山口・萩の世界遺産・反射炉遺跡をみる

    ―幕末・長州藩が試みた西欧製鉄技術導入の跡ー

 ♣ 萩の世界産業遺産の意義

Hagi logo 2015年、日本の歴史的な産業遺跡の幾つかが「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコの「世界遺産」に登録された。このうち山口・萩市は、反射炉遺跡、造船所跡、松下村塾など6遺跡が指定された。萩市では、この登録を記念し「学び舎」という施設を設け、市内の遺跡の紹介と解説をしている。筆者は、この夏、九州・山口を訪問する機会があったので、このHagi- Illust 05 heritages「学び舎」を含め幕末の産業遺跡を訪ねてみた。萩(長州)は明治維新革命を主導した有力な政治家や工業の近代化を推進させた人物を多く輩出したことで知られている。今回のユネスコの位置づけでも、萩地域が明治産業
革命のルーツを形成した地域の一つとして注目している。訪問は短時間だったが幕末の時代背景と工業近代化の黎明期の雰囲気を感じることが出来たと思っている。
以下は、このときの訪問印象記録である。

(注:登録された世界遺産そのものはすでにHPで紹介しているので、参照していただきたい)

♣ 萩世界遺産ビジットセンター「学び舎」にみた産業遺跡の歴史

Hagi- Manabiya01  今回、指定された萩市内の施設は、萩反射炉、美須ケ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、萩城下町、松下村塾である。このうち、「学び舎」は、近代化と産業発展のきっかHagi- Manabiya 02けを作った黎明期「幕末」の時代背景を軸に展示と解説を行っていた。西日本の長州(山口)は、明治維新革命の主力となる人物を多く排出しているが、このうち多くが、松下村塾という私塾で学び、西欧の産業文明を自覚する中で、明治の産業化(殖産興業)を主導したとの位置づけである。例えば、後に首相となった伊Hagi- Hirofumi xx藤博文は九州・八幡での製鉄高炉の建設に貢献し、山尾庸三はHagi- Endo xx日本で初めての工学系大学(工部寮)を設立、遠藤謹助は大阪造幣局を創設、金子勝は日本の鉄道事業に参画し、Hagi- Yamao xx後に日本の「鉄道の父」といわれる存在になっている。学び舎でHagi-Inoue xxは、彼らがいかにして明治期の産業振興に貢献したか、学びの原点は何だったのか展示を通じて紹介している。 明治日本の産業革命遺産」をみていく上での時代的な意味を知るには必須の施設であることを感じた。また、これらが日本のモノづくり「―和魂洋才―」の原点であり、技術吸収と発展は試行錯誤の上生まれて来るもの納得させてくれた。

♣ 松下村塾と萩藩の開明教育の意味

Hagi- Juku 01吉田松陰という革命的人物は、これまで日本特有の精神論者・軍学者で哲学的な思考の持ち主だと思って
いたが、この学び舎での展示から、意外に実際主義者で世界をよく知っていた人Hagi- Juku 02物でもあることを改めて知った。世界の情勢を記した「坤輿図識」や自作「講孟余話」を通じての塾生への影響は大きなものがあったと思える。一方、幕末の毛利藩という土地が藩校「明倫館」を設立して、藩内の師弟を育てることにHagi- Five xx熱心であったことも背景にあると思えた。これらが、当時の海外渡航禁止を破って欧米留学を強行した長州出身の若者が、明治に活躍する明治維新の立役者「長州ファイブ」となったことにも記されている。Hagi- Juku 03明治産業革命の一環は、彼らの活躍によることも大きかったことでも、今回の世界産業遺産に萩の松下村塾や城下町が遺跡に加えられたことがよくわかる。以下は、江戸時代の萩市内の地図と遺構であり、当時の様子をよく伝えている。

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♣ 近代製鉄への挑戦―萩反射炉

Hagi- Furnace今回の遺産登録の象徴的存在となったのは「萩反射炉」遺跡である。反射炉は西洋で開発された初期の金属溶解炉装置といわれている。の反射炉では、燃焼室で発生した熱(熱線と燃焼ガス)を天井や壁で反射、側方の炉床に熱を集中させ、炉床で金属(鉄)の精錬を行うというものでえある。これは、従来の日本の「たたら製鉄」では出来なかった大型の鋳造装置を、オランダの書物のみ参照して自身で設計して作りHagi- Furnace x1上げようとした遺構である。海防に備える砲身を作るため、萩藩は他に先駆けてこの炉を作っている。幾つかの藩も製作をしたが、現存するものとしては、幕府の作った伊豆韮山の反射炉と萩のものだけという産業技術史上貴重なものとなっている。日本の西洋式製鉄技術の先駆けとして重要な位置づけがなされている。この反射炉建設の経験が、明治中期、北九州八幡地区に初めての製鉄所・高炉が作られる際にも生かされてくることになる。
この萩反射炉遺跡は萩市郊外の土地に所在している。重要な施設である割には商業施設セブンイレブンの駐車場脇の小高い丘の上にひっそりと歴史を語っていた。

♣ 初めての西欧型大型船を日本の技術で作る

Hagi- shipyard 01 江戸時代は幕府が大型船の建造を禁止していたので、欧米にあるような複数マストと動力で動かす造船技術は存在しなかった。西日本の大名たちは、頻繁に西欧の大型軍船が近隣に入ってくるのを恐れて、自身でも防衛のため西洋式軍船を建造しよう決意を固める。こういった中、萩の長州藩は1856年ロシア式の軍船「丙辰丸」。続いて、1860年オランダ技Hagi- shipyard 03術を移入して「庚申丸」を建造する。この造船を実際に行った場所が萩市内にある「惠美須ヶ鼻造船所跡」である。この軍船は、実際には、蒸気船ではなく木造帆船で、当時の技術的限界を示していた。しかし、図面だけを頼りに、造船の近代化に試行錯誤を重ねながら完成させたことは大きい。また、当時の船大工が、近くの“たたら製鉄”で作られた鉄材を造船に使用するなど、伝統技術の応用も図られていた。先進的な造船技術と伝統的な技能を融合するという、明治以降の近代造船業の進展を占う試みが、この地でなされたことになる。世界遺産として登録された意味はこのことにあると思われる。
これまで決して注目される遺跡ではなかったが、世界遺産にえらばれてからは訪れる人も増え、現地には案内書も出来てボランティアの人たちが活躍している。

♣ 世界遺産「萩」の意味

Hagi- Illust 03 萩の産業遺跡は、明治産業革命の先駆けとなり推進者となった幕末の人材と事跡、かれらの西欧の科学・技術に接し工業化に取り組んだ文化的素地、近代化への先技術的試行錯誤の過程をみる上で重要であると思われる。ユネスコの位置づけでも、産業遺産群は、「試行錯誤の挑戦」「西洋技術の直接導入」「産業完成期」の三つの時代区分を行っているが、萩の施設は、最初の「試行錯誤」の時期にあたり全体の基盤構成の基礎と位置づけられている。今回の訪問は、日本産業技術のルーツをみる上でも非常に意味のある経験であった。

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参考とした資料:

「明治日本の産業革命遺産と萩」2015 萩博物館刊行

「日本の近代化の原点・萩」萩・世界遺産ビジターセンター“学び舎”刊行

萩市ホームページ「学び舎」(http://www.city.hagi.lg.jp/site/manabiya/)