海上保安庁の海洋情報資料館を訪ねた

ー日本周辺の歴史的な海図と貴重な海洋観測機がみられる

海洋情報資料館概観

 東京のお台場地区に海洋データ、海図に関する珍しい資料博物館があることを発見した。最近、日本近海の領海問題などが問題となっていることから、どんな資料があるのかと興味を持って訪ねてきた。名前は「海洋情報資料館」である。海上保安庁が運営するもので、日本近海の海図、海底地形図、海洋測量器具、歴史的な海洋図などを展示している。もともとは海軍水路部が収集していた資料を、戦後、海上保安庁が引継ぎ、2002年に資料館として一般公開されたものである。

歴史的に貴重なものも多く、ペリー艦隊 による東京湾の観察海図の複製、伊能忠敬の海辺地図、日本初の釜石港の海図のほか、明治以降使われてきた潮流や海底地形を観察する測定器の実物、観測船の模型など珍しい展示品がみられる。また、また、最近の地震や津波なのによる海面の変化を伝えるものもあり貴重である。 館内は、歴史的な海図を展示するコーナー、測定器などのコーナー、海洋情報観察の歴史を伝えるコーナーなどに分かれていて、海図の役割や調査機器の変遷を見て行く上で有力な資料館となっている。

海上保安庁・海洋情報資料館
https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KIKAKU/kokai/kokai.html

以下に主な展示物を紹介してみる。

♣ 海図の展示コーナー

<明治時代以前の海図>

 このコーナーには江戸時代初期に幕末にかけて作られた各種海図がいくつも展示されている。  これらの海図は、ポルトガルやオランダ人から学んだ航路の方位と海岸線が描かれていて貴重なコレクションとなっている。資料館が展示して主な歴史的な海図を見ると、江戸初期の沿岸航路を調査した「海瀕舟行図」、天保年間の航路案内記「改正日本船路細見記」、長崎海軍伝習所で作られた測量図などで、この頃から海洋情報に関心が集まっていたことがわかる。ただ、鎖国下であったため測量は沿海部の極く近い範囲に限られていた。 一方、幕末ペリー提督が来日した際に測量した成果を基にアメリカで出版された海図 ”Bay of Yedo” (江戸湾海図)が展示されていて興味深い。また、幕末から明治にかけて英国によって観測された海図などが鮮明な複製図で展示されており、開国を迎えて欧米各国も独自の手法で日本海域を観測していたことがわかる。この時代は、日本には近代的な測量技術はなく、日本による海図は作られていない。

<明治以降の海図>

五島浦福江港玉之浦之図
日本で作成された海図第一号「陸中國釜石港之図」明治5年(1872)

  そして、開国で海外との交流が深まるにつれ、国防、海運業発展の観点からも海図作成の必要が高まり、次々と日本人技術者による海図作成されるようになったことがわかる。その一つが、「大日本海岸実測図」、「色彩海図(瀬戸内安芸海岸)」である。これらは石版や銅板で発行され海事関係者の間で広く使われた。館内には、これらが解説付きで展示されていて、当時の港湾の様子、航路設定の状況が垣間見える。

明治初期の各種「大日本海岸実測図」
鹿児島湾の海図(明治7年頃)

北海道東部の海図(明治7年)

  <その後の各種海図>

西ノ島観測図の展示

  その後、時代が進むにつれて日本でも日本人の測量による海図が多く作られるようになっていった。 しかし、海図は民間の船舶運営者だけでなく、軍事上の重要な意味をもったことから、軍事機密とも密接に関連するものとされた。このため海軍所管で作成されたものがほとんどである。大正3年(1914)の「日本海軍航空図」、明治30年の「秘密海図」、昭和13年(1938)「浮彫式海図(軍機海図)」などがこれに当たる。これらの一部は展示館で閲覧出来る。また、昭和、平成年代には海運の発達により東京湾ほかの各種海図も作成されていく。このうち、「大東京鳥瞰写真図」なども目を引く海図資料である。 最近の海洋地形の変化を示す太平洋上の「西ノ島」の海図も貴重なものである。

♣ 海洋測定機器の展示

初期の海洋測量資料具

 歴史的な海洋測定機器の展示も貴重である。古いものでは、六分儀‘三粁分度器、星球儀、スティックチャートなどがあり、昭和に入っては「気泡六分儀」、「天体用経緯儀」、海の深さを測る(音響測深機)、「潮候計算機」、最近のものでは海の深さを測る「航空レーザー測深記」や「自立型潜水調査機」などがあり、それぞれ簡単の解説を付して展示してある。また、海洋調査を実施するための測量船の模型と写真も展示してあり目を引く。これらは最近、地震や津波、海難防止などの目的で使われることも多いという。

♣ 海洋測量・海図の歴史と人物

伊能忠敬の功績を示す展示

 資料館では、海洋測量・海図の歴史についても概要をパネルの形で詳しく展示している。日本では、鎖国前の江戸初期に簡単な航路図は作られていたが、本格的な海図への取組が開始されたのは江戸末期といわれる。欧米各国が開国を求めて日本沿岸に出没するようになり、幕府も国防の必要から海図の作成を試みたことがわかる。1821年(文政4年)には、日本の地形図を仕上げた伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図(伊能図)」もその一つ。また、幕末には「長崎海軍伝習所」で五島列島などの測量図も作られた。しかし、本格的な海洋測量・海図作成に取りかかるのは明治以降である。

 すなわち明治2年には、同上の「海軍伝習所」で航海術を学んだ柳楢悦が、海軍省で塩飽諸島の測量により「鹽飽諸島實測原圖」を作成している。また、明治5年、日本初の海図「陸中國釜⽯港之圖」も刊行された。その後、海洋測量・海図は海軍水路部の所管となり、次々と海図が作成されていく。 この中心人物となったのは前述の柳楢悦で、日本人による測量技術の確立と海図の普及に努めているなど「海洋観測の父」と呼ばれている。この柳の功績と活動は、資料館の展示パネルで紹介されていて詳しい。

 近年、海洋測量・海図事業の重点は、航路標識よりは、水深、底質、海岸地形、海底危険物観察に重点が移り現代科学技術を用いた海洋調査が狩猟となっている。このため、海底地殻変動調査、海底活断層調査、海域火山調査、海洋汚染の調査などが積極的に行われるようになっている。。この状況は、現在の「海洋情報部の取組として詳しくパネル・写真などで展示・紹介されているので必見である。

おわりに

今回、海洋情報資料館を訪ねてみて、改めて日本の海と人々の関わりの深さ、海洋情報観測の重要性を理解することが出来た。また、海上運行にとって重要な海図の内容、海洋観測の歴史ついてもが知ることが出来たのはうれしい。また、海図作成に必要な天文、潮汐、潮流、海底地形などを観測する貴重な機器が豊富に展示されており、海洋観測技術の変化も理解することが出来たと思う。海洋観測の目的も、時代を経て変化発展してきており、展示されたパネルや資料からは、海図情報が、現在では単なる航路図だけでなく、広く地震、災害、環境問題にも役立っていることを知り新鮮だった。 海と人との関わりを知るには非常に貴重な資料館だと思えた。なお、この資料館のある海上保安庁海外情報部では、海事情報の発信も行っており船舶関係者には必須の情報源となっている。

(了)

参考文献:

  • 海上保安庁海洋情報部「海洋情報資料館」案内パンフレット
  • 海洋情報部の沿革(海上保安庁)
  • 『海図の世界史』 歴史を変えたのは海図だった 宮崎正勝 (新潮選書)
  • “日本水路史”(昭和46年 日本水路協会発行)
  • 海の道しるべ海図の誕生 (海図アーカイブ 日本財団)https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KIKAKU/kokai/kaizuArchive/birth/index.html
  • 柳楢悦とは 海図アーカイブ 日本財団)
  • 明治初期からの海図棟の資料が明らかにーOcean Newsletter-(日本水路協会・熊坂文雄)https://www.spf.org/opri/newsletter/285_1.html