長崎・ 出島とシーボルト (1) 出島訪問

   歴史劇場「出島」を訪ねて日本の近代化のルーツを探る

 はじめに

dejima-logo-x01  江戸時代の日本は200年間鎖国によって外国との通商、交流を絶っているなか、唯dejima-old-x01一、長崎・出島でのみ西欧との情報、交易の細い糸をつなげてきた。しかし、この周囲600メートルにも満たないこの小さな出島を通じてもたらされた西洋の情報や知識は、その後、日本の政治社会の近代化のあり方に大きな影響を与えた。近年、この歴史意義が再認識され、この出島の復元事業が進んでdejima-restoration-x02いる。
私も、今回、復元の進む出島を直接訪ね見学してきた。現在、最終段階にあるようで昔の出島の姿を取り戻しつつあるように見えた。また、復元によって歴史観光史跡としても完備されつつあり、近代以前の日本dejima-old-x06の対外貿易、交流の生きた姿を味わうことができる。また、この出島の医師で学者として名も高く、日本の知識人に大きな影響を与えたシーボルトの記念dejima-siebold-x01館も近くにあり、彼の足跡をたどることが出来る。
以下は、このときの出島復元の様子と記念館を訪問したときの印象を記した。

なお、出島については、英文を含めた詳細なホームページが作成されていて参考になる。
  ¶ 出島ホームページ http://nagasakidejima.jp/
  ¶  出島復元プロジェクトホームページ http://www.city.nagasaki.lg.jp/dejima/en/index.html

 

♣ 「出島」とは – 鎖国から開国・近代化への羅針盤

dejima-old-x02  「出島」は、江戸幕府が外国人、特に西洋人を隔離しつつ貿易をdejima-illust-x02行わせようとして設けた番外地で、現代風に言えば「経済特区」のようなものであったと思われる。オランダは、当初、長崎の平戸に商館を置いていたが、江戸幕府の命により、1641年長崎に新たに作られた「出島」に強制的に移され幕府直轄のもと貿易活動を行うように指定された。
そして、珍しいことに、この出島は「出島商人」という民間人が請負って共同出資して作った人工島であり、オランダdejima-old-x03商館が賃借料を払う形で運営されていた。この「出島」商館は、当時、アジア全域で貿易を行っていた「オランダ東インド会社」の一拠点でり、この出島を拠点として、日本は銀、銅などを輸出し、生糸、砂糖、香料などを輸入していたという。

しかし、貿易以上に重要だったのは、この出島を通じて、西洋の科学技dejima-rangaku-x06術、特に医学が“蘭学”として普及していったことである。出島に寄留する「商館医」が医学知識を若い医師に伝え、それが全国に広がった。日本学者としても有名なシーボルトもその一員である。
また、商館を通じて西洋の書物も数多く輸入され、欧米の新知識も蘭学者によって各地に伝えられdejima-illust-x06た。この過程で、重要な役割を果たしたのが、オランダ語通訳者「通詞」であったという。この出島通詞は、単なる通訳にとどまらず日本の蘭学者に新知識を提供する触媒の役割も果たしている。また、オランダ商船は、西洋事情を伝える「風説書」というものも提出しており、これも「通詞」の翻訳を通じて日本に外国情報も伝えられていた。

こうして出島は、1859年に日本が開国するまでの200余年、「西洋に開かれた唯一の窓」として貴重な情dejima-rangaku-x02報や知識もたらす貴著な場所となった。また、幕末から明治にかけて近代化の道がdejima-illust-x03進む過程で人材面でも重要な「学習」と「交流」の場を形作っていた。特に、出島から発出する西欧の医学や天文地理、軍事、社会制度の知識を広げた幕末のインテリ層は、社会改革の有力な人脈を形成し、合理的思考と自由・平等の思想は明治維新を推進する大きな力となっている。この意味でも、長崎という唯一外国に開かれた町、特に、出島の歴史的意義は高いと思われる。

♣ 歴史史跡・出島の復元へ

dejima-restoration-x03 長崎・出島の歴史的意義が確認されるなか、戦後、これを復元しようという動きが強まった。そして、オランダの要請もあって昭和30年代には復元プロジェクトが構想された。ただ、出島自体はdejima-restoration-x04市街化と埋め立ての結果原形も失われており、復元には多くの困難があったようだ。
しかし、昭和27年には復元に着手し、出島史跡内の公有化から始まり徐々に施設整備がはじめられていった。そして、昭和50年代には本格的な復元計画がはじまり、綿密な調査dejima-restoration-x01の後、1996年(平成8年)度から約170億円かけて出島の本格的復元事業が始まった。
復元事業は、短期と長期の二期に分かれ、短期では基本的構造物と土地の復活、長期では、完全な人工島・出島の復元となっている。また、短期事業は、さらに三段階に分けられ、筆者の訪ねた2016年は短期事業の最終段階にあったようだ。dejima-restoration-x05

こうして、徐々に形を表しつつある昔の「出島」の姿は、江戸時代から明治にかけての日蘭外交史、また、日本近代化の歴史の証人としてdejima-illust-x04の意味を伝えているように思える。また、この復元で近代化以前の昔の日本の姿を内外に紹介する新たな観光施設としての意義も高まっているといえるだろう。

 

♣ 歴史劇場としての出島

では、この復元されつつある「出島」の姿をみてみよう。

dejima-w-gate-x03 まず、西玄関口に当たる「水門」は復元で新しく作ったもので、出島の対外交流の歴史を示す象徴として位置づけられている。この門をくぐると、すぐ左側に掘り割dejima-loading-house-x01りがあり荷物の上げ下ろしに使われた作業小屋がみられる。ここは貿易品の品や量を検査するスペースだったようで、秤や運搬具が置いてあった。建屋は二階になっており商館員の居室として使われたという。この建屋内で港の水路から荷揚げして貿易品の処理に当たっていた昔の出島の姿が蘇ってくるようであった。

また、この対面には「カピタン」呼ばれた商館長の居室だった建物がある。dejima-capitan-x06現在は、この居宅には綺麗に内装も施され出島最盛期の商館の生活様子を示す展示dejima-capitan-x02が数多く配置されている。室内には賓客を迎えた時の料理テーブルも配置されているほか、当時の珍しい調度品もみられる。この隣に少し小ぶりの建物があるが、ここは出島に
出資した町人「出島乙名」の詰め所跡となっている。一階には、彼らの仕事ぶりを紹介した展示があって、訪問者は出島で日本人がどのような活動をやっていたのかを理解できる。

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次には「ベトル」と呼ばれる商館幹部の建屋が並んでいて、現在は、随時開催する企画展のスペース、ミュdejima-loading-house-x02
ージアムショップとなっている。 また、道を挟んだ左側には幾つかの倉庫が並ぶ。このうち「一番蔵」は土蔵造りの倉庫で貴重な輸入品であった砂糖などが保管されていたところ、「二番蔵」は染料などが保管されていたという。この二番蔵では、「貿易と文化の交流」というテーマの貿易品を紹介しており、当時、どのdejima-warehouse-x04ようなものが貿易取引されていたかがわかる。

また、少し離れたところにオランダ人の貿易書記が使っていた事務所跡があって、現在「蘭学館」と呼ばれていて、日本に伝えられた「蘭学」がどのようなものであるかを紹介する展示館となっている。当時の測量、航海術、医学などに使用された多くの器具、機械類を観察できる。dejima-trade-museum-x02

dejima-rangaku-x05 さらに奥に進むと石造りの倉庫がみられるが、これは1865年に建てられた石倉で、現在は「考古館」とよばれている。この建物の中では、出島における「オランダ通詞」の役割を紹介するビデオが放映されていた。「オランダ通詞」は、先の述べたように、出島での貿易業務を仲介したほか、日本の知識人に西欧の進んだ知識や科学技術を伝える重要な役割を果たしたことで知られる。

そのほか、出島構内では、明治以降の建物、長崎在留の外国人と日本人の社交の場となった「旧長崎内外dejima-club-x01倶楽dejima-seminary-x01部」、明治11年(1878)に建てられた日本最古のプロテスタント神学校「旧出島神学校」などがみられる。また、構内の広場にはシーボルトが作ったという植物園もあり、彼の事跡とともに出島の四季に色あいを添えている。

また、東側の出口近くには、昔の出島の姿をあらわした15分の1の野外模型「ミニ出島」が作られていて、最盛dejima-illust-x05dejima-mini-x01期の頃、出島がどのような姿をしていたかを確認できる。

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♣ 出島訪問の感想

dejima-logo-x02 こうして出島全体を巡ってみると、江戸時代の初期から幕末まで、そして、明治の開国以降、日本とオランダ、そして西欧の国々とどのような経済・貿易、文化の関係を築いてきたのdejima-restoration-x02かを、時間軸をおって観察できる歴史劇場を見るようである。そして、この出島を通じて形作られた知識によって、近代日本の社会がどのように変化を遂げてきたのかを痛感できる。
現在も進められている復元事業がさらに進み、歴史劇場としての「出島」が、さらに魅力あるものになることを祈らざるを得ない。

(パート1 「出島」訪問 おわり) see Next: 「シーボルト記念館訪問」

 


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