ー印刷の歴史と文化を語る小さな印刷歴史博物館ー
先日、貴重な歴史的印刷物を収集展示しているという私設の博物館があ
ることを発見して訪ねてみた。このミュージアムは、東京・入船にある中堅の印刷メーカー・ミズノプリテック社が設立したもので、日本の古代印刷物、室町・江戸時代の木版本、明治初期の印刷物、のほかグーテンベルグ以来の古典的活版印刷本を幅広く集め展示してい
る。また、印刷物だけでなく、欧米や日本で古く使われていた貴重な手押し式活版印刷機も数多く展示している。日本で最初の活版印刷機も展示されていて印刷の歴史をひもとく上では貴重な博物館となっている。決して大きな施設ではないが館内の展示は充実しており東京・中央区の「まちかど展示館」にも指定されていている。以下は、このコレクションの内容と博物館設立の経緯と意味を考えてみたもの。
◊ ミズノプリンティングミュージアム 〒104-0042 東京都中央区入船2丁目9番地2号
HP: http://www.mizunopritech.co.jp/04_museum/contact.html
♣ 貴重な印刷物と印刷本の展示
まず、展示されている貴重な印刷資料の内容からみていこう。
館内に入って最初に目に入るのは、律令時代、770年に日本で印刷されたという「百万塔陀羅尼」。これは年代のはっきりした世界最古の印刷物といわれるもので法隆寺に納められたものの精密な復元。木製の三重塔の中に納められている経文で博物館の目玉の一つとなっている。 また、敦煌で出土した仏像の型を取って信仰に用いたという「印仏」(8世紀)、パピルス文書(エジプト4-7世紀)、13世紀ヨーロッパのパーチメント文書、古活字を使った「日本書紀」(16世紀)、伏見版「貞観政要」(17世紀)などの展示が並んでいる。
次に目を引くのは、近代印刷のはじめといわれるグーテンベルグが世界最初の活版印刷機で印刷した「42行聖書」(15世紀)の展示。そして、「チョーサーの著作集」(15世紀)、「世界三大美書」の一つといわれる「ダンテ著作集」(19世紀)、「ダウス聖書」(19世紀)などがみられる。このグーテンベルグ
の印刷術は、後の宗教革命、天文学、医学、文学の普及などに大きな役割を示したことはよく知られるが、展示物によって、このことも確認できる。
さらに、明治になって日本で本格的な活版印刷術を導入してから、本木昌造と平野富二などが鋳造漢字を用いて印刷した数々の印刷本、福沢諭吉の「学問のすゝめ」、「特命全権大使米欧回覧実記」、「英文典」(慶応大学刊)などが豊富なコレクションが目に入る。コンパクトながら実に見事で教育的な印刷物展示と思われた。
♣ 直接に体験できる初期の活版印刷機展示
ミズノ・ミュージアムでは、印刷物だけでなく、印刷の技術進化に関わる
各種の用具・部品、そして活版印刷機械の展示も行っているのが魅力である。
古代印刷の源流となるスタンプシール、円筒印章、粘土板(シュメールュメール楔形文字)などのレプリカモデルのほか、朝鮮で使われたという木活字(17世紀)、日本の浮世絵版木(江戸時代)、ヨーロッパで盛んに用いられた銅板(18世紀)、そして、ハンド・モールド(活字鋳型)の父型、母型見本(17世紀)などが並んで展示してあった。
コレクション展示の中では、歴代初期の活版印刷機が大きな柱の一つである。まず、コロンビアン・プレス(手引き活版印刷機 1850年製造)、古典的なアルビオンプレス(手引き活版印刷機など歴史的な手引き印刷機が数多くみられた。これらは現在も使用可能で活版印刷の歴史を体感できる。これら展示の中でも、日本にとって印刷の歴史を語る上で重要な印刷機は、明治初期、平野富二が作ったといわれる国産第一号の手引き活
版印刷機である。これは本木昌造の意を受けて平野富二が東京の築地活版製造所で製作した活版印刷機で、「日本機械遺産」にも認定されている。館内では、この活版印刷機械で印刷した印刷物も目にすうことができた、印刷は非常に鮮明なものだった。
これら歴史的な印刷機と印刷手段の展示は、いかに人類が工夫を重ねつつ情報の伝達と知識の普及をはかり、社会・文化を発展させる手段を獲得してきたか、現在の文明にとって印刷と印刷物がいかに大きな役割を果たしつつあるかを暗示させるようであった。 また、切手コレクターである熊谷寛氏から寄贈を受けたという「世界の印刷に関する1000点の記念切手」コレクションも加わったとされており展示に華を添えている。
♣ ミズノ・ミュージアム設立の沿革と意義
この博物館は、ミズノプリンティングの会長の水野雅生氏が生涯かけて収集
した内外の歴史的な印刷物、印刷機械を自社ビルの一部に設置したもので、他に類例をみない貴重な展示館である。この設立の契機となったのは、印刷業を営む水野氏がヨーロッパに留学中、ケンブリッジ大学図書館で「百万塔陀羅尼経文」と出会ったことであるという。このとき、経文が現存する世界最古の印刷物であることを知り、印刷に携わる歴史の深さを自覚し収集と研究を始めたとのことである。 その後、グーテンベルグの42
行聖書はじめ貴重書の収集、日本の歴史的印刷物、明治以降の印刷の歴史紹介、そして1988年博物展示室の設置にこぎ着けた。特に、印刷所が、築地に近かったことから、日本近代印刷術の草分けとなった「東京築地活版製造所」の存在に注目し、これを紹介するとともに、使用されたアルビヨン型の国産手引き活版印刷機も入手して展示する。これは、現在、国の産業遺産にも指定され、国立科学博物館の「日本の1000の技術特別展」でも展示されている貴重なコレクションである。 この印刷機の対象となった
「築地活版製造所」は、日本ではじめて活版活字を開発した本木昌造の委嘱を受けた平野富二が明治6年設立したもので、これをきっかけに各地で活版印刷業が広がっている。
ちなみに、平野富二は、後に石川島造船(現在のIHI)の創業者となった事業家であり、また本木昌三は長崎出島の元通詞で、明治初期には長崎造船所の初代所長も勤めた人物でもあった。両者とも、印刷技術の振興だけでなく明治期の日本近代産業発展全体に重要な役割を果たした人物で
ある。 この二人が、いかに当時の社会近代化にとって印刷事業が不可欠と考えた産業人だったかがわかる。水野氏が情熱をもってミュージアムを立ち上げた理由も動機も、印刷の社会的意味への自覚と歴史の深さに触発されたことにあるのではいかと想像している。
♣ 訪問を終えての感想
ミュージアムは、印刷業が盛んであった築地の一角の瀟洒なビルの6階にあ
った。玄関にはグーテンベルグの肖像が飾られていて、連絡すると社長自らが案内してくれ館内を見学することが出来た。それほど広いスペースではなかったが、中にはびっしりと歴史的な印刷機と貴重な印刷物の陳列棚が並んでいた。これだけのコレクションを水野氏が一人で収集し、解説をつけ展示していることに驚きを感じざるを得なかった。水野氏からは、この設立の経緯や内容について説
明を受けたが、ミュージアムの内容の豊富さに驚くとともに、私設の展示館をこれだけ充実させた創設者の努力に感銘を受けた次第である。ちなみに、ミュージアムは「印刷の歴史と文化の博物館」と名付けてあった。まことに文化と歴史を伝える貴重な私設であると感じた次第であった。
(了)
Reference:
- Mizno Printing Museum (A Guide book)
- Mizuno Printing MuseumHP:http://www.mizunopritech.co.jp/04_museum/contact.html
- “PRITEC” (published by MIZUNO Pritech) 1989
- Fuji Film Imaging Information Vol. 5 (1990)
- “Beginning of Modern Printing in Japan” by Masao Mizuno (in Japanese)
- 「中央区まるごとミュージアム」2018
- 中央区まちかど展示館:https://chuoku-machikadotenjikan.jp/pdf/english.pdf
- 「機械遺産」特集・おふせっと100周年 (水野雅生)
- 印刷文化の流れに沿って (水野雅生) ⽇本印刷産業連合会
- ぷりんとぴあ 「 印刷の歴史」⽇本印刷産業連合会