―幕末・明治の横須賀製鉄所の役割とその後の横須賀港―
昨年、東京産業考古学会企画によるツアーに参加して、横須賀市にある旧「横
須賀製鉄所」周辺と製鉄所創設者フランス人技師ヴェルニーの「記念館」を見学してきた。現在の横須賀港の大部分は自衛隊と米軍の基地となっていて立ち入りができないが、海岸公園「ヴェルニー公園」からは対岸の旧「横須賀製鉄所」で使われたドックや港湾施設が確認でき歴史の変化を感じる。公園内に設立されている「記念館」には、設立当時の横須賀製鉄所の沿革や当時
の機械器具などが展示されていて、欧米技術に追いつくため幕末・明治にかけて近代製鉄の技術習得に並々ならぬ努力を傾注していたことがわかった。また、横須賀のその後の姿も確認できる訪問であった。これはこのときの訪問記録。
横須賀製鉄所(造船所)跡 紹介:
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2120/seitetsuzyo/main.html
♣ 横須賀製鉄所の歴史的意義
横須賀製鉄所は幕末の1865年に建設が始まった日本で最も古い造船所の一つである。 嘉永6年(1853)、米国艦隊提督ペリーが浦賀に来航し、開国を強く迫ったことを
機に、江戸幕府は日本の海防、特に江戸近海の海防の必要を強く意識した。そして、海軍力の増強目指し各地で製鉄所や造船所の建設を急速に加速させた。この政策の一環として建設を目指したのがこの横須賀製鉄所であった。伊豆の韮山反射炉建設、品川沖の台場砲台などもこの海防政策の一環として実施されている。
この時期、薩摩や長州の雄藩は英国に接近して造船・製鉄技術導入して海軍力強化を図ったのに対し、江戸幕府はフランスからの援助による造船所建設の方策を探ったとい
われる。そして、外国奉行・小栗上野介はフランス公使のロッシュと接触、上海に滞在していたフランス人技師ヴェルニーを招聘して建設に当たらせることになった。ヴェルニーは江戸周辺で水深が深く湾が入り組んでいる横須賀に目をつけて、小栗と共にこの地に製鉄所(造船所)を建設することを決定する。これが横須賀製鉄所(造船所)の起源である
ただ、製鉄所建設途上の1868年に江戸幕府は崩壊し製鉄所建設は頓挫してしまう。しかし、明治新政府もこの製鉄所の意義を強く認識し、明治政府の手で事業は引き継がれることになる。一方、技師ヴェルニーもそのままとどまって引き続き建設に関わり、製鉄所は1871年に無事竣工、名称も横須賀造船所と改められた。製鉄所(造船所)では、フランス経由で入手した大型機械を設置、外国造船技師もヴェルニーの手で集められ日本人職工の指導に当たらせて、ようやく製造を開始する。こうして始まった横須賀製鉄所・造船事業は、その後の日本の造船・機械工業の発展に大きく寄与することになる。
<横須賀製作所の明治産業近代化への貢献>
例えば、日本で初めての石造ドライドックの建設と運用、愛知紡績所のタービン製作、品川灯台(日本で初めての灯台1870年)、観音埼灯台の建設、富岡製糸所設立への貢献などが横須賀製鉄所の関わった事業としてあげられている。また、この製鉄所で作られたタービンが各地の水力発電所にも使われて
いる。そのほか、西洋建築に用いられる煉瓦工場の設立、メートル法の導入なども近代工業生産に関わる事業として知られている。
このようにして設立された横須賀製鉄所は、その後、海軍工廠として大型軍艦の建造に向かい、横須賀は海軍の主要な拠点軍港としての色彩を強めていった。この横須賀で建造された主な軍艦には、清輝、山城、三笠、陸奥、巡洋艦妙高などがあり、日清・日露の海戦にも活躍している。このようにして、横須賀製鉄所は、明治以降海軍の主要軍用船の建設基地と変貌し、現在は米軍基地の一部となっているなど時代の変化を映し出していっている。
♣ 横須賀ヴェルニー公園の景観と遺跡
このような製鉄所の歴史と横須賀の発展を象徴する場所としてあるのが、横須賀港に面した歴史公園「ヴェルニー公園」である。対岸には、横須賀造船所のドック
の姿や海上自衛隊の施設や米軍基地の一部も見通せる。園内には、横須賀製鉄所建設の立役者小栗とヴェルニーの胸像、海軍逸見波止場衛門跡、戦艦陸奥で使われた主砲、海軍の碑のほか、ヴェルニーの功績を偲ぶ「ヴェルニー記念館」が建てられている。 記念館の建物は、急斜面の屋
根と石の壁と小さな窓、屋根に突きで出た煙突などベルニーゆかりのフランス・フブルターニュ地方の特色を生かして作られている。 横浜市民のヴェルニーに対する愛着を示すものといえよう。
また、公園には、横須賀製鉄所ドックの案内板があり、現在の造船ドックの様子が遠方からではあるが確認できる。この公園は、平成13年に横須賀の発展を象徴するものとして整備され、現在、観光拠点、市民の憩いの場として親しまれている。
♣ ヴェルニー記念館の展示
ヴェルニー記念館は、幕末から明治かけて横須賀製鉄所の建設に当たったフランス人技師フランソワ・ヴェルニーの功績を称えるため、平成14年
(2002年)に設立された。 館内には、ヴェルニーや小栗の年譜のほか、横須賀の近代化遺産の紹介、横須賀製鉄所の建設の経過、製造現場の状況などがパネルで詳しく紹介されている。
館内の主要な展示物としては、慶応元年(1865年)にオランダから輸入された大型のスチームハンマーがある。スチームハンマーは、蒸気(スチーム)を動力として加熱した金属素材を鍛造する工作機械で、日本では横須賀が初めて使用されたものとされる。当時の製鉄加工と機械製作活動の様子
を示す貴重なもので、現在、国の国指定重要文化財に指定されている。また、横須賀造船所で大型の鉄機材をつり上げるため使われたガントリーク一ンの部材の一部も展示されていた。そのほか、スチームハンマーの動力模型、軍艦陸奥の模型、横須賀製鉄所で実際に使われた機器・部材など、製鉄所建設当初の様子がよく分かる展示である。
♣ 見学を終えて
このように、ヴェルニー公園とその記念館は、幕末から明治にかけての日本の造船・機械の技術発展を見る上での貴重な施設であると感じさせるもの
であった。幕末に建設された横須賀製鉄所は、明治政府の手で造船所、そして海軍工廠として大きくなっていくが、これを背景として横須賀、そして横須賀港は、その後、海軍軍港としての役割を高めてく。現在の横須賀も、また、米国海軍第7艦隊横須賀基地の存在が大きく、また、海上自衛隊の基地があるなど、戦前からの引き継いだ軍港としての存在がクローズアップされることが多い。しかし、日本の産業発展、特
に、初期の産業近代化過程で見たとき、横須賀製鉄所の果たした役割は民間部門の技術発展においても大きかった。明治期における富岡製糸所はじめ紡績工場の設計、動力源機器の製作、造船を中心とした機械工業の発展、近代工場システムの導入などは、横須賀製鉄所(造船所)が生み出した一つの成果であろう。現在、横須賀にある日産自動車追浜工場の自動車も横須賀港から輸出されている。
ペリーの来航から、幕末、明治、そして昭和に至る波乱の日本の近代史の一コマ、日本の産業史の見る上でも貴重な見学体験と思えた。
(了)
参考:
- ヴェルニー記念館HP:http://www.museum.yokosuka.kanagawa.jp/exinfo/verny-map
- 「ヴェルニー記念館」案内パンフレット
- 「ヴェルニーと横須賀」(ヴェルニー記念館)
- 「小栗上野介と横須賀」(ヴェルニー記念館)
- 近代日本のルーツ横須賀製鉄所」観光パンフレット
- 「横須賀製鉄所の事跡を訪ねて」白石健一(東京往古学会講演資料)
- 「横須賀の軍事遺産」観光パンフレット