東京染小紋と江戸更紗の「東京染めものがたり博物館」

―江戸時代の型染め技術を現代に生かす工芸技術の姿―

富田工房「博物館」外観

   盛夏の折、東京・新宿西早稲田にある東京更紗染めの「富田染工芸」を訪ねてみた。ここは「東京染めものがたり博物館」(新宿ミニ博物館指定)として知られ、型染めの現場も実際にみることができる。工房は神田川に面した古民家風情の建物の中にあり、作業場とギャラリーが併設されている。こここで製作・展示しているのは「東京染小紋」といわれる型染めの工芸品。江戸時代から伝わる型模様「小紋」を伝統の更紗染色技術を使って生地を染め上げていくもの。作業場では型紙彫刻から色糊調節、型摺、水洗い、乾燥といった過程を経て染め布に仕上げていく様子が再現されている。

染め工房の内部
東京染小紋の作品

 これは江戸時代から伝わる伝統の染色技術で、昭和の時代まで広く普及し着物文化を支えてきた。しかし、現在、和風着物などの需要が減りつつある中、残念ながらこの小紋染色の技術が徐々に失われつつあるといわれている。染業老舗である「富田工芸」では、この技術の後退を惜しみ「小紋」染めの技術伝承と新しい形を提唱しようと博物館を開設したという。現在、この工房博物館では、来訪者に染色伝統技法を見学し体験してもらうと同時に、東京染小紋江戸更紗の新しい技術とデザインを追求する数々の活動を行っている。伝統産業を担う企業者の新しい活動を提唱するものと思えた。  

東京染めものがらり博物館(富田染工芸)
東京都新宿区西早稲田3-6-14
電話:03-3987-0701  HP: https://tomita-senkougi.com/

♣ 博物館工房の様子

小紋型紙サンプル
工房で作業する職人さん

   一般の住宅を改造したような工房に案内されて入ると、7メートル位の長い作業台と各種の染色道具が配置されおり、ここで行われる型染めの作業が行われる作業をみることができる。「使われる(江戸)小紋」の型紙は何百種類もあるそうで、別部屋に大切に保管されていて使用時に取り出して型染めがなされる。 江戸・明治から作られた貴重な“古典もの”から、「富田」がデザインした“新作もの”があり必要に応じて適宜使用されるようだ。染色の工程はおよそ次のようなものであった。  

<東京染小紋の工程>  

東京染小紋・江戸更紗製作の前工程(型紙・地張り)

  染色工程は、まず型紙を準備することから始まる。そして長板に白生地を張り(地張り)をし、型紙を生地の上にのせてヘラで防染糊を置いてゆく(型付け)。彫りぬかれた部分だけが染め出される仕組みである。型紙は30センチ位なので長い布に対し柄をずれないよう作業することが大切という。江戸更紗の場合は、生地を乾かしてから“色糊”を置いていく過程が入る(型摺り)。その後、「しごき」という機械を使い全体に地色糊で生地を染めていく(地色染め)工程がくる。そして、染めた生地を蒸して染料を発色させ糊を洗い流す(水洗い)(乾燥)作業となって、美しい江戸小紋の姿や模様の姿が現れ染色作品として完成することとなる。  

染色の工程画像(「東京染めものがたり博物館」案内パンフレットより)

<作業工房の様子>

染色作業場の様子

  作業場なかは長い板の作業台のほか、多様な色糊の置き場、ヘラや刷毛、洗い場、蒸し器などが設置されていて、雑然としながらも作業工程全体が効率的に行われるように工夫されていた。これら染色作業の進行は用意されたビデオで確かめることが出来る。私の場合、実際に見聞できたのは、職人が実演している「型付け」、「型摺り」の工程であった。説明によれば技術的に重要なのは「型紙の彫刻」、微妙な「色糊の調整」、柄がずれないように幾重にも染め付ける「片付け」「型摺り」の工程とのことであった。  博物館ギャラリーには、富田染工芸が製作した伝統の東京染め小紋、東京染更紗のほか、新しいデザイン「SARAKICHI」ブランドの作品が並んでいるのを見ることができた。

富田染工芸の作品
富田の染小紋製品

♣ 江戸小紋と江戸更紗とは  

<江戸小紋の歴史> 

江戸小紋の着物

(江戸)小紋」は、もともとは武士階級が着用した裃の模様付けだったが、江戸中期には庶民の間にも広まり、武家の小紋とは異なる独自の模様を生み出すこととなった。和紙の型紙を使って細かい模様を彫り、これを使って染めるのが特徴である。明治時代になると、女性の着物とし広く「小紋」染め物が親しまれるようになり広く普及した。 「江戸小紋」の名称自体は、1950年代、染色者小宮康助が“人間国宝”に認定された際に「京小紋」と区別するために名づけられたものであるという。 この江戸小紋染めは、江戸時代、水の豊かな神田川流域で始まったとされるが、明治大正時代になると浅草周辺に集散していた業者が染め落としに適した「水元」を求めて神田川周辺に多く集まってきたという。

神田川の染め布流し

  当時、早稲田から落合にかけての神田川沿いは、染め布を洗い流す女達の姿が夏の風物詩だったと伝えられている。富田染工芸も、この時代から早稲田地区に移ってきた老舗の染め物業者の一つである。 その後、この東京の新宿や世田谷周辺で作られた染織品の「小紋」は、1970年代に伝統工芸品として国の登録を受け「東京染小紋」と名付けられるようになり現在に至っている。

  <東京染小紋とは>

東京染小紋の着物

  この「東京染小紋」の特徴は、幾何学模様の繊細さと格調の高さにあるとのことで、伝統柄による単色染めを基本とした「江戸小紋」と創作が比較的自由な「東京おしゃれ小紋」かあるという。江戸小紋の代表的な柄には「鮫小紋」や「角通し小紋」、「行儀小紋」などがあるといわれ、鮫小紋のうち特に細かい柄は「極鮫小紋」と呼ばれて細かいものほどよい品と珍重された。この東京染小紋の染めに用いるのは、手漉き和紙を貼り合わせてつくる“地紙”によるもので、熟練した彫師が細かな文様柄を手彫りしているのが特徴である。 (https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tokyosomekomon/)  

<江戸更紗とは>

江戸更紗の着物生地

  一方、「江戸更紗」はもともとインドやタイ、ジャワなどの中近東で行われている染色「更紗」に由来する。このうちインドネシア・ジャワの「バティック」染めは特に有名である。この染め手法は、日本では室町時代頃より導入が始まり、江戸時代には京都や江戸に更紗の模倣染を始める染色師が登場し盛んに製作を行っている。はじめは手描きで羽織裏や帯などに使用されたが、やがて小紋などを染める“型染め”の技術が取り入れられ、着物などにも広く応用されるようになった。このようにして、江戸時代以降、型染めと更紗の技術が融合して「江戸更紗」の名が生まれ、今日に至っている。江戸更紗の特徴は、複数の型と色を用いるところで、比較的簡素な柄でも20~30枚の型、30色以上も使うことのある繊細な色の重なりが魅力であるという。 (https://go.edo-create.co.jp/tontokuru/2018/10/18/post-1957/)  

♣ 伝統を生かしつつ次を目指す「富田染工芸」  

<富田染工芸の沿革と挑戦>  

富田染工芸の当主富田篤氏

  このように長い歴史の中で形成されてきた「小紋(染め)」「江戸小紋」「東京染小紋」「江戸更紗」の伝統手法は、盛衰を繰り返しながら、時の流行に合わせ連綿と技術をつなげてきた。しかし、今日、日本人の装いも和風衣装から洋風へ、衣類は個別生産から大量供給へ、染めものもプリント染色・工業生産へと移っていく中で、従来の工房による染色業の業態も大きく転換を迫られている。こういった中で、「富田」は、伝統的な技術を生かしながら大量生産に負けない現代的で魅力的のある染めもの製品を作り出そうとしている。例えば、おしゃれ小紋の型紙を使用してシルクや羊毛など多様な素材を使ったスカーフやストールなども製作しているのである。これは、5代目当主富田篤氏によれば、国内では三越、高島屋で販売され、海外ではパリのメゾン・エ・オブジェへの出展や、2014年春にシンガポール高島屋で人気を博したという。氏は、「日本の最高級の織物に伝統の染の技術と、伝統的な文様が現代的に生かされた」と評価された結果であると述べている。

  <富田の新ブランド開発と博物館開設> 

SARAKICHI作品の展示

  また、近年では、新進のデザイナー南出優子と共同で「SARAKICHI」ブランドを立ち上げ、ポケットチーフからネクタイ、日傘、ストールなど様々な作品製作を手がけている。  「富田」が「東京染ものがたり博物館」を開設したのも、伝統の「小紋」「更紗」など日本で培ってきた技術とセンスを次の世代につなげていこうとする活動の一環であろう。

♥ 見学後のこと

染色を見学する外国人

   今回、「東京染めもの博物館」というタイトルにひかれて「富田染工芸」を訪ねたのだが、思った以上に収穫であった。場所はごく普通の民家のようであったが、中はいかにも染めもの工房という雰囲気で、長い作業台の上で職人が「型摺り」の作業をしていたが、外国人の見物客が眺めて写真を撮っている姿が目立った。外国人にも人気の場所らしい。私も摺りを体験させていただいたが思ったより難しかった。近くには、型紙を作っている女性がおり、集中して作業をしていた。棚には作業に使う用具、染料が置かれ、できあがった製品見本や作業工程を開設する写真も飾ってあった。染めもの工房をみるのは初めてであったが、染めもの工芸の伝統を強く感じるものだった。ここで江戸小紋や東京更紗の説明を受け、改めて日本の染めもの歴史や伝統、その大切さを知ることが出来た。 

小紋染めの普及活動をする富田氏

  今日、染めもののみならず伝統の工芸技術の後継者が少なくなり優れた技術が失われる懸念がある中で、こういった工房を公開し、「博物館」という形で来訪者に優れた工芸の魅力を伝えていくことは重要なことであろう。  「富田」では、染色の魅力を伝えつつ、伝統技術の伝承と新しい可能性を博物館という形で伝えている。また、近年、各地で日本の優れた伝統工芸や地元産品を奨励し、市場を広げる努力がなされているのも重要なことであろう。東京でも、地場企業を「ミニ博物館」として公開する動き(「新宿ミニ博物館」、「すみだ小さな博物館」「中央区まちかど展示館」など)が始まっているが大切な努力といえよう。これら動向が広がることを祈りつつ工房を後にした次第である。  

(了)

 参考にした資料:  

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