日本の技を伝える「木組み博物館」を見学

   ―日本の木造建築技法「木組み」に匠の技をみる―
           日本の匠と伝統産業を訪ねる(1)

「木組み博物館」外観

   今回、機会があって東京新宿にある小さな資料館「木組み博物館」を訪ねてきた。「木組み工法」は、古くから培われてきた日本独特の建築技法で、釘や金物を一切使わずに木の組み立てだけで築造できる大工技である。歴史的な社寺や城郭などの建設に広く用いられており、古くは奈良の法隆寺五重塔、薬師寺西塔などもこの工法で建てられている。今回、この工法がどのようなものかを知る貴重な体験をさせていただいた。この建築技法は、現在でも「宮大工」などに伝承され、一般建築のほか歴史的建造物の修復や神社や寺の建設に広く活用されている。法隆寺などでみられるように、この工法による建造物は、優雅で装飾にあふれ、且つ柔軟性と耐久性に富んでいる。これら貴重な建物群が千年以上経った現在でもしっかりした雄姿をみせているのは日本の誇る木造技術の証 といえるだろう。  

木組み展示室

 会場には、薬師寺三重塔梁柱の実物模型、木組み屋根の構造模型、各種木組みの実物例が展示されているほか、日本建築に用いられる塗り壁見本、屋根瓦、木彫り装飾梁見本などが観察できる。また、能舞台の構造模型もあり興味深かった。  今回、これを機会に「木組み博物館」の紹介を行うと共に、幾つかの資料を基に、「木組み建築の歴史」、「宮大工」の仕事や匠技について調べてみた。 

○ 木組み博物館 https://www.kigumi.tokyo/blank-c90d
東京都新宿区西早稲田2-3-26ホールエイト3階 電話/FAX : 03-3209-0430  

♣「木組み博物館」の内容と展示

展示された木組み「初重斗組」

  この博物館では、木組みを中心に大工、左官などの伝統技術のありようと素材を示す豊富な展示が手にとってみられる。会場は第一展示場と第二展示場に分かれており、前者では、大小の木組み見本、木組み屋根模型、木材見本、木組みの写真と解説パネル、後者では、寺社建築に実際に使用される建築工事技法の塗り壁、屋根材と瓦、漆、彫刻、各種大工道具が展示されており、全体として大工などの職人がどのような行程で作業を行っているかを見ることができる。 

西岡常一

 このうち、なんといっても目を引くのは展示は奈良・薬師寺三重塔の「初重斗組」といわれる木組みの実物模型である。これは、17世紀に消失した国宝薬師寺を再建した際、「最後の宮大工」といわれた昭和の名棟梁といわれた西岡常一氏が1981年に復元製作した記念すべき作品になっている。

各種木組みの見本展示
和風建築の大工道具一覧

  そのほか、木組み30点余りの木組み見本は、実際に手にとって触れることができ、組み立て構造が実感できる優れた展示である。   
  第二展示場では、和風建築に使われる各種大工道具、寺社建築の装飾となる“彩色彫刻作品” 錺金物“、茶室の空間設計や能舞台の音響効果の構造模型などが興味深い展示であった。(写真多数)

薬師寺三重塔の模型
木組みの屋根模型
多様な木組み見本

大柱の木組み
木組みの仕組み
和風の塗り壁構造
社寺の彫金飾り
社寺の彫刻例
和風木造建築に使う大工道具
能舞台の音響構造

♣ 木組みの構造と特色」

  博物館解説者の話によれば、「木組み」には200種以上の技法があり、このうち代表的なものは「継手」「仕口」で、前者は木材を縦につなぐものである、後者の仕口は原則直角に交差させてつなぐもの。このほか、枘(ほぞ)組み、相次ぎなどがあるという。それぞれの構造は下記の通りとなっている。  

 

木組みの種類は200以上!? (takken-job.com) https://takken-job.com/magazine/wooden-framework/
宮大工の匠の技と伝統構法で作る 本物の木組みの家​ | 愉くらしの家 (yukurashinoie.com) https://yukurashinoie.com/concept/concept-1/

「仕口」木組みの例
「継手」木組みの例
杉丸太の捻子組

<木組み工法による歴史的建造物の耐久性> 

京都・東寺金堂

  この木組み技術は、古く縄文時代から使われてきたものとされる。7世紀以降、大陸からの仏教の伝来により社寺建築に応用され、日本独自の姿で発達したものである。この木組み工法による建築は、木の持つ柔軟性と融合性、堅牢さによって、地震や衝撃に強く、木材の延長・補填が可能であり、解体・組み立て・増改築が容易である特色を持っている。これを活用し、日本人大工職人は数百年に及ぶ長い間建造物を維持保全してきた。これは日本の伝統的な匠職人が木組み工法を応用し発展させてきた結果であり、1000年の歴史を誇る法隆寺、先の薬師寺、京都の東寺などの歴史的建造物はこの代表であろう。また、この装飾性、美術性にあふれた社寺の概観は、木組み工法を中心とした日本的建築技法の特色をよく表している。

法隆寺の五重塔

 

 

<「心柱」構造にいよる耐震性と耐久性>

  「木組み」工法の一部といえるが、建造物の中心に長い一本の柱を貫いて建てる「心柱」構造も、日本の誇る独特の建築方法として強調されるものの一つである。この「心柱」のもつ建築物の構造は、法隆寺の五重塔によく代表される。地震国日本にあって、1400年以上も法隆寺の建造物が創建時の姿を留めているのは、その耐久性と堅牢さを示すものだろう。歴史上、五重塔や三重塔など、木塔は全国に500ヶ所以上あるといわれるが、地震で倒れた事例はほとんどないとい。1995年の阪神大震災でも、兵庫県内にある15基の三重塔は1基も倒壊していないのは、この建築法の有意さを示している。(http://www.torisumi.net/column/579/
(https://www.mirai-kougaku.jp/explore/pages/100201.php)より   

  このような日本建築の技法は、現在でも、数多くの歴史的建造物の新築、維持管理、補修などにおいて、「宮大工」職人達が活躍し、技術を伝承していることは忘れてならない。(この姿は神戸にある竹中工務店「竹中大工道具館」でも紹介されている)

♣ 宮大工の仕事と「金剛組」職人集団     

  この日本伝統の優れた木組み工法などの先端建築技術を伝承し、今も各地で活躍しているのが「宮大工」職人集団である。このうち、最も大きく歴史の長いのが「金剛組」職人集団といわれる。この金剛組は、世界最古の「会社」としても知られ、西暦578年創立、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わっている。1400年以上の歴史を持つ会社ということになるが、由来は、百済国から来訪した工匠の一人金剛重光が「金剛組」を創設したものという。まさに日本の建築史そのものである。最後の38代目「金剛組」棟梁金剛利隆氏は、2013年に89歳でなくなったが、多くの弟子達を残し。宮大工の技術伝統を今日につなげている。 この様子は多くの動画記録に残されている。

A: 金剛組沿革
B: 宮大工の技術をつなぐ
C: 現在の金剛組宮大工集団

 この「金剛組」宮大工職人達は、現在も各地の歴史的な神社や寺院の修復保全、新しい神社仏閣の建設に従事し、その伝統的な木材建築の匠の技を今につなげている。

金剛組宮大工達
天台宗那智山青岸渡寺新築工事(1971)
長岡天満宮社殿改修工事((1998)

♥ 訪問後の感想とレビュー  

薬師寺の夜景に生える「木組み」日本建築
宮大工の仕事

  新宿の郷土資料館の記事を見ていた中で見つけた「木組み博物館」であったが、予想以上に面白い資料館であった。日本の伝統建築技術の歴史を知る上でも大きな収穫であった。説明では、木組み工法は、3000年以上前の縄文時代にもあったという歴史的産物であるという。そして、年月を経て技法は順次進化し、日本独特の“味”を持つ建築法として定着していった。展示の内容は、こういった歴史を実物で感じさせる非常に興味深いものだった。

      また、「木組み」には多くの種類と特性があり、それぞれの建築箇所、組合せの妙によって木造建造物の耐久性堅牢さが増し、外観的にも優れた魅力を持つこともよくわかった。長い年月を経てなお健在な貴重な木造建造物の姿は、自然の木の持つ柔軟性と可塑性をうまく活用した「匠」の技が生きている証であろう。展示されていた薬師寺の柱や装飾梁は、その計算された力学的構造に加えて優美さを見事に顕している。これらを担ってきた「宮大工」職人達の技は建築技術の貴重な財産の一つといえる。この意味でも、世界最古といわれる“会社”「金剛組」の職人集団が、今でも日々技術の研鑽を続け、各地で活躍していることは力強い。この姿は、前述のビデオの中でも確認することができる。  また、この訪問後、日本の木造建築技術の背景や歴史、建築技術者「匠」の姿や道具、和建築の伝統美などを紹介している博物館「竹中大工道具館」が神戸にあることが分かった。これを機会に近日訪ねてみようと思っている。 

(了)

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