―西陣・綴錦の芸術性を今日につなぐ貴重な博物館――
川島織物(現川島織物セルコン)は京都の伝統産業、西陣織物門企業の一つ。
この川島織物が日本の伝統的な染織技術と織り技術の粋を伝えようとして設立したのが「川島織物文化館」である。この文化館には、日本の歴史的織物作品をはじめ、世界各国から収集した多様な染織品が展示してある。特に、川島
の絵画を越えるほどの美術織物の展示が見事である。この秋、京都に旅行する機会があったので、ここに立ち寄り見学させてもらった。
そこでは、伝統的産業技術と芸術の融合が溶け合う日本独自の技・芸の結晶が感じられ感動したのをおぼえている。この訪問の体験記録。
○川島織物文化館 所在地:〒601-1123 京都府京都市左京区 静市市原町265
HP: http://www.kawashimaselkon.co.jp/bunkakan/use/index.html
♣ 川島織物とは、
川島織物社は、初代川島甚平衛が京都西陣で呉服悉皆業を開業していた1843
年までさかのぼる。その後、二代目の甚平衛が、1887年、「川島織場」を設立、伝統的な羽織地などから染織品を用いた新しい室内装飾、特に、芸術性の高い洋式の壁面装飾の世界に挑戦する。この中にあって、明治期のドイツ帝室に献上する織物、明治天皇の新宮殿の室内装飾などで成果を上げ、1904年には、セントルイス万博で日本式の室内装飾「若冲の間」制作などで注目された。こ
れらは、室内装飾という西欧概念に日本的感性を投影させた作品群として高い評価を受けている。現在では、和装呉服部門のほか、祭礼幕、舞台の緞帳、装飾カーテン、自動車シートなども制作する総合企業となっている。
しかし、なんといっても川島織物の名をなさしめたのは、芸術性の高い美術的織物の世界である。この基礎は明治の西陣織物の進化に見いだせる。
<西陣織りの浮沈と川島の挑戦>
江戸時代から明治にかけての京都の伝統的西陣産業は、幕末の戦禍と京都
貴族の没落で失速していた。こういった中、幾人かの織物業者は、新しい近代的織物産業の芽を見いだそうとフランスの織物工業の中心地リヨンを視察する。かれらは、ジャッガード織機での文様織り技術に注目し導入を図る。二代目川島甚平衛は、タパストリーに用いられるゴラン織りに注目、日本の西陣培われた「綴織り」技術を応用
し、手先の器用な日本人が絹糸を使って織物を作れば本場のゴラン織りに劣らぬ作品が制作可能であると確信したという。
この考え方を基に、1889年、京都三条に「川島織物参考館」を開設、本格的な「綴織り」の研究を開始した。これが後の「川島織物文化館」の基礎となっている。 ここで、川島は日本の織物の技術「割杢」(立体的に織りをぼかしで表現する)などを開発して新境地を開き、成果として、狩野芳崖絵画「悲母観音」の忠実な模写織物、パリ万博の「群犬」などの作品を発表して世界的な評価を受けた。
<技術の伝承と次世代への期待>
このように川島織物は、明治初期から、日本的美術の世界と織物という伝統産業を融合し、且つ、日本には数少なかった西洋式の室内装飾織物(タパスリーなど)を社会に定着させて、これを文化的芸術的価値の高い美術品として世に出していった珍しい企業の一つといえるだろう。「川島織物文化館」は、この芸術的成果と制作の歴史的展開を確認できる貴重な施設である。
また、この織物文化館は、「中央技術・文化センター」の一角に設けられており、川島織物の中央研究開発機構、伝統技術の手織りの工場、近代的な機械織りの工場、という技術の場に加え、教育・文化の場としての川島テキスタイルスクール、カワシマ・マイスタースクールも併設され、技術と文化。教育を融合させようという珍しい施設とも位置づけられている。
♣ 川島織物文化館の展示
<展示の概要>
川島織物文化館は、織物の研究のために、創業以来、上代裂、名物裂、中国裂、コプト裂、各種装束、衣裳など、織物文化の歴史を知ること
の出来る数万点のコレクションを蒐集してきている。ここでは、日本の古代からの織物、世界の染織品など8万点、日本の織物に関するコレクション2万点、綴織り絵画作品や織下絵など約6万点が収納しており、日本の織物研究の拠点の一つともなっている。このうち常時展示しているのは一部であるが、これらが、川島が世に出してきた作品と共に、時代と作品のカテゴリー毎に分けら
れてわかりやすく展示してある。このどれを見ても文化的に見ても貴重で且つ芸術性にあふれた作品群となっている。
展示は逐次変化しているようで全部が見られるわけではないが、川島関係の展示は、今回訪問時には、次のような構成になっていた。(1) 舞のシリーズ作品、(2)川島織物明治期作品、(3)装飾タペストリー作品、(4)和装・帯の作品などであった。
<芸術性にあふれた作品群>
(1)の「舞」は、古来から祭祀や饗宴で舞
われてきた「舞楽」を題材として作品群で、細かい図柄を絵画的に織り上げたもの。川島の最も得意とする分野であった。非常にあでやかで見た目には織物とは信じられない織りがなされている。
(2)の「明治作品」は、川島が本格的に製織をはじめた明治期に好んで用いたデザイン花鳥画の作品。ロシア・ ニコライ皇太子(ニコライ二世)が注文して作らせた作品も含まれている。
(3)は室内装飾用のためのタペストリー壁掛けの作品展示で、昭和後期の比較的新しいモダンなデザインのもの。綴織壁掛「吹けよ風」(1973)、「宇宙誕生」(1986)といった抽象画の世界が描かれた壁掛け織物である。
(4)の「和装・帯」は、江戸時代からの「丸帯」を対象にした衣装で、紋丸帯・綴丸帯・絽丸帯など織技法を駆使して作られた豪華な作品が並んでいる。 これらのどれをとっても芸術性にあふれた素晴らしい作品である。
(残念ながら館内での写真撮影は禁じられていたので、ここでは訪問記憶に基づいて殆どパンフレットなどの画像から引用して掲載した。)
<綴錦の技法>
文化館では、これらの作品群ほか、川島織物の発展の記録や製織に用いられた明治・大正・昭和の製作資料や室内装飾写真なども展示しており、文化的価値をもつに至った製織制作の歴史、技法発展のあとをたどることができる。また、館内では、川島織物が開発した「綴織り」の技法や実際の織り作業をビデオやパネルで紹介するコーナーも設けられていて、作品群の背景となる過程を知ることができる。
織物という衣装を室内装飾の世界に広げ、日本の伝統技法を応用して「織り」を絵画的芸術作品に高めた過程がよく分かる展示である。
♣ 訪問のあとで
この川島織物文化館を訪ねるのは2回目であった。1990年代、海外の
研修生を連れて京都を案内した際、訪れたのがこの文化館であった。西陣織は知っていたが、この織物が絵画的なデザインで精緻に作られているのを知って感動した覚えがある。特に、正面に展示してあった「悲母観音」の作品は、その後の記憶に深く残った。今回訪ねたときには、既に他の博物館に移されていたが、今回も、他の作品群に触れてひどく感銘を受けた。特に、明治の近代化工業化過程で、西陣という伝統和装を手芸と近代工業の融合によって新しい価値の「織物」を生み出していった川島織物の足跡を改めて認識することができた気がする。
(了)
参考:
- 川島織物文化館パンフレット
- 「美の体現 技の系譜」(川島織物文化館刊)
- {建築を飾るテキスタイル}(川島織物文化館刊)
- 川島織物文化館 (Kasahima Textle Museum) Home Page:
http://www.kawashimaselkon.co.jp/bunkakan/use/index.html
- 西陣織とは(西陣織工業組合)https://nishijin.or.jp/whats-nishijin
- 川島テキスタイル・スクール案内
http://www.kawashima-textile-school.jp/