鳥羽のミキモト真珠博物館を訪ねる

ー 養殖真珠のルーツとミキモトの名品パール作品をみる

Mikimoto M- Logo x01 ミキモトで知られる三重県鳥羽市真珠島の「真珠博物館」を訪ねてみた。真珠島Mikimoto M- Museum x04は御木本幸吉が初めて養殖真珠の開発の成功した記念すべき場所で、伊勢志摩地方の観光スポットの一つともなっている。博物館では、真珠の構造や性質、真珠養殖の仕組みや育成、宝飾加工などを詳しく解説展示している魅力の場所であMikimoto M- Miki treasure x01る。また、有史以来、真珠がどのように宝石Mikimoto M- M history x08 として珍重されるようになってきたかを貴重な歴史的作品群とともに紹介している。歴代のミキモトが製作してきた見事な真珠美術工芸品のコーナーもあり訪問者の目を引く施設となっていた。宝飾のデザインや真珠の歴史、真珠の魅力や構造を知る上で貴重な博物館である。 この島には、養殖真珠を普及させた御木本の「御木本幸吉記念館」もあり、併せて見学することで日本の真珠宝飾産業の発展の歴史も探ることができる。(記念館については、別の記事で紹介)

♣ 真珠博物館の概要と展示

Mikimoto M- Museum x03 博物館の展示は、全部で四つのコーナーに分かれていて、最初は、有Mikimoto M- Museum x02史以来の天然真珠の装身具や宝飾の展示紹介、次に真珠のでき方や真珠養殖ついての科学的説明展示、宝石として仕上がっていく真珠加工工程の解説、そして真珠メーカー・ミキモトの歴代の美術工芸作品展示と言う構成になっている。 また、養殖真珠については、博物館スタッフが養殖作業・加工について実物を用いて解説してくれるので、真珠の仕組みがより詳しくわかるのも魅力である。この展示を博物館の構成に沿って紹介すると次のようであった。館については、別の記事で紹介)

♣ 真珠の歴史と宝飾作品

真珠のとれる真珠貝には、アコヤ貝、黒蝶貝、白蝶貝があるといわれ、このうちアコヤガイMikimoto M- Illust x07が最も養殖に適し珍重されている。これらの真珠貝は、比較的深い海の底に生息すMikimoto M- History x01ることから深く人間が潜って採取しなければならず、天然の真珠は非常に貴重な「宝石」の一つであった。また、その虹色の光沢は人々のあこがれや富や権力の象徴とされ、古くから貴重な装身具として用いられてきたという。博物館では、この真珠の歴史とともに富Mikimoto M- Illust x12裕なヨーロッパ貴族の紳士淑女が身につけてきたという天然真珠の宝飾品を数多く展示している。
たとえば。古代ローマ時代のイヤリング、ルネッサンス時代のペンダント、ムガール王国時代のネッMikimoto M- Treasure x01クレス、19世紀ヨーロッパのシードパール、ゴールドジュエリー、カメオブローチ、20世紀初頭のアールヌーボー風のネックレスなどである。Mikimoto M- Treasure x02どれを見ても見事な宝飾ジMikimoto M- Treasure x04ュエリーの世界で真珠の魅力があふれている貴重品である。Mikimoto M- Treasure x03一方、中国や日本では、天然真珠がジュエリーとともに薬用としても使われていたことも紹介されていて興味深かった。
Mikimoto M- History x03Mikimoto M- Illust x02 こういった天然真珠が19世紀後半位から、独占的な特定富裕層の装身具から、養殖真珠の出現により魅力ある宝石として広範に使われるなっていったという歴史も面白い。こういった天然真珠と養殖真珠の競争や変遷過程は非常に興味深いものがある。

♣ 真珠貝の構造と真珠養殖の仕組みは

博物館では、真珠貝が真珠を作り出すメカニズムと英虞湾での養殖真珠の仕組みを詳しく解説している。

<貴重な天然真珠>

Mikimoto M- Akoya x01Mikimoto M- Illust x06 真珠貝では、貝の外殻の内側に「外套膜」という層があり、これが貝の呼吸や海水吸収を通じて貝殻を形成する仕組みになっている。この外套膜の細胞が何らかの形で欠落し、これが「核」となって袋状の組織(真珠袋)を形成するが、この袋からは光沢のある分泌物が結晶し層状になMikimoto M- Natural x01って成長していきやがて真珠になっていく。美しい貝の内側のぬめりのある七色の光沢層と同じ成分である。このようにして出来たものが「天然真珠」と言われるものである。この天然真珠は非常にまれにしか生まれず、かつ円形の美しい球状真珠は非常に珍しく、ダイヤやルビーなどと同様、高価な装身具として珍重されてきた。

 

<新しい宝石となった養殖真珠>

Mikimoto M- Illust x13 一方、養殖真珠は、この真珠貝外套軟体部に人工的に作った「核」を移植して、そMikimoto M- History x07.JPGこで真珠袋を形成させて真珠を作る仕組みであるとされている。しかし、この工程は非常に難しく、世界で長く試みられていたが成功せず、日本が明治時代初期に初めMikimoto M- Culture x01て成功した養殖工程であった。これを事業として成功させ、養殖真珠を天然真珠と同様の美的価値のある「真珠」として普及させたのが鳥羽の商人“御木本幸吉”であった。
しかし、この養殖過程は長く技術的にも困難を極めたものだった。 現在は科学的にも研究が進み、効率よく真珠貝の養殖を行えるようになったが、それでも課題は多いようである。Mikimoto M- Process x03
まず、貴重な真珠貝の母貝を数多く集め、海中で増殖させる必要がある。このためには稚貝の選別、収集、貝の育成、増殖を長い期間行う必要があった。
Mikimoto M- Process x05 また、「核」を慎重に貝に埋め込んだ後、比較的深い海中に長期間にわたり沈着させ養生させねばならない。この成功率は決して高いものではなく、多くは死滅するか真珠を生成するのが困難なものも多かったといわれる。また、海中での作業が必要であるが、この困難な作業には当時英Mikimoto M- Process x06虞湾で働く「海女」があたった。後には、海中に筏を浮かべてその下に真珠貝を付着定置する工程を導入することで、大量に真珠貝を養殖できるようになり、海女の負担も減った。

養生した真珠貝は、陸上に引き上げ(浜上げ)て、貝から真珠を採取、選別する工程と進む。現在でも、浜上げした真珠貝Mikimoto M- Process x07のうち、約半分は死滅、17%は不良、真性真珠は約5%にすぎないという。次には、この真珠を宝石として仕上げる工程となる。ここでは色、光沢、大きさ、形状などの養殖真珠の厳密な検査・選別があって、やっと商品として市場に出回ることになる。Mikimoto M- Process x02

真珠博物館を訪問することで、宝石としての美しい真珠がMikimoto M- M history x11生み出される過程は、このように実に細かく辛抱強く繊細な作業がつづいていることが理解でき、あらためて真珠の価値を見直すことが出来た感じがした。 ひるがえるに、前世紀まで超富裕層にのみ限られて使われてきた天然真珠が、日本の開発した養殖真珠出現のおかげで、まだ高価とはいえ天然真珠と同様の色調と光Mikimoto M- History x04沢、美しい真珠が一般にも手に入るようになったのは僥倖といえるだろう。 戦後日本が連合軍占領下にあった当時、米軍将校があらそってこの鳥羽の養殖場を訪れ、ミキモト・パールを求めたという話は有名である。それだけMikimoto M- M history x08にこの日本の養殖真珠は、商品としても非常に価値が高く外国人にも人気があったし、当時、主要な輸出品となっていたことがわかる。

 

♣ ミキモト・ジュエリーの歴史と名品

Mikimoto M- Illust x03 真珠博物館では、御木本幸吉の事績とともに、その真珠作品を数多く展示していMikimoto M- Miki treasure x03る。そのハイライトは、世界各国の産業博覧会に出品して話題を呼んだ真珠の美術工芸品である。

Mikimoto M- Miki treasure x04 そこには西洋にはない美的感覚を踏まえた独自のデザイン性が込められていて高い評価を受けている。展示してあったのは、明治43年(1893)の「軍配扇」、大正15年(1925)の「御木本五重塔」(フィラデルフィア万国博 1925)、「大型帯留め・矢車」(パリ万博 1937)、「自由の鐘」(ニューヨーク万博出展 1939)などである。1990年制作の真珠をちりばめた「地球儀」も目を引くものであった。これらはミキモトの真珠美術制作の粋を示すものであると思われる。Mikimoto M- Miki treasure x05

一方、発足当時のミキモトの作品の多くは「半円真珠」で、これを他の宝飾品の一部として取り込んだものが多かったようでMikimoto M- Treasure x09ある。ミキモトは、この半円真珠で櫛やかんざしなどの髪飾りをつくり宝飾品として商品化していた。しかし、真珠の供給量も増え「真円真珠」が出来るようになると次第に高級なヨーロッパ風デザインの作品に近づき、養殖真珠の価値が高められていった。この当時の作品で高い評価を受けたのが、上記の「ミキモト五重塔」である。Mikimoto M- History x06

こういった経過の後、ミキモト・ジュエリーの評価はこれまでになく高まり、真珠のネックレスや耳飾り、ブレスレットなどで真珠の世界メーカーとして成長し、今日の声望をえている。この確かな証拠がこの博物館のミキモト名品展示といえるだろう。

♥ 最後に・・・・

Mikimoto M- Museum x06 このように世界的真珠メーカーとなったミキモトは、現在、直接の養殖真珠採取はあまり行われておらず、主として外部調達した真珠をデザイン、加工、販売する総合企業となっている。これは伊勢志摩近海での環境汚染の進行や赤潮などMikimoto M- History x05の影響などもあり、かつミキモト真珠の販路が拡大して養殖真珠の供給が今や世界に広がっていることなどがあげられている。従って、英虞湾はいまや養殖真珠の中心地ではないが、日本の優良な養殖真珠の生誕の地として、また、ミキモトの事業創業の地としての歴史的意義が備わっているといえるだろう。また、真珠養殖をめぐっては、その環境負荷が世界中で大きな問題になっているということも聞かれる。こういった中で、地元養殖業界でも、「一粒の真珠」といMikimoto M- M history x10うNPOを2003年に設立して海中の森を作り、海の環境を改善しアコヤガイの生育を促す活動を始めているという。英虞湾を巡る近年の新しい注目点であろう。 今や観光地となった真珠島という嘗ての養殖真珠のメッカを訪ね、贅と美、工芸と宝飾の歴史、産業と環境など、人と真珠の関わりの深い部分に触れた気がした。 なお、ミキモト事業の成り立ちや御木本幸吉のことについては「御木本幸吉記念館」の紹介で詳しく触れるつもりにして  いる。

(了)

参考文献など:

 

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