日本郵船歴史館を訪問してみた

— 日本海運事業と幕開けと三菱財閥の生成をみた

NYK- Logo x01.JPG 先日、横浜にある「日本郵船歴史博物館」を訪ねてきた。そこには明治NYK- Maritime x14.JPG維新前後からの日本の海運事業が、政府の厚い支援を受けながら発展してきた様子がよく伝えられていた。また、これに先立って「三菱歴史資料館」にも立ち寄ったのNYK- Maritime x23.JPGで、三菱財閥がどのように日本郵船と結びつき、かつ海運事業から造船、機械、電機、そして金融・商事を発展させ日本を代表する財閥に成長していったかがよくわかった。これは両者を訪ねたときの印象記。

 

♣ 日本郵船歴史館の沿革と展示

NYK- Illust x16.JPG 「日本郵船歴史館」は、横浜港に近接する横浜郵船ビルの中に設けられてNYK- Maritime x07.JPGいる。この歴史館は、土佐藩士だった岩崎弥太郎が、明治初期「九十九商事」を継承、その後、「郵便汽船三菱会社」設立して海運事業に乗り出しした明治初年の黎明期の頃から、日本郵船に発展し、幾多の内国・外国航路を開設しながらNYK- Maritime x04.JPG今日に至る企業の発展を時代に合わせて展示している。また、日本の海運活動全体が三菱重工の造船事業の発展と歩み合わせつつ、三菱財閥として成長して一大企業グループを形成していった様子もよく示されている。

歴史館の展示は日本郵船の時代区分に沿って紹介されていた。要約すると、第一は九十九商事発足から日本郵船誕生前後までの黎明期、第二は本格的外国航路の開設の発展期、第三は戦争にNYK- Maritime x02.JPG動員された船舶とその被害を示す苦悩の時期、第四は戦後の海運事業の復活と発展を示す時代、となっている。(博物館の区分では1~9の展示区分)そして、各コーナーでは、それぞれの時期に使われた船舶の模型、操船道具や機械、写真・地図、海運関係資料などが時代解説とともに豊富に展示されている。このうち多くのものが「日本産業歴史資料」に指定されている貴重なものである。

♣ 歴史館の展示は・・・・

NYK- Illust x04.JPG九十九商事時代に使われた潜水桶(1870頃)、日本郵船設立命令書(共同運輸会社と郵船汽船三菱会社の合併を促した政府の命令書 1885年)NYK- Maritime x24.JPG、初の海外航路船高砂丸の模型 (1859年イギリスで建造、後に台湾出兵時にも使用された)、三菱⻑崎造船所が欧州航路⽤に建造NYK- Maritime x25.JPGした客船諏訪丸(1914)の窓枠、サンフランシスコ航路に使われた天洋丸(1909)のタイムベル、1929年に建造された豪華客船浅間丸の模型、北太平洋航路で運航の氷川丸(1930)で使⽤されNYK- Ships x07.JPGていた六分儀、太平洋戦争中マニラ沖で撃沈され、その後海中で発見された能登丸の残骸の銘版(戦争被害の象徴として展示されている)、NYK- Ships x05.JPGそのほか、近年の展示では戦後造船業の中核となったタンカー船の分解構造模型、最新の豪華客船“飛鳥“の詳細模型なども展示してある。

これを見るといかにして江戸期の鎖国日本が海運事業に乗り出し発展していったか、その中核となった「日本郵船」、そして三菱企業グループがどのように活動を拡大していったかがわかる。また、日本NYK- Ships x08.JPGの海運は一般の民間商船航路の開発だけでなく、造船と運航が日本海軍の活動と密接につながっていた事実も如実に示されている。そして戦時には、徴用により多くの船舶が軍用に転換された結果、多くの犠牲や被害を受けた状況が写真や解説で展示されている。このため館内には、大きな犠牲者慰霊像も展示してある。

♣ 三菱財閥の誕生・発展と郵船事業の系譜

NYK- Mitsubishi x03.JPG 日本郵船歴史館を訪問した後、三菱財閥の形成と海運業の関連をNYK- Mitsubishi x05.JPGより詳しく見ようと「三菱資料館」に立ち寄ってみた。この資料館は上野にある「三菱経済研究所」の一角にもうけられている。近くには明治期の「三菱旧邸」もあって三菱とはゆかりのある地域である。 この資料館には入り口には岩崎弥太郎の大きな像が置かれ、中には、年代別の三菱ビジネスグループの創業発展と拡大の系譜がパネルと写真、ドキュメントの形で簡潔に紹介してあった。

NYK- Mitsubishi x08.JPGよく知られるように三菱の創業は海運業と密接に結びついており、岩崎弥太郎が土佐藩の九十九商会を発展させ、政府の強力な支援を得て明治期に海運による物資輸送、軍事輸送NYK- Mitsubishi x06.JPGに乗り出したことが基礎になっている。特に、明治7年の台湾出兵の際に軍事品輸送に貢献したことが発展の契機となっている。その後も海運業では主導的な地位を築いたが、独占的な地位への反感もあり対抗する動きも浮上する。そして、渋沢らが主導する「共同運輸会社」対抗したが、やがて二社は合併し「日本郵船会社」が設立されている。しかし、新会社の元でも三菱の影響は大きく働き、新会社発展につながって今日に至っている。
NYK- Mitsubishi x13.JPGNYK- Mitsubishi x09.JPG このように海運で基礎を築いた三菱は、その後、九州の炭鉱業(高島炭鉱など)、長崎での造船事業(長崎造船所)、為替・金融業(後の三菱銀行)、倉庫業(東京倉庫)、などに事業を拡大し、やがて製造業にも進出している。この事業多角化の中心となったのは、NYK- Mitsubishi x11.JPG二代目の岩崎久弥や三代目の同久弥などであったという。彼らは、海運業NYK- Mitsubishi x12.JPGに基礎を築きつつ近代的経営者としてビジネスを拡大していった。
このように見てくると、明治初期、鎖国というくびきから離れて海外進出を図る海運業とそれを担う造船業の発展、やがて石炭・製鉄・鉱業開発の推進を通じて日本の資本主義が徐々に形成されていった姿が浮かび上がってくる。その意味で、海運業に最初に取り組んだ三菱はこの発展の道を忠実にたどっていたといえよう。

♣ 日本郵船歴史館に見るオーシャンライナーの系譜

NYK- Illust x07.JPG 先に述べたように日本郵船歴史館は、館内に多くの日本発の海外航路客船のNYK- Ships x01.JPGモデルとその記念品を展示している。その海外航路開発の嚆矢となったのは1896年の土佐丸で欧州への初航路となった。また、1908年には国産の天洋丸を太平洋航路に就航させている。豪華客船としては、その後の浅間丸(1929-)、秩父丸(1930-)などが有名である。歴史NYK- Ships x04.JPG館には、これら客船のスケールモデルが展示してあるほか、実際に使われた食卓、インテリア、記念写真などが展示されていて興味深い。NYK- Maritime x22.JPG

また、日本郵船が1930年から運航させた大型の豪華客船氷NYK- Ships x15.JPG川丸は、北太平洋航路で活躍しチャップリンなど多くの著名人も乗船したことで知られる。この氷川丸は、戦時には病院船に転用、戦後には帰国引き上げ船として使われるなど数奇な運命をたどった。現在は、横浜公園内に係留されていて日本郵船歴史館の付属施設となって公開されている。 私も、この氷川丸の船内を見学してきたが、内部のインテリアや客室、レストランなどはそのまま残されており、往時の太平洋航路の様子を偲ぶことができる。

♣ 戦争に翻弄された日本郵船の貨客船

NYK- Ships x06.JPG 日本郵船が運航させた貨客船の多くは、当初から軍事目的にも転用する方針の下に作られていたことNYK- Maritime x20.JPGもあり、多くの船舶は、戦時に徴用され軍事輸送に従事することとなった。このため、太平洋戦争中には、多くの人員、乗員、そして船自体が大きな被害を受け犠牲となった。歴史館では、この悲劇にも注目して多くの展示スペースを割いている。資料によれば、日本郵船NYK- Maritime x10.JPGで失った船の数は185隻113総トン(日本全体ではNYK- Ships x10.JPG2568隻総トン数840万トン)、犠牲となった社員乗員は5000名に上ったといわれる。乗船し犠牲になった民間人、軍関係者を入れれば膨大な数に上ると思われる。この象徴となって展示されているのが、空爆を受け沈没した能登丸から引き上げた錆びた船名板、および、当時の乗組員が語る沈没時の模様映像である。軍事徴用された上の貨客船の悲劇と戦争の悲惨さを物語っている。また、戦時中失った船舶の写真が展示されていたが、その犠牲大きさに改めて驚かざるを得ない。

♣ 戦後の海運事業の復活と発展

NYK- Illust x10.JPG 戦後の海運事業の復活は、戦時の壊滅的な被害と連合軍占領時の厳しNYK- Ships x11.JPGい統制から始まり決して楽な道ではなかった。戦後のこの時期は、海外復員者の帰還と日本沿岸のわずかな海事運航から始まった。しかし、朝鮮戦争による特需の時期から海運事業の復活は急速に進んだといわれる。そして、1950年代には、日本経済の復活とともに海運は産業インフラとしての大きNYK- Ships x09.JPGな役割を担うようになる。この動きを支えたのは、戦後日本造船業の復活とその元での新造船による貨物定期船の運航であった。この代表格は1951年就航の日本郵船の平安丸であった。その後次々に定期船が日本では運航されるようになり、1960年には、戦前の船腹保有量を上回るまでに発展している。日本郵船は、この中でも主要なNYK- Ships x13.JPG役割を担っていたが、定期船の運航に加えて中東などからの輸送を担うタンカー事業にも乗り出し多角化を進めた。また、1970年代からは、LNG船やコンテナ船も就航させ貨物輸送の効率化も進めている(日本発のコンテナ船箱根丸)。これらは日本全体の海運業の流れであるが、日NYK- Maritime x12.JPG本郵船は、その主導的な役割を果たしている。

一方、外国航路を運航する客船の就航は発展が遅れ、ようやく日本郵船でも1990年代に「飛鳥」が登場させていNYK- Maritime x19.JPGる。この客船事業は、欧米に比べて大きく後れをとっていたが、今世紀に入って客船ブーブが日本でも復活してきたことから、豪華客船「飛鳥II」が誕生している。歴史館では、この飛鳥IIをプロもションをかけてスケールモデルを展示しているのが目に入った。まだ、事業の一角をなせるかどうか疑問であるが、かっての夢を復活させようとの意気が感じられた。

見学の後で

NYK- Logo x03.JPG  横浜にある日本郵船歴史館を訪ね、また付属施設である氷川丸を見学しNYK- Maritime x05.JPGて、その後、上野にある三菱歴史館を訪問したわけであるが、この見学を通じて明治以降どのように日本で海運業が展開され、また、そこに基盤を築きつつ他方面に急速に事業を広げた三菱財閥のルーツを探ることができたと思う。日本は江戸時代の鎖国政策で海外との交易を禁じ、沿岸部を除いて大型船による海運を制限してきたが、明治以降の近代化・産業化の推進によって海運業のNYK- Maritime x21.JPG急速な振興を求められ、三菱はこれに応える形で企業を発展させてきた。これはまた海軍力強化を目指す政府の意向とも一致するものであった。その後、海運業の発展を担った日本郵船は一貫して商船活動の拡大をはかってきた。戦時における大きな被害と犠牲があったものの、戦NYK- Maritime x16.JPG後は日本経済の復興、高度生産成長、産業高度化と歩調を合わせた海外貿易で大きな役割を担ってきた。現在では、タンカー、コンテナ船、各種専用船で海運業の中核も担いつつ、戦前に盛んだった豪華客船の復活にも挑んでいる。そこには日本の海運業、特に日本郵船が、日本経済・社会の長期的な歩みと浮沈を体NYK- Illust x05.JPG現しつつ進んでいった様子が垣間見える。これは日本郵船歴史館の展示によく示されている。日本の海運の歴史を知る上では貴重な博物館であると感じられた。

(注)歴史博物館内の展示物の写真撮影は禁止されていたので、文章中の写真は、博物館の案内書、パンフレット、またはホームページの写真、資料などを参照させてもらった。

(了)

参考:

  • 「日本郵船歴史博物館」 案内書 (日本郵船)
  • 「三菱の歩み」 三菱史料館
  • A brief history of Mitsubishi (Mitsubishi Economic Research Institute)
  • 日本郵船歴史博物館HP: https://www.nyk.com/rekishi/
  • 産業技術史資料共通データベース:http://sts.kahaku.go.jp/hitnet/result.php?m=1100
  • 日本の海運史(日本船主協会)https://www.jsanet.or.jp/data/history.html
  • 近代日本の海運史を伝える ~日本郵船歴史博物館と日本郵船氷川丸〜(鈴木久美子)
  • 氷川丸 – Wikipedia
  • 浅間丸 – Wikipedia
  • 天洋丸級貨客船 – Wikipedia
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