―社会と市民生活スタイルを大きく変えたガス事業の歴史を語る博物館ー
明治の初め、突然、横浜、東京に出現した「ガス街灯」は、人々に驚きをもって迎
えられたと思われる。江戸時代、夜間の灯火といえば暗い行灯か提灯しか知らなかった人々にとって、西欧化・文明開化の「光」と感じたに相違ない。このことを深く感じさせてくれる博物館が東京・小平市にあるというので訪ねてきた。名前は「ガスミュージアム」で1967年、東京ガスが開設したものである。
博物館は歴史的な赤煉瓦の建物二棟からなっていて、一つがガス灯の展示、他が多様な家庭用ガス器具、各種ガス設備の展示となっている。また、屋外には明治期に使われたガス街灯が多数並んでいる。前者(ガス灯館)には、明治時代
使われた多彩なガス灯が記念物として豊富に展示してあり、後者の「くらし館」には明治から大正、昭和に使われた様々なガスストーブ、ガス調理器具、そして工業用タービンの見本などの実物が多く展示してある。そこでは時代が進むにつれてどのように、灯火、家庭暖房・調理の形がどのように変化してきたかを探ることが出来る。産業遺産に指定されているものもあり、非常に貴重な産業博物館であると感じた。
○東京ガス: ガスミュージアム 〒187-0001 東京都小平市大沼町4-31-25
HP: https://www.gasmuseum.jp/
♣ 珍しい展示物を見せてくれるガスミュージアム
<レトロなガス灯展示>
まず、「ガス灯」展示をみてみると、明治の初期に日本で初めて輸入され使用さ
れた珍しい「ガス灯照明具」が多数陳列されているのがわかる。鹿鳴館で飾られた「上向腕ガスランプ」、「英国製分銅伸縮ガスランプ」、花火のようにみえる「花ガス灯」、明治中期の洋館で使われた「壁掛式ガラス製腕ガスランプ」など多数が点灯した姿でみられる。また、19世紀にフラ
ンスでつくられた天使像が掲げる大型のガス・シャンデリアも珍しい展示物である。このガス灯展示棟では、灯火源としてのガスがどのようにして発明され、使用されるようになったか、日本での導入がどのように進んだかを解説する説明ボードも用意されていてガス灯の時代背景もよくわかる。
<ガス街灯のもたらす社会変化の錦絵>
また、館内には、明治期に多く描かれたガス灯に関わる「錦絵」が数多く展示され
ている。これをみると、当時の人々がどんなにガス灯を珍重していたか、明治になって街の様子がいかに変化してきているかが実感できる。明治期の社会生活の変化を知る上でも貴重と考えられる。博物館の構内ガーデンには、横浜で最初に点灯したという「ガス街路灯」も立っていて目を引く。これは博物館の重要展示物と位置づけられている。そのほか19世紀ロンドン、バリのガス街路灯など貴重なものが展示配置されている。
<ガス器具を展示する「くらし館」>
しかし、明治期に隆盛を極めたガス灯は、やがてエジソンの発明した電灯照明に主役が移っていく。電灯の耐久性が増しコストが低減したことが大き
い。こういった中で、ガス事業は次第に熱源利用へと進んで行くことになる。この変化を体現させてくれるのが「くらし館」である。ここでは、ガス燃焼器具が日本でどのよう形で受容され、器具の多様化と普及、技術の発展が家庭生活をどのように変化させてきたかが実感できる。特に、台所での器具の進化、暖房への応
用などが大きく注目できる点といえる。そして、熱源としては薪、木炭、かまどしかなかった昔さから、ガスの普及によって日本の家庭生活は革命的に変化した様子が展示物で確認できる。工業用のガス利用も時代を追って大きく進み、産業の近代化にも貢献していることも展示では触れられている。
<台所用品と暖房用品の変化>
まず、台所用品の展示では、古い時代からみると1902年に登場した日本式の「ガスかまど」、「ガスアイロン」、英国から輸入された「コルンビア二口七輪」(1904)などが貴重な展示である。暖房器具では「裸火ガスストーブ」(英国製・1900s)、日本独自の珍しい「ガス火鉢」などが珍しい。こ
れらは、当時、非常に高価で特定の階層でしか購入できないものであったが、人々に大きなインパクトを与えるものであった。
しかし、時代が進むとガス器具は広く使われるようになり、次第に一般家庭生活にも浸透し便利な日用器具へと変化していく。ちなみに、東京ガスの供給件数も1930年には60万件に達している。この変化するガス器具の様子は時代別の展示に詳しくみられる。例えば、昭和初期の風呂用の「はやわきガス釜」、家庭用「かに型ストーブ」、「卓上コンロ」などがみえる。また、戦後の高度成長時代以降になると、各種ガス冷蔵庫、ガス自動炊飯器、ガスストーブ、ガス風呂釜など今日つながる形に変化している。この間の技術進化もめざましく、熱器具の安全性安定性の確保、デザイン、使用法の簡便化が大きく進み家庭必須の家庭品として定着していったことがわかるだろう。一方で、後から生まれた電気製品との競合も生じ、次第に棲み分けがはかられるようになっていったのは注目すべき現象である。
<ガスの生産方式とガス原料の変化>
一方、ガス生産・供給システムの変化も展示では多く語られている。ガス生成
は、当初、石炭を蒸し焼きにして発生するガスが主流で、各地に工場が作られ配送された。このための煙害や残留物の汚染の問題も無視できなかった。しかし、1960年代以降、次第に石油精製による副次ガス生産に変化し大量なガス供給が可能となる。都会を中心に家庭生活で普及した都市ガス
であったが、一方で農村部や遠隔地ではその恩恵にあずからないことが多かった。これら地域に対し石油精製LPガスによるプロパンガス容器の個別配送(簡易ガス事業)も始まり、農村部にもガスが普及して生活つながっていること
も無視できない。 さらに、1970年代後半以降は、船舶技術と冷却設備の進歩を受け、液化天然ガスの直接開発輸入されるようになり、液化天然ガスLNGの
普及が飛躍的に進んだ。今日ではほとんどのガス供給はLNGにシフトしている。これらの過程も「くらし館」では、器具の進化とともに詳しく解説している。これら熱エネルギー源の技術進化と日用熱源器具の変化について展示物を通してみるのも面白い。
♣ 東京ガスの設立の背景と意義
<東京ガス会社成立と発展>
この博物館は、東京ガス社の設立した施設であることから、ガス
一般の歴史とともに社の発展の歴史も伝えている。また、同社は、日本におけるガスに関わった最初の企業であり、日本のガス事業の歴史を代表する存在でもあった。このことは博物館展示にも反映されている。 日本で初めてガス灯設置事業がはじまったのは1972年、横浜で高島嘉右衛門という実業家が手がけたものであるという。(余談だが、この高島は、「高島易断」の創始者でも知られる)その後、1974年銀座にガス街灯が点灯、1976年に東京府瓦斯局が生まれ、これを払い下げることで1985年東京瓦斯会社が設立された。
明治の社会近代化、産業近代化にとって重要な社会インフラの一つとして認識した渋沢栄一、浅野総一郎らによって創立されたものである。設立当時の中心はガス灯事業で、英国人アンリ・ブレランという英国技師が設計して東京・金杉橋に工場を作り瓦斯を
配送して、京橋、銀座にガス灯をともした。技術的には、当初の裸火ガス灯であったが、1886年に発明された灯火「マントル」技術により飛躍的に光度が増し、照明器具の需要が大きく躍進したという。このマントルを生産していた会社の一つが東京瓦斯電気工業(TGE)で、後に日野自動車となっている。博物館にはこの期のガス灯の人気ぶりを示す錦絵が多数展示されていて、当時の姿を垣間見ることが出来る。
<ガスの生産工場の拡大と縮小へ>
ともあれ、東京ガスは、他の林立していた瓦斯関連企業、例えば千代田ガスなどを合併しつつ大きく業績を伸ばした。しかし、東京ガスの本業はガス器具の開発ではなく、供給網の整備と資源開発にあり、
ガス器具の多くは初期には輸入が圧倒的に多く、その後は国内メーカーの製品に替わっていくことになる。ガスミュージアムに展示してあるのは、これら輸入か各種国内メーカーの製品が多くなっているのは当然であった。 東京ガスは、都市ガス用にガス源供給のため千住、深川、川崎、豊洲、鶴見など各地にガス工場を作るが、いずれも石炭燃焼によるガス生産方式であっ
た。しかし、前に触れたように、戦後はガス精製原料が石油に替わり、かつ液化天然ガス(LNG)と変わる中で、これら工場は次々に閉鎖されることになる。現在の博物館も、これら閉鎖された工場ないしは事務所を移設したもので明治大正時期に建てられた歴史的なものである。ちなみに「ガス灯館」は本郷にあった東京ガス本郷出張所(1909年建設)、「くらし館」は千住工場(1912年建設)の赤煉瓦の歴史的建築物である。
<生鮮市場となった東京ガス工場跡地>
また、こういった中で主力工場の一つであった豊洲工場は1997年に閉鎖され
た。跡地は東京湾ウオーターフロント・臨海副都心プロジェクトの対象となり東京都へ売却される。そして、2000年代、狭隘となった東京築地市場の移転先に指定され、2019年には都の手で新たな豊洲市場としてオープン。しかし、長く東京ガスが石炭燃焼方式によるガス生産を行っていたため燃焼残
渣や副産物の汚染がひどく、一時、土壌汚染・環境問題が浮上して大きな政治問題となったこともある。高度成長期に発生した多くの環境問題と同様に、明治以降、社会生活インフラを支え躍進してきた東京ガス躍進の陰で生じた負の一面を伝えるものであろうか。 現在は、この広大な跡地は、市場のほか緑の公園、商業施設などが整備されて新都市景観をなしているが、僅かに東京ガスの跡地であったことを示すように、地域内に「ガスってなーに」という子供向けの科学博物館が建てられていてガス利用の有用性をアピールしている。
見学の後で
博物館を訪ね展示物をみることで、明治以降、日本の社会インフラの一環とし
て整備されたガス事業が、どのように社会生活のありようを変え、産業の発展をエネルギー供給の面でどのように貢献してきたかを確認できた気がする。特に、歴史的に推移してきたガス器具の発展、熱源利用の技術変化、生活環境・住環境の変化が、展示物の構造・形態に反映されている姿が非常に面白かった。また、ガスと電気の市場競争と相互の棲み分け、石炭から石油、そして液化天然ガ
スへの原料変化、ガスの工業利用の形なども非常に参考になる。ただ、ガス事業のもたらした環境問題への言及が少ないのは気になるところである。 しかし、いずれにしても歴史的な赤煉瓦の建物環境をそのまま利用して、歴史的な展示物を配置し、明治以降ガス事業がもたらした社会生活、家庭生活の移り変わりを丹念に伝えているのは貴重と思えた。時間があるときに是非一度訪ねてみることを薦めたい。
(了)
Reference:
- Gas Museum (Tokyo Gas) HP: https://www.gasmuseum.jp/
- 東京ガスの歴史:https://www.gasmuseum.jp/about/history/
- 「⽇本のエネルギー、150年の歴史」資源エネルギー庁 https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/history1meiji.html
- 「ガスとくらしのモノがたり」GAS MUSEUM がす資料館
- 「東京ガスの歴史とガスのあるくらし」(高橋豊)<講演録>(2006 Oct.19)
- ガス業界の歴史 https://denryoku-gas.jp/info/gas/history-of-industry
- ガス事業の歴史を振り返る https://pps-net.org/column/32143
- 日本ガス協会 HP: https://www.gas.or.jp/