日本橋の小津史料館を訪ねる

―和紙工芸の魅力と老舗紙業「小津和紙」400年の歴史をみる

はじめに ―和紙の魅力と小津史料館― 

小津和紙本店の外観

 和紙は1000年以上の歴史を持つ日本の誇る伝統産業工芸品の一つでru。そのしなやかさと美しさ、強靱性、長期保存性から,広く文書、絵画、障子襖などの建具、工芸作品の素材として長く愛用されてきた。現在、紙需要の多くは大規模製紙業による用紙・印刷用紙に移っているが、和紙も様々なスタイルの工芸素材として好まれ、その種類と利用範囲は驚くほど広い。このことを強く印象づけてくれる資料館が東京・日本橋にあった。名前は小津和紙「小津史料館」。 昨年のことであるが、この史料館を訪ねる機会があった。

小津資料館の展示コーナ

 この施設は和紙メーカー「小津商店」のショウルームを兼ねるほか、和紙の魅力、多様さ、地域産業としての重要性、和紙製法の紹介などを幅広い展示活動を行っている。また、江戸時代から続く老舗企業「小津」の成長を跡づける歴史資料も数多く見られ、魅力ある資料館となっている。江戸期紀元の紙問屋という一企業の歩みのみならず、日本の和紙産業の発展、江戸から明治かけて日本橋商業者の変化・発展の姿を生き生きと伝えている。展示資料の中に示された松坂商人のルーツや紙のエピソードなども魅力の一つである。 

 和紙とはー史料に見る製法の歴史と特徴・魅力

小津和紙資料館に展示された著名な産地和紙

 日本に紙の技術が導入されたのは、7世紀のことであるが、10世紀になると日本独自の「流し漉し」という技術が生まれ和紙の普及が広がった。この製法は紙のしなやかさと墨付きのよさから平安時代から経文、公文書、貴族間の墨筆の文書紙(薄墨紙)、時代を下ると武士間の手紙文書として広く使われルようになる。また、耐久性、通気性に優れていたことから家屋の襖、障子などに使われ徐々に社会の中に定着していった。江戸期になると出版が盛んになったことから浮世絵、草草紙本などの文書紙としても多用されようになる。これら紙需要の拡大を受け、多様な和紙が地域特産品として各地で生産が促進される。また、各藩の専売品として振興され有力な地域産業ともなっている。

例えば、島根の石州半紙、岐阜の本美濃紙、埼玉の細川紙などが知られる。これらは、現在、その歴史的意義からユネスコの無形文化遺産にも登録されている。そして、この和紙の需要拡大と生産を受け、大消費地江戸では紙卸し商人が商域をひろげ大いに繁盛することとなる。日本橋大伝馬町に拠点を置く「小津家」もその一つであった。

小津商店に見る和紙の特徴と生産

 小津和紙商店では、和紙製品の展示だけでなく生産工程の紹介も行っている。よく知られるように和紙の主な原料は楮、雁皮、三椏といった日本にある自生植物で、これを丁寧に漉く工程で作られる。そして、この工程から生まれる独自の色合いと透明性、耐久性が特色である。このため、長く保存が求められる文書・絵画用紙(墨絵など)に重用されることが多かった。また、現在でも、高級な障子、襖、屏風など広く珍重され、また、文化財の補修材料になくてはならない存在となっている。

和紙製作工程展示

史料館では、これら和紙の特長を生かした多様な製品や使用例を実物で展示紹介している。展示品は、上記襖や障子のほか、和傘、包み紙、紙人形、照明具など多様で、中には和紙着物、バッグなどがあり種類の豊富さに驚かされる。

和紙の製作過程

また、和紙資料館では、製品展示のほか、和紙の生産工程に関する丁寧な説明や「紙すき」の実演も行っており訪問者を喜ばせている。私が訪問したときには、小型の道具を使った紙漉きの体験実施も行っていた。

紙商人としての「「小津和紙」の発展

 「小津和紙」は、江戸期の紙ブームを受けて創業、日本橋を拠点に大きく発展した老舗の紙問屋である。創業者は伊勢松坂出身の小津屋清左衛門長弘。江戸期の日本橋地区では多くの伊勢松坂出身者が商人として成功し財をなしたといわれる。特に、木綿、呉服問屋で成功したものが多い。後の三越となる越後屋呉服店も同じ伊勢松坂が出身地である。

浮世絵に描かれた江戸日本橋の繁栄

清左衛門の子孫は、その後、呉服、金融などにも進出し江戸でも有数の大店として知られるまでになる。その発展の姿は、伊勢商人成功の系譜を示すと同時に、江戸期の日本橋界隈の発展を着実に示すものであった。ちなみに、江戸大伝馬町は木綿店を中心とする商売の町として、その賑わいと家並みの立派さは錦絵のよい題材になっている。また、小津商店の成功は、江戸時代の松坂商人の歴史をよく示すもので、小津史料館は、日本橋地域の発展を伝えると共に、その事業展開の様子が詳しく語られている。

<日本橋松坂商人の系譜と小津家>

小津和紙の商い資料(和紙買い付け証書と産地証明の印章類)

 そもそも、松阪地方は、16世紀頃、戦国大名の蒲生氏郷が、自領の近江から沢山の商業者を招いて作った城下町であった。このため木綿の生産と商業が盛んで、伊勢商人として繊維品を中心に商域を広げ有力な商家となるものが多かった。松坂では、若くして大阪や江戸に出て商売の見習いをやり、やがて自前の店を開くのが立身の道であったという。小津和紙の清左衛門長弘もその一人で、15歳の時に江戸日本橋伝馬町の木綿問屋に奉公している。彼は長く修行した後、29歳に近隣の紙商から店を譲り受けることとなった。常々、長弘の商才に着目していた店の頭主と伊勢松坂出身の小津三重郎が資金援助を行っての結果であった。このため、長弘は屋号を「小津」として開業している。伊勢出身の商人は後進を援助し助け合うことが伝統となっていたのであった。また、当時、江戸の街では出版業が盛んになり、新しく紙商となった小津商店も、各地の和紙生産者との取引を広げて需要に応え非常な成功を収めた。

小津和紙360年の発展年表

 ところで、伊勢商人の商売の手堅さと独特な店経営はよく知られるところで、伊勢商人のネットワークを活用し、同業者組合を組織すると共に、組織だった人材配置や情報の共有、新規事業の展開なども積極的に行っている。彼らの会計システム「算用帳」は近代簿記に匹敵する精微さを持つものとされた。「小津商店」も、これらを積極的に導入し、強い集荷力と売捌力が呼応して商売を発展させている。また、江戸で問屋」仲間「十組問屋」が結成されると、その一員となり「十組問屋・紙問屋小津屋清左衛門」となって指導的役割を果たしていく。 これらの経過は史料館の展示に詳しく述べられている。

<その後の小津和紙の展開>

 江戸時代に商家として非常な成功を収めた小津商店も、幕末明治という新しい時代の節目に遭遇、大きく変容を迫られる。幕府の崩壊、行政・商業組織の変化、和紙から洋紙需要への移行、社会混乱などは、小津の経営にも大きな衝撃を与えた。こういった中で、小津は様々な変革を行うと同時に、明治政府に協力して「商法会所」への参加、和紙問屋を結集した「己卯壱番組紙問屋仲間」(己卯組)の結成なども行って発展の基礎を築いている。

<現代の小津和紙事業>

「小津細糸紡績所」 明治年間
小津和紙ビルのモニュメント

 ちなみに、小津は、明治年間に和紙事業のほか、「小津洋紙店」を開業、また、「小津細糸紡績所」も設立するなど紙業以外にも進出して経営の多様化を図った。戦後には「小津産業株式会社」に企業統合、1979年に「小津商店」となっている。現在は、電子工学分野や医療分野で使われる紙や不織布などを主力産業とし発展させている。しかし、「小津商店」は、創業の地日本橋大伝馬町に本社ビルを建設する際に、和紙の需要を維持発展させ、和紙の工芸品としての歴史的伝統を維持するため、1983年、「和紙博物館」(和紙資料館)を設立させた。また、1998年、この博物館内に、「小津」の起業の歴史を記すため「小津史料館」も開設している。  

小津家古文書類(小津江戸店の経営文書などを記した古文書)

 その資料館に所蔵する豊富な資料は、和紙の多様性、価値とその魅力を伝えると共に、江戸期の老舗商人企業の歩みを生き生きと伝えている。ちなみに、これら展示資料は東京都の登録有形文化財に指定されているものが多い。

あとがき

松坂・旧小津清左衛門宅(商人の館)
本居宣像像

 この小津史料館は、「中央区まちかど展示」をみて偶然発見して訪問したものだったが、その歴史的価値に改めて驚かされた。もちろん、史料館は「小津商店」の販売ギャラリーを兼ねており、和紙の普及と需要喚起を目的とするものだが、江戸時代の商人文化の一端を伝えるものとして非常に貴重であると感じた。とくに、日本橋商人が使っていた商売道具や書類、看板、帳簿類などは非常に興味深いものがある。また、伊勢松坂出身商家の系譜を伝えるものとしても興味深かった。ちなみに、三井財閥の基となった呉服店越後屋の三井家の生家、木綿問屋「丹波屋」の長谷川本家、小津清右衛門の本家も松坂市内に残っており、歴史遺跡の一つとなっていることもはじめて知った。また、江戸時代の有名な国学者本居宣長が、小津家の係累であったことや、著名な映画監督小津安二郎が小津家の子孫であるとなども新しい発見であった。この「小津史料館」訪問は、和紙の魅力を知ると共に、江戸期老舗企業の生の姿を知る上で、刺激に富んだものだったことを最後に記しておく。

(了)

参考資料: