東京・世田谷の「樫尾俊雄発明記念館」を訪ねてみた

  ―⽇本のデジタル技術のパイオニア・カシオ創業者の事跡を知るー

樫尾俊雄記念館の外観

 かねがねカシオの初期計算機、時計、電卓、音響機器の開発の歴史に関心があったことから世田谷にある「樫尾俊雄発明記念館」を訪ねてみた。カシオの技術開発の背景を知る良い機会となったことをおぼえている。 以下はこのときの見学の記録。

館内の主展示室

 記念館は小田急線の成城学園前から徒歩15分ほどのところにあり、閑静な住宅街が立ち並ぶ一角にある。記念館は、特別な建物ではなく、樫尾氏が住居兼仕事場として住んでいた自宅を記念館として改造し一般に開放したもの。それだけに、カシオ創立者の開発に関わった時の息吹や雰囲気が伝わってくる暖かみがある施設である。2012年に現在のかたちで開館した。カシオの製品群とこれらの開発にいたる歴史に改めて思いをめぐらすことができる。

〒157-0066 東京都世田谷区成城4-19-10  https://www.kashiotoshio.org/

♣  企業カシオの歴史と樫尾俊雄氏

カシオを育てた樫尾四兄弟

 カシオ”の正式社名は「カシオ計算機株式会社」で、基になったのは1946年に創立された小さな「樫尾製作所」である。この製作所は、創業者の子息四兄弟(樫尾忠雄・俊雄・和雄・幸雄)によって発展をとげ、電子分野の技術ベンチャー企業として現在の地位を確立した。その基となったのは、日本初の「リレー式計算機」の開発であり、その後の超小型電卓、電子式腕時計、電子楽器分野など幅広い商品部への進出である。また、この成功のカギの一つは技術開発力の斬新さであり、事業の発展を家族が一体となって成し遂げてきたという点である。この開発過程での俊雄の貢献は大きい。没後、樫尾俊雄の自宅が、カシオの商品と開発のエピオードと共に展示する記念館になっていることも納得できる。

<カシオの創業と計算機>

カシオ14A型リレー式デジタル計算機

 記念館の中をのぞいてみると、展示部屋は4つに分かれていて、創業期の頃のカシオ計算機展示、電卓と時計の展示室、カシオの楽器展示コーナー、樫尾氏の仕事部屋の部屋割りとなっている。展示では、カシオの生み出した数々の商品開発の歴史を探ることが出来る。まず、計算機の部屋には、会社カシオの発展の契機となった「カシオ14A計算機」の初号機の現物が展示されている。1970年代に製作されたこの計算機はまだ運用できる状態に保たれている。故障して動かなくなっていたものを関係者が修復し動かすようにして展示したという動体展示である。目の前で数十年前のリレー式計算機が音を立ててスムースに動いている姿は感動的でもある。その後、計算機自体は、超積載半導体(LSI)、液晶などの開発で「電卓」となりすべての計算機能が、一枚の板状のものに詰め込まれるようになったが、原点はこのような構造であったのかと実感できる。

♣  計算機「14-A型」の開発へ

14Aの開発者達の姿

 1970年当時、計算は手回し方式でしか出来なかったが、カシオの手でリレー式デジタルの機能を付加し、計算機能を机一つの大きさで出来るようにしたのは革新的発明であった。カシオの発明の原点、着想の新鮮さ目標へ不断の努力の一つの姿がここにもある。実際、発明者の樫尾俊雄は、新型計算機を構想した後、大変な試行錯誤の中で開発に邁進することで最後に成功に導くことが出来たと記されている。小さな製作会社に過ぎなかったカシオが、1970年代以降、革新的な製品を次々と世に送り出し、技術先進企業として成功した力の一つは、この「14-A」開発であり、計算機開発を基にした電子技術の応用力と商品開発の創造性であったと言われる。

♣  電卓の展示:数の部屋

Casio Mini
カシオの電卓一覧展示

 1970年代以降、エレクトニクスの発展により、電子式の計算機が飛躍的に普及するのは時代の趨勢であった。この中で、カシオは、技術開発の先頭をきり、シャープとの「電卓戦争」と呼ばれる開発競争に突入、主要メーカーとしての地位を獲得していく。このカシオの電卓開発の模様は、計算機コーナーの年次別電卓製作の展示物によく示されている。この中で特質されるのが、「カシオミニ」で数十万台の売り上げるヒットであったという。これが電卓戦争の契機となり、当初数十万円した計算機が後には一万円以下の普及商品となる基を作ったのである。

♣  電子時計展示:時の部屋

Casio Tron
G-shock

 カシオが次に進出したのは電子時計であった。当時、腕時計は外国時計か、主要メーカーであるセイコー、シチズンのものが独占的地位を誇っていた。しかし、カシオは、この間隙をぬって正確で相対的に安価なデジタル電子時計を市場に投入し成功させる。それがカシオトロン、G-Shockであった。これは電卓技術で培った全く新しいコンセプトの腕時計と市場で大きな評価を得て大きな反響を生む。それ以降、カシオは、従来の電卓メーカーから時計メーカーとしても活躍する企業となったことはよく知られる。記念館に展示してあるデジタル時計の製品群をみると、時代の先駆者を目指したカシオの技術展開の革新性が目の当たりに迫ってくる。

♣  音響機器展示:音の部屋

カシオトーン

 カシオは、これら計算機、時計分野にも飽き足らず楽器部門にも進出する。案内によれば開発者の樫尾俊雄は音楽フアンで、自分では楽器演奏できなかったが、誰でもどこでも音楽を楽しく演奏できる全く新しい概念の楽器を、音のデジタル化で実現しようとして開発に力を入れたという。これが「カシオトーン」となって結実している。楽器展示コーナーには、各種のトーン楽器がところせましと並んでいて、その開発意欲に感心させられる。特徴は、一つの楽器に何色もの音源を電子的に実現していることで、中にはクラリネットの形状をした多機能音源も展示されていた。

♣  カシオの技術開発と樫尾俊雄の仕事

 この「樫尾俊雄記念館」の中には、俊雄氏の仕事部屋を再現した「創造の部屋」が設けられており、氏の開発にいたる思索過程が垣間みせてくれる。ここでは、計算機や電子時計以外の新音響機器発明の作業光景も紹介されていて興味深い。これを見るにつけ、樫尾俊雄氏が、単に一企業の技術だけでなく、日本の家庭電子機器全体に大きく貢献した創造性のある技術開発・発明家だったことがわかる。ちなみに、氏は、1958年に東京発明協賛会会長賞、2000年には米国家電協会より生涯業績賞を受賞している。

最後に

 この記念館で見たカシオの革新的な商品群の多さには驚きをおぼえたが、それ以上に感動を受けたのは、俊雄氏の執務室にあふれる新商品開発への意欲と思索過程の雰囲気であった。館内の執務や展示パネルには手書きのメモが多く残されており、その一つ一つが新商品を生み出す努力とこだわりを示している。また、館内には、俊雄氏の「告白録」が展示されて氏の思考過程もたどることが出来る。これによれば、「できたらいいな」という思いが、「出来る」に変わり、それを信じて作り始めるのが常だった・・・・。」と淡々と述ているのが印象的であった。この記念館の魅力は展示品だけでなく、カシオの知的息吹が直に伝わってくる点であると感じた次第である。庭園内も散策できる魅力ある企業博物館であり、折りがあったら再度訪ねてみたい。

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参考文献

  • Casioホームページ(カシオについて) https://www.casio.co.jp/
  • カシオ計算機 https://ja.wikipedia.org/wiki/カシオ計算機
  • 日本の創業者列伝 ー 樫尾俊雄とは https://www.sophiat.com/biography/content_jp_great/樫尾俊雄
  • カシオの歴史 https://www.casio.co.jp/company/history/
  • 岡野 宗彦「カシオ計算機―電卓一発!驚異の成長 」 (ザ・会社シリーズ〈25〉(1980年)