トッパンの「印刷博物館」を訪ねて

    ー印刷技術文化の発展と社会変化の関係を語るトッパンの印刷博物館ー

print m- logo x-01 東京・文京区小石川にある印刷大手トッパン本社内に、世界と日本の出版文print m- outlook x-04化の歴史を展示する「印刷博物館」がある。私も、先月、この博物館を訪ねてきた。博物館では、印刷に関わる文字や図像の表現技術の発展、印刷と社会文化とのつながりなど幅広い視点で展示している。たとえば、古代オリエントや中国古代の印刷、日本の木版印刷、グーテンベルグに始まる西print m- outlook x-03洋の活版印刷、日本の近代的印刷技術の発展、現在の多様な印刷技術・文化の変遷がよく示されている。特に、総合展示室に至る回廊の壁面飾られた印刷物のレプリカは圧巻の迫力でる。
以下に、展示構成の詳しい内容と特色、展示に示された印刷の歴史、印刷と社会の関わりなどについて、展示に沿って考えてみた。

○ 印刷博物館所在地 〒112-8531 東京都文京区水道1丁目3番3号 トッパン小石川本社ビル
HP: https://www.printing-museum.org/

♣ 印刷博物館の展示構成

print m- illust x-09 博物館の展示は、プロローグ、企画展示、総合常設展示、印刷工房に分かれてPrint M- Outlook x-12.JPGいる。このうち、プロローグは、会場の入り口に近い回廊に置かれていて、壁面いっぱいに古代から現代に至る様々な形態の印刷物が飾られている。これをみると、いかに古くから人間は記録と情報・伝達・表現に知恵をしぼり、社会と文化を発展させてきたのがわかる。また、文字と印刷に関わるビジュアル映像解説や印刷技術の進化を示すミニチュアモデルも置かれてあり興味深い。ちなみに、このプロローグのテーマは(印刷文化を)「かんじる」となっていて、うなずける内容だった。

♣ プロローグで語られる印刷文化の歴史

print m- illust x-08 プロローグでは、印刷という技術がどのようにして生まれ、発展し、歴史を重ねてprint m- prologue x-01きたのかが語られている。これをみることで、印刷という人間の営みがいかに社会や文化の発展につながってきているかを自覚させられる。ここでは、有史以来の情報伝達の姿と印刷技術発展の姿が、歴史的な経過を示しながら展示されている。

最初にみられるのは、印刷以前の記録の姿を表した旧print m- prologue x-06石器時代の洞窟壁画、石や粘土、そして骨や木片に刻まれた碑文や記号で、人間が記録、情報伝達にいかに早くから取り組んできたかが示されている。また、紙に印刻する木版や金属版で紙刻印する初期の印刷が始まり、経文、様々な写本などが作られる様子もみられprint m- j print x-02る。コーランの写本、チベットの経文、日本の「百万塔陀羅尼」、中国の紙幣などである。15世紀になるとグーテンベルグによる「活字」印刷の登場、彼の制作した「42行聖書」も展示されている。また、印刷技術は多様な形で発展し、図絵、地図を印刷物に挿入する技術が大幅に発展することで、天文学、医学、動物学などの科学発print m- w print x-05展に多大な貢献をしたことが示される。 一方、日本では近世以降、木版製版印刷が様々な形で普及し魔除け札や庶民の説話集、浮世絵などが数多く印刷されたことが例示されていた。 また、壁面には印刷がより幅広く広がった現代社会の印刷世界の姿も詳しく展示されprint m- prologue x-05ている。 現代を特徴づける新聞雑誌、書籍のほか、漫画アニメ、ポスター、ラベル、カタログ、グラビアなど、印刷が社会の隅々までに浸透してきた姿がここにはみられる。このように、印刷技術の進化を社会と文化の発展の中で位置づけ、これを体系的に展示しているのがプロローグコーナーの魅力といえるだろう。

♣ 印刷技術と社会文化の関係を示す「総合企画」ゾーン

print m- illust x-10 この博物館展示の中心となるのは「総合展示ゾーン」である。ここでの主要なテーマとなっているのは印刷技術の発展とともに、それがどのように社会・文化の関わりを持ってきたかであった。これを順次みていこう。

<印刷との出会い>
  ここで、まず目につくのは、グーテンベルグ以来の手引き活版印刷機の現場と浮世print m- outlook x-05絵(錦絵)Print M- Outlook x-13.JPGの製作現場の再現コーナーである。ここでヨーロッパでの印刷技術の展開と日本で独自に進化した木製製版が対比させて展示してあるのは興味深い。
そこに続く展示棚の主要テーマは「印刷との出会い」であった。印刷によprint m- j print x-01る宗教や信仰の伝搬、文化表現としての印刷の姿が、世界と日本でどのように関連し合い発展していったかが語られる。そして、中国や日本の経文印刷、護符や引き札、木版画印刷などの複製が展示されている。前述の百万塔print m- j print x-03陀羅尼のほか、阿弥陀如来の印仏、大津絵、鯰絵、江戸時代の美人画浮世絵などである。次の「(印刷)文字」コーナーでは、活字による印刷手段の確立とその普及が、科学の進展、幅広い知識の共有をもたらし、大きな社会変化に結びついた点が強調されている。(グーテンベルグの)印刷技術がもたらした社会変革、日本の木版による蘭学書の普print m- w print x-11print m- j print x-05及、活字印刷による明治庶民教育、文学の発展などが例示される。先の「42行聖書」(1455)のほか、ガリレオの「天文対話」(1656)、日本の「群書治要」(1616)などである。近世の木活字による美しい草書体の「嵯峨本」なども珍しいものの一つ。また、17世紀の日本最初の銅製活字「駿河版銅活字」の現物や、明治になり本木昌造が作った金属活字による「新街私塾余談」(1872)なども展示してあった。

<色とかたちの「印刷>print m- w print x-08「印刷の)色とかたち」コーナーにおいては、文字印刷と組み合わさった図版印刷が科学や芸術文化の形成に多大な貢献をしたprint m- j print x-10ことが示されている。たとえば、図版印刷の普及が西欧や日本で動植物学や天文学の進展につながったこと、芸術表現の多様化、庶民文化の発展がもたらされたことである。 ヨンストンの「禽獣魚介図譜」(1718)、日本の「解体新書」(1774)などが展示されている。日本では江戸時代、浮世絵が精緻な木版により芸術性を高めたことはよく知られる。

<大規模化する印刷>print m- j print x-15  次にみられる「より速く、広く」展示では、技術の進歩により、新しい印刷方式が開拓されマスメディアの普及と新しい産業社会の形成がもprint m- outlook x-09たらされていることが展示を通じて示されている。特に、近年のデジタル化する印刷技術、高度で精細な印刷によるビジュアル世界の拡大が新しい印刷文化をもたらしつつあることが展示では強調されている。さらに「(印刷の遺伝子)では、デジタル化技術の進展により、現print m- new print x-1代では紙への印刷という枠を越えた印刷技術の応用が進んでいることも展示では示されている。また、印刷が一大産業に成長する一方、デジタル化の波は個人の情報伝達、印刷手法にも変革を促し、今では個人でパソコンやスマートホーンを使った印字、描画が可能になっている。この状況の一端も展示で示唆されているのは興味深い。

♣ 印刷を体験できる「体験工房」の魅力

print m- j print x-26 博物館の一角には、印刷を直に体験できる「印刷工房」が作られている。こprint m- outlook x-07こでは、各種の印刷に関わるワークショップ、学習が行われているほか、実際の活版印刷の体験ができる。また、活字とはどのようなものであるか、実際の活版印刷の作業はどのようなものであるかを歴史的な解説を交えながらの見学できprint m- outlook x-08るツアーも実施している。印刷の基本を知る上では魅力的な工房である。また、18,19世紀に使われた活版印刷機も据え付けてあり、これに触れて昔の活版印刷の様子を体感できる。これは博物館の大きな魅力の一つともなっている。

♣ 専門的な知識も得られる「企画展示」

print m- illust x-09 この印刷博物館では、話題性にあふれる「企画展示」定期的に開催している。現在開催されている(2018年11月~2019年3月)のは「天文学と印刷―新print m- j print x-27たな世界像を求めて」で、天文学はじめ様々な科学が活版印刷の普及によって革命的な変化をとげる様子を、当時の学者や思想家、実務家の著作や解説を通して示している展示である。ここにはグーテンベルグの印刷技術がいかに当時の天文学を中心とした思想・学問にインパクトを与え得たかが示されている。こういった企画展示は、年に一回位のペースで開催されてきている。今までの企画展示では、「キンダーブックの90年」(2017)、「武士と印刷」(2016)などがある。いずれも魅力ある企画と言ってよいだろう。

 ♥  訪問の後で考えたこと・・・

私は、若い頃、印刷屋でアルバイトをしたことがあり印刷技術には特別な関心があり非常に有用な博物館訪問であった。印刷技術が歴史的な進歩を遂げながら、それぞれの段階で様々な社会・文化、学術、教育の発展に大きな役割をもたらしてきたことを改めて実感した次第である。 この博物館訪問に関わって、展示に沿いながら私なりに日本の印刷技術の歴史的変化について付加的に記してみた。

(1) 日本の印刷技術の変遷:

     独自の道をとった日本の印刷技術の歴史の考察

print m- illust x-08 この印刷博物館では、活字による印刷技術の発展が大きなテーマとなっているが、日本はやや異なった道をたどった。日本では、近世初期に一度活字による印刷も試みられたが、やがて木版による製版印刷が中心となり独自の領域で印刷文化が発展してきているのである。このことに触れて展示内容を参照しつつ考えてみた。

<活字技術の導入>
Print M- J print x-30.JPG日本においては、仏教の法典または文書のほとんどが写本、木版によって印刷されていた。しかし、print m- w print x-02中国、朝鮮からの活字技術の受け入れを受け、徳川家康の時代、銅活字による印刷を試みて幾つかの印刷物を残している。このとき作成した金属活字が現在も残っており、重要文化財として印刷博物館に実物が展示されている(“駿河版銅活字”1607-1616)。これが日本における活字印刷の最初の応用例とされている。一方、同時代、ポルトガルのイエスズ会宣教師の手によってキリスト教伝道書が活字Print M- J print x-29.JPG印刷され頒布されていたことも知られている「“きりしたん版”印刷物 1590s-)。しかし、前者は、漢字文字数が多数に及び作業も繁雑だったこと、また、後者はキリスト教禁教措置のため中止となったことなどが影響し、やがて忘れ去られることになった。

そして、日本では、以来、独自の木版による印刷が興隆することになる。こういった中で作られたのが「嵯峨本」といわれる木活字による印刷物。これはひらがな交じりの木活字印刷による彩色を施した印刷本で「伊勢物語」や「徒然草」など優れた国文学書も含まれている。これらの本は後の国文学の興隆にもつながっていると評価され博物館ではこのうち幾つかを展示している。

<木版製版、版画美術文化の隆盛>Print M- J print x-23.JPG 一方、活字を使わない木版印刷も江戸時代には隆盛を極める。当時、精緻に作られた浮世絵版画や錦絵などが庶民の人気を集め、専門の出版社も出現して大量に印刷刊Print M- J print x-21.JPG行されている。博物館では、展示室内に「錦絵工房」を設けて木版の「彫り」や「摺り」の実演を行っているほか、浮世絵制作における多色刷り木版の実物も展示している。
print m- j print x-20 また、江戸時代には、人情本や世俗本なども多数発刊され庶民の読み物として普及していったほか、話題を呼ぶニュースを伝える「かわら版」といったものも庶民向けメディアとして人気を呼んだ。これらはすべて木版による印刷によって作成されたもので、江戸期の高度な木版印刷技術として定着していった。

<活字印刷への復帰>print m- illust x-12 しかし、明治期になり急速に近代化する社会変化の中で、従来の木版印刷では、拡大する社会情報需要や教育の普及には追いつかず、新たな活字印刷技術がprint m- illust x-13必要となってきた。そして、この機をもって大量印刷の可能な金属活字による近代的印刷の導入が迫られることとなる。このときの黎明期を支えたのがオランダから活版印刷技術を学んだ本木昌造であった。かれは、江戸時代末期から明治にかけて、数の多い日本漢字を独自の方法で鉛の活字を作り、「活字摺立所」print m- j print x-25をつくり活版印刷を日本で創始した。これ以降、日本では、従来の木版による印刷方法から大きく転換し、様々な学問書、新聞、教科書、証券類が西洋活版印刷技術をベースに作られるようになる。この間の印刷革命に至る経過は、博物館展示で発刊された本、書類などによって数多く展示されている。そこでは、近代的印刷技術の導入がいかに社会変化を促進していったかが示されていて興味深かった。

(2)  日本的印刷技術のもう一つの姿:

      ―日本の謄写印刷の普及とその社会性

print m- illust x-11 印刷博物館は大手活版印刷メーカー・トッパンの博物館であるため、日本で戦後盛んに行われるようになった軽印刷、謄写印刷についてはあまり触れられていなprint m- light print x-01い。しかし、この印刷方式は、印刷原紙とインクがあればどこでも印刷が可能な便利なもので、学校の教材やチラシなど少部数の印刷には最も適していた。これはパラフィン、ワセリンなどを塗った蝋紙に鉄筆で文字を書き、透過した部分にインクを乗せて印刷する「ガリ版」(謄写版印刷)とよばれた印刷方式であった。この原型は、エジprint m- light print x-08ソンが1890年代開発した「ミメオグラフ」であったが、これを明治年代1894年に発明家堀井新治郎が改良して作ったのが「謄写版印刷機」と呼ばれるものであった。これは原理が簡単で安価な上に、漢字数の多い日本語文書が自由に作成するため急速に普及した。博物館訪問を機会に、この印刷方式の意味を考えてみた。

<普及する謄写版印刷とその後>print m- light print x-03  1950〜1980年代には演劇や映画の台本、楽譜、⽂芸同⼈誌など、社会運動や教育、文化運動の一翼を担う「ガリ版⽂化」と呼ぶべき印刷文化が形成されたのprint m- light print x-02は記憶に新しい。その後、この方式はさらに進化して和文タイプライターによる印字、謄写輪転印刷機の導入などで少部数印刷では、最も一般的な印刷方式となって定着している。しかし、この分野でも技術変化は激しく、1985年ごろからはリソグラフ等の簡易印刷機の出現や電⼦複写機のコストの低下によって、今では⽇本でほとんど使われなくなっている。ただし、⼀部の演劇作家などがまだ使⽤しているとprint m- light print x-04いわれ、アニメなどの台本は近年まで謄写版で刷られていたという話である。現在でも、この謄写印刷は、電気などがない地域のアフリカやアジアの⼩学校などで多く使われているという話も聞かれ、まだ有用性は失われていないだろう。
このように、活版印刷を主流とする印刷文化の発展の一方で、このように簡便で社会性のある印刷方式が現存したことも忘れてはならないと考えたい。

(了)