、企画展や講演会、様々なイベントを開催して“たたら”の知識普及に努めている。また、従来からの和鋼・たたらの調査・研究に関する事業を引継ぎ、発展させることも目指しているという。

「たたら炉」などの館内展示

  特に展示で目立つのは、江戸時代に開発された永代たたらの炉をそのまま再現していること。国の重要有形民俗文化財に指定された天秤鞴や各種の操業用具や、たたら製鉄の生産物である「鉧(けら)塊」や玉鋼、庖丁鉄、鉄穴流し、高殿、床釣りの模型などは貴重な展示である。また、近代以前、砂鉄原料と木炭燃料による「たたら」で精錬していた“玉鋼”の製法やそのルーツ、製鉄された“和鉄”を各地に運ぶ流通拠点として繁栄した港町安来の今昔の姿も紹介していて興味深い。特別イベントしては、厳冬期に「鉄の道文化圏」(鉄の道文化圏推進協議会)行事の一環で行われる日刀保たたらの操業再現といった試みも行っているようだ。

日刀保たたらの職人

 たたら製鉄自体は、江戸から明治初期にかけて盛んに行われていたが、それ以降、産業としては近代製鉄法に完全に置き換わり、今では全くみられない。しかし、そこで培われた技術、技法、鍛錬は現在も生かされているといってよいだろう。こういった意味でも、日本伝来の製鉄技術「ものづくり」の伝統を現在につなげる貴重な産業博物館といえよう

♣ 和鋼博物館の主な展示内容 

  博物館の展示は、第1展示室とその前室展示(たたら前史、「永代たたら」と匠技)、第2展示室(企画展示)、第3展示室(ひらかれる鉄の道)、俵国一記念室(「和鋼」研究者)、屋外展示(たたら生産物ケラなどの現物)などで構成されている。

<第1展示室の展示>

第一展示室の展示

 このうち第1展示室は、たたらの解説と共に、鋼の生産過程と歴史、技法、特徴に展示しており、日本の伝統的な製鉄法の内容を詳しく提示している。
 これによれば、まず、前室展示で、安来市内の古墳から出土した大刀”復元素環頭大刀”、金銅装双竜環頭大刀を、現代の刀匠が復元した姿で展示、また、日本刀鍛錬場の模型なども展示されていいる。さらに、“「永代たたら」と匠技”では、近世に入って中国山地において完成したといわれる砂鉄採取法、天秤鞴の発明、地下構造の改良、これらに加えて、従来の簡易な「野だたら」から建屋内で操業する「高殿(たかどの)」への操業形態の革新(「永代たたら」)を解説を交えて紹介している。そして、中央に「永代たたら」の炉をそのまま再現ししているのが目立つ展示である。天秤鞴や各種の操業用具、鉧(けら)塊や玉鋼、庖丁鉄、鉄穴床釣りなどを模型など珍しい展示にあふれている。その他、金屋子信仰、山内(さんない:たたら集落)の生活状況などの展示などは魅力的な展示内容であろう。

復元された環頭太刀
たたら工房「高殿」模型
たたら製鉄に使われた用具類
第2展示室の展示

<第2展示室の歴史展示>

 第2展示室では、先史時代、西アジアのヒッタイトで利用されはじめた「鉄」が、稲作の発展、古代王権の成立、産業革命等に大きな貢献をしてきた様子を包括的に紹介。日本においても弥生時代に大陸から製鉄技術が伝えられ、「たたら」製鉄という独自の技術が確立していった様子が示されている。

<第3展示室・ひらかれる鉄の道の展示>

第2展示室の展示

 第3展示室では、安来地方が、江戸時代後期、「たたら」鉄の積み出し港として栄え、鉄や鋼が北前船などによって全国の金物産地へ搬送されていく様子が描かれている。一方、時間が経つにつれ、洋鉄の輸入、近代製鉄技術の導入などにより安来の経済が衰退していった様子、そして、新たな道を模索する姿を展示は伝えている。この中で、「たたら」の技術・伝統を受け継ぎつつ、日立金属安来工場の設立を経て、ハガネ生産の町へと変貌していく様子は記憶すべきだろう。

安来たたらの変遷
安来鋼の生産へ

<特別展示の俵国一記念室>

俵国一特滅展示
俵国一

 「たたら」の鋼を「和鋼」と名付けた冶金研究のパイオニア俵国一博士の記念展示コーナー。俵博士は、門外不出・秘伝とされていた日本古来の技術に、はじめて科学のメスを入れたことで知られる。展示室には、俵博士の研究資料や成果、揮毫、講義ノートなどの遺品を展示し、その業績と人柄を紹介している。

野外展示のたたら鉱滓

<屋外展示>

博物館構内には、たたら製鉄で生み出された鉱滓、ケラ見本などが展示されており、たたら鉄の実物内容が確認できる。

♣ 博物館で紹介されている解説記事「たたらの話し」

 和鋼博物館では、たたら製鉄の理解のため、「たたらで鉄ができるまで」の解説記事を紹介その内容はその内容は・・・・・。

<たたらの起源と歴史>

 日本の鉄との出会いは縄文時代末から弥生時代のはじめころといわれ、弥生時代後期になると、小規模ながら製鉄が開始され、大陸からの鉄素材に列島内産の鉄も加えて鉄器の生産が行われる。初期のころの原料は鉄鉱石の場合が多く、以後、砂鉄も加わり、やがて砂鉄が主流になっていく。こういったことから、土製の炉に木炭と砂鉄を装入して鉄を作り出す技術が発展する。後に中国山地で盛んになる「たたら製鉄」の技術も、このあたりから始まったと考えられるという。
(以下、たたらの話し | 和鋼博物館 (wakou-museum.gr.jp)中国地方の「たたら」の特徴 – 「たたら」とは – 鉄の道文化圏 (tetsunomichi.gr.jp))を参照した)

<たたらによる鉄の歴史的な製法>

 たたら製鉄では、時代、目的、地域により、多少の差があるが、操業までの準備段階として、砂鉄採取、たたら炭製炭、築炉など幾つかの重要な工程があるといわれている。

 (1)「鉄穴流し」
 まず、作業は「鉄穴流し」からはじまる。これは、砂鉄を採取したあと、砂鉄の含有量の多い花崗岩の山際に水路を導き、下手の選鉱場(洗い場)に運んで重い砂鉄を沈殿させて選鉱する作業。砂鉄を含む山を崩して得られた土砂は水路で下手の選鉱場流され、大池→中池→乙池→樋の4つの池を経て、比重の大きい(重い)砂鉄と比重の小さい(軽い)土砂に分離(比重選鉱法)、最終的には砂鉄の含有量を80%程度まで高めて採取するという。

たたらの炉づくり
たたら炭を焼く小屋

(2)「たたら炭」と「築炉
 次が、「たたら炭を焼く」作業。砂鉄は燃え上がる炭のすき間を落下する間に還元と呼ばれる化学変化を受けて鉄に変わるが、“たたら炭”はその化学変化を司る重要な役割を果たす。そして、製鉄に必要な炉を築く作業が事前準備として必要になる。これが「築炉」である。これには、「炉床打ち締め」(下灰作業)があり、「中釜つくり」、「上釜つくり」と続いて炉が完成される。この炉の善し悪しで出来上がる鉄の頻出が大きく異なるようだ。また、炉の左右には丈夫には、大きな鞴(ふいご)が設置され、炉に向かって風を送り込む役割を果たす。この“ふいご”が“たたら”と呼ばれるもので。たたら製鉄呼称の基となっているという。

操業開始

(3)「たたら操業」 
こうして、この完成した炉により、いよいよ「たたら操業」が開始される。鉄を装入する前に、炉にいっぱいの木炭がくべられ、鞴(ふいご)から風が送られ製鉄がはじまる。そして、塩で清めてから、三昼夜、約70時間におよぶ過酷な作業が開始される。最初にくべる砂鉄は「初種」と呼ばれ、 砂鉄と木炭がほぼ30分おきに装入され、時間の経過とともに砂鉄の量が増やされる。砂鉄・木炭の装入開始後、約5時間を経過するとノロ(鉄滓)が排出されるが、製鉄のエキスパート「村下」(むらげ)はノロの出方でも操業の状況を判断する役割を担うという大切な仕事。そして、炉底いっぱいに鉧(けら)とよばれる鋼の塊ができ、炉の側壁はこれ以上耐えられないほど侵食され薄くなると、「村下」の判断で送風を止め操業を終了し、炉を壊す。

鉄滓の流出
炉を壊す
鉧の取り出し

鉧塊の鑑別

(4) 鉧出しと選別
  このようにして、炉から真っ赤な鉧(けら)塊が引き出される(鉧出し)。これは高熱と粉塵の中でおこなわれる重労働で危険な作業。そして、鉧塊は、良質な鋼だけでなく、やや不均質な鋼や銑(ずく)、木炭、ノロなどが混在しているので、砕かれて、ノロや木炭を除去したのち、品質、大きさなどにより数種類の等級の鋼や銑(ずく)、歩鉧(製錬が不十分で不均質な鋼)などに鑑別され、製鉄作業は完了となる。 このようにして取り出された鉧であるが、鑑別される良質の鋼「王鋼」は全体の約1/3~1/2で、現在では、全国の刀匠約250名に分与され、これにより日本刀が製作され、作刀技術の伝承が図られているといわれる。

大鍛冶の職人達

 (5) 「大鍛冶」の作業
この製鉄された鋼は、次の作業「大鍛冶」で鉄は鍛えられ、目的に沿って出荷される。たたら製鉄は、砂鉄から直接鋼の製造を目的とする鉧押し法と主に銑(ずく)を製造する銑押し法に2分されるといわれる。銑(ずく)はそのまま鋳物などの原料となる場合もありますが、大部分は歩鉧などと一緒に大鍛冶場で、加熱と鎚打ちをくり返して不純物を絞り出して炭素量を調整、錬鉄として幅広く使用される。こうして、 「大鍛冶」は、「たたら」の重要な部分を占めている。

これらの結果、“玉鋼”:1級は炭素量約1.0~1.5%を含有し、破面が均質なもの、2級は炭素量約0.5~1.2%を含有し、破面が均質なもの、銑(ずく):炭素約2.1%以上を含有し、均質なもの、歩鉧:鋼・半還元鉄・ノロ(鉄滓)・木炭などが混じったもの(大鍛冶用素材となる)、大割下:炭素0.2~1.0%を含有する鋼と多少の半還元鉄やノロを含むもの、といったように分類されるようだ。

♣ 「日刀保たたら」実践プロジェクト>

 こうした「たたら製鉄」一連の作業は、現在、「日刀保たたら」として再現、実際の操業として実践されている。https://tetsunomichi.gr.jp/fascinating-tatara/only-surviving-tatara/

「日刀保たたら」の実践場所

 これは、日立金属株式会社の技術支援のもと、日本刀の材料となる玉鋼の製造とそれを作り出す伝統技術の伝承、技術者の養成を目的に、島根県奥出雲町大呂において、公益財団法人日本美術刀保存協会(日刀保の手で、「鉄の道文化圏推進協議会の協力を得て行われているもの。これは、炉床や炉作りから始まって3昼夜。不眠不休の操業を経て、一回につき約2.5トンの鉧が製造され、選鉱された玉鋼が全国の刀匠約200人に提供されているという。これらは、江戸から明治初期まで盛んに行われていた日本独自の製鉄の技法と技術を、現代の科学技術の力も応用しつつ次の時代に継承しようという貴重な試みといえよう。 また、出雲地方の製鉄に関する説話・神話である「金屋子神」についても解説していて興味深い。

○ 関連するたたら製鉄関係史跡と資料館

また、和鋼博物館で紹介されている幾つかの「たたら製鉄」の関連施設、史跡、プロジェクトには、次のようなものがあげられているので紹介しておく

(了)

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