長崎の世界遺産を訪ねるー長崎造船所ー

世界産業遺産、九州・山口を巡る ③ 長崎の世界遺産遺跡

長崎造船所の事跡と関連世界産業遺産の意味

♣ はじめに-長崎造船訪問に思ったことー

nagasaki-zosen-kibaba-01  長い間鎖国の状態であった日本は、19世紀になると欧米からの海洋進出の脅威にさらされるようになる。こういった状況を踏まえ、江戸幕府は、これまでの大型船製造禁止の措置を緩めた。そして、幕府並びに西日本の有力大名は軍艦として使える大型船の建造を開始する。山口のnagasaki-zosen-illust-x07萩、薩摩、佐賀は、それぞれ独自の方法で大型帆船をオランダの技術書を参考に建造した。一方、幕府は、軍艦の操船と建造技術を習得させるため長崎に「海軍伝習所」を設置し技術訓練を行っている。

nagasaki-zosen-denshu-x01これら一連の動きが、その後の日本の造船産業技術や船の動力となる蒸気機関の発展を促すきっかけとなった。この中心的役割の一つを果たしたのが「長崎造船所」とその関連施設である。この役割が評価され2015年には「世界産業遺産」に登録された。私は、この長崎に立ち寄ることがあったため、今回「世界遺産」指定されたこれらの施設や跡地を見学してきた。特に、長崎造船所の歴史を展示する「史料nagasaki-zosen-entrance-hall-x01館」を見学させてもらい、日本の造船技術のルーツや初期のエピソード、その後の発展の軌跡など多く学ぶことが出来た。この記事はこのときの訪問記録である。ただ、「世界遺産」に指定された関連施設は8カ所あるが、長崎造船所が、まだ現役稼働の工場であることから非公開となっていて見学できなかった。ただ、写真や解説などは入手可能だったので、「長崎造船所」の歴史的経緯と日本の造船業技術開発の曙について「史料館」の展示と共に記してみた。

 ♣ 「世界遺産」指定された8つの施設と史跡

nagasaki-zosen-illust-x04日本の造船業並びに機械産業の礎となった長崎県内の施設と史跡としては次のものが重要であるとして、ユネスコは「世界産業遺跡」に登録している。それは、①旧グラバー邸、三菱長崎造船所内の、②「小菅修船場跡」、③「第三船渠」、④「占勝閣」、⑤「旧木型場」、⑥「ジャイアント・カンチレバークレーン」、三菱系の炭坑⑦「高島炭坑跡」、⑧「端島炭坑跡」となっている。

<長崎造船関連遺跡>

このうち、①のグラバー邸は、幕末から明治にかけて活躍し、貿易取引を通じて日本の産業近代化に大き
nagasaki-zosen-glover-house-x01献したトーマス・グラバー氏の屋敷跡で長崎の観nagasaki-zosen-glover-x01光名所の一つともなっている施設である。グラバーは、三菱長崎造船所の設立に貢献したほか、「小菅修船場」「高島炭坑」の開発に協力している。「小菅修船場」は日本最古のスリップドックといわれ1869年に建設された。蒸気機関動力で大型船を陸上に引き上げ修繕改修を行う大切な施設であり、その後の同様施設のモデルとなった。また、「第三船渠」は1905nagasaki-zosen-wh-crane年に建設された大型船舶のドライドック(大型乾船渠)で現在も稼働している。⑥の巨大クレーンは大型機械の上げ下ろしに使用する電動クレーンで1909年に建設、100年後の現在でも使用されているという。「旧木型場」は船舶鋳物を作るための「木型」を製作していた工nagasaki-zosen-wh-kosuge
nagasaki-zosen-wh-dock-3場で1898年に建設された。長崎造船内の現存する最古の建物であるが、現在では工場としてではなく長崎造船で使われていた工作機械、船舶資材、建造船の歴史写真などを展示する博物館とnagasaki-zosen-wh-guest-houseなっている。「占勝閣」は創生期を含めて多くの実業家・政界人の迎賓館として使用された。いずれの施設も、三菱長崎造船所の基幹施設で、どのように日本の造船業と建造技術が展開されてきたかを物語る歴史証人であると思われる。

 

(炭鉱の遺跡>

一方、造船と並んで初期の重要産業であった石炭産業の史跡も長崎には多く残っている。高島炭坑nagasaki-zosen-wh-takashima島炭坑である。当時、蒸気船の発展にともなって燃料としての需要が高まり石炭を供給するため近代的装備を備えた炭坑が求められた。これに合わせ日本最初の蒸気機関による「竪坑」として「高島炭坑」が開発されたという。「端島炭坑」は、これを引継ぎ島全体が炭鉱となる大規模な採炭を行った。nagasaki-zosen-hashima-x01明治中期から採炭が始まり三菱財閥の主力炭鉱なった。戦後1974年まで操業していたが閉山後は無人島となった。近年、この端島は「軍艦島」と称され観光スポットとしても注目されるようになっている。このほか九州には炭鉱としては大牟田市周辺の三池炭鉱があり、長崎の三菱系の炭鉱と並んで1970年代までは主力石炭産業の担い手となっていた。この三池炭鉱については、別な日に訪問しているので、後述するつもりにしている。

 ♣ 造船産業発展の先駆けとなった長崎造船の事跡

長崎造船所の原型は、江戸幕府によって1861年艦船の修理工場を目的としてとして建てられた「長崎鎔nagasaki-zosen-n-ironwork-x01鉄所」である。その後、「長崎製鉄所」となり、明治政府が発足してからはしばらく官営で運営されていたが、1884年三菱合資会社に払い下げになり現在の三菱重工業長崎造船所となった。

これ同時に大幅に設備の増強がなされ本格的な造船工場となっている。これに先駆けて日本で大型蒸気船建造を試みたのは薩摩と佐賀であったが、長崎におい
ては、幕府が1855年nagasaki-zosen-denshu-x02
「長崎海軍伝習所」
を設け、オランダ人将校の指導のもとで艦船の操縦のほnagasaki-zosen-illust-x11か修理・建造の技術を修得させている。この伝習所には幕末・明治にかけて活躍する多くの人材が参加していた。その中には、勝海舟や五代友厚、佐野常民、田中久重などの顔がみられる。

関東周辺では、幕末の1854年伊豆沖で転覆したロシア艦船「ディアナ
Nagasaki Zosen- Kimisawa xxx.JPG号」の修理と「タダ号」建造を行った船大工が、江戸の石川島で同型の西洋式「君沢型」帆船を完成させている。彼らは、その後の日本における造船技術の普及に大きく貢献している。また、1866年には幕府が「横須賀製鉄所」を設立、フランス人技師の指導を受けて木造船から鉄鋼船へ技術の切り替え努力も行われた。このように、各地で西洋式艦船の建造が次々に進められ、全体では艦船の多くを輸入に頼ってはいたものの、1800年代後半の幕末・明治にかけて日本の造船技術の開発が急速に進んでいた。その中心軸の一つが横須賀と長崎であり、長崎造船所と関連施設は時代に先駆けた造船技術の集積地となっていった。

nagasaki-zosen-dock-1879長崎造船所では、1896年には第一ドック完成、1898年木型場建設、1903年には第二、第三船台完成、1907年、船型試験水槽竣工、1909年には大型クレーン設置、と近代造船所としての陣容を整えていっている。そして、1887年「夕霧丸」(最初の鉄製汽船)、1898年「常陸丸」(大型貨客船)、1908年「天洋丸」(本格的タービン船)、nagasaki-zosen-yugiri-18871915年には巡洋戦艦「霧島」の建造に成功している。このように、日本の造船技術は明治年間を通じて飛躍的向上し、僅か50年間で世界の造船大国の地位を獲得するまでになる。

nagasaki-zosen-tenyo-1908この長崎における造船技術並びに海運業を発展させた初期の立役者が三菱の創業者岩崎弥太郎、且つこれをサポートした商人グラバーであるといわれる。また、この時代の長崎造船所の関連施設は、日本の主力産業の一つとなる造船分野の発展に大きく貢献した施設として評価されている。

 ♣ 「木場型場」史料館の展示と感想

nagasaki-zosen-archive-x02上記の長崎造船所の歴史を伝える史料館が「旧・木場型場」である。機械工場であった建物を1985年改造し、博物館として外部の訪問者も見学できる施設にしている。館内には、造船所で使用された歴史的工作機械類や記念品、写真などが解説付きで展示されていて興味を引く。展示は、時代的な流れにしたがってnagasaki-zosen-memorial-x01官営期、三菱創業期、明治・大正期、昭和前期、戦後に分かれている。また、対象別に、岩崎家コーナー、記念物、戦艦武蔵コーナーなどを設けていて、写真や解説パネルで時代背景がわかる構成となっている。

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珍しい歴史的展示物としては、1834年に長崎鎔鉄所建設時の岸壁工事に使用された潜水用具「泳気鐘」, 日本最古の工作機械といわれる「竪削盤」(1857)、日本最初の国産陸用蒸気タービン(1908)、長崎造船所工場のnagasaki-zosen-oxygen-x01支柱に使用した「鋳鉄柱」などがある。

また、1920年代に使われた「白鷹丸」の主動力蒸気機関、「北斗丸」に使われた日本発nagasaki-zosen-steam-engine-1928の500馬力オープンサイクルガスタービン(1954)、東京電力(株)鶴見発電所1号タービン溶接ローター(1962)などの動力機関の展示もあり、初期から現代に至る三菱造船の技術開発の歴史がよく伝えられている。

長崎造船所の歴史を語る写真も豊富である。1870年頃の長崎製鉄所の写真、nagasaki-zosen-yugawo-18871885年頃の飽ノ浦造機工場立神第一ドックの模様、最初の鉄製汽船(1887)、1920年代からの「常陸丸」、船艦「日向」、戦艦「武蔵」など往時が偲ばれる写真類が多く展示されている。

 ♣ 訪問のあとで

 kunio-illust-x01 私は、この「史料館」を一時間ばかりかけて見学したが、今まで知らなかった日本の造船技術の推移と歴史をはじめて認識することが出来た。また、長崎造船所関連の非公開施設は見学できなかったが、資料や写真を通じてのバーチャルな「見学」を通じて幕末・明治の長崎の時代的背景、あるいは歴史的な長崎造船所の成り立ちが、いかに日本の産業近代化へ歩みに貢献してきたかを感じることが出来た。また、時間が出来たらゆっくり採訪したいものである。

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♥ コラム:佐賀の三重津遺跡

nagasaki-zosen-mietsu-x03 幕末の日本の製鉄、造船技術の開発で重要な役割を果たしたのはnagasaki-zosen-tanaka-x01nagasaki-zosen-sano-m-x02佐賀藩である。佐賀藩は早期に「反射炉」を作り上げているし、造船でも先駆的な動きを示している。幕府は1850年代に長崎に「海軍伝習所」を作るが、これに最も多く藩士が参加したのは幕府勢に次いで佐賀藩であった。また、この「伝習所」が閉鎖された後、佐賀藩は、藩独自の「伝習所」を藩内の「三重津」nagasaki-zosen-ryofu-maru-x01に作っている(三重津海軍所)。そして、1863年「蒸気缶<機関>」を完成、65年には実用蒸気nagasaki-zosen-mietsu-x04「凌風丸」を竣工させている。これには佐賀藩出身の佐野常民、田中久重(カラクリ儀右衛門、後に東芝の創始者)が創船に貢献している。この遺構は、2015年長崎造船関連施設と共に「世界産業遺産」に登録され、現在発掘調査が行われている。現在は佐野常民記念館および佐野記念公園として整備されつつあるという。

(了)

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参考とした資料:

  1. 三菱重工・長崎造船所「史料館」パンフレット
  2. 「明治日本の産業革命遺産―近代化は長崎からはじまったー」PRIDEパンフレット
  3. 「長崎の近代化遺産」パンフレット
  4. 「開国日本―造船の歴史―」(http://45ryouma.jugem.jp/?eid=48)
  5. 「長崎にある8つの構成遺産」(長崎市ホームページ)http://www.city.nagasaki.lg.jp/kanko/840000/843000/p027237.html
  6. ビジュアル版「日本の技術100年」(3) 造船・鉄道 (筑摩書房)