―⽯川島造船からのIHIへの展開と歴史を物語る記念館ー
♣ 石川島資料館を訪ねる
石川島資料館―石川島からIHIへー」は、IHI(旧石川島播磨重工業)が地
域の協力を得て設立した記念館で、その工場跡地であった石川島(現在の中央区佃)に建てられている。ここでは江戸時代からの石川島地域社会の成り立ちと来歴、石川島造船所時代からのIHI事業展開が幅広く紹介されている。私も、豊洲の「IHIものづくり館」を訪ねたついでに、この資料館を見学してきた。資料館は墨田川沿いの沢山の住宅や
ビルが建ち並ぶ「リバーシティー21」の一角事務所ビルの一角に設置されている。規模としては小さな施設だが展示内容は非常に充実していた。IHIの技術開発の歴史ばかりでなく、日本の重工業発展、地域社会の変化、特に、造船業発展の歴史がたどれる魅力的な資料館である。
○石川島資料館所在地:東京都中央区佃1-11-8 ピアウエストスクエア1階
HP: https://www.ihi.co.jp/shiryoukan/
♣ 資料館の展示ゾーン
資料館の館内は幾つかの展示ゾーンに分かれている。まず、日本造船業の嚆矢と
なった江戸・石川島の歴史を伝えるコーナー(「船をつくる」)、石川島造船佃工場とIHIの歩みをテーマとしたコーナー(「時代をつくる」)、そして、日本の重工業の発展を伝える「重工業はじめてものがたり」と並び、そして、石川島造船所工場の操業状況をつたえる「工場日記」ゾーンにつながっている。これら展示が、イラストを交えた解説パネル、船などの現物模型、工場施設のジオラマ展示、映像資料でわかりやすく紹介されていて印象的であった。
それぞれについて展示内容をみると次のようであった。
♣ 「船をつくる」ゾーン
この石川島の来歴を見ると、隅田川河口にあった「石川島」は、代々旗本石川家の屋敷地の
ある場所であったが、江戸時代、無宿者の作業場「人足寄場」とし使用するようになった。しかし、幕末になると、ペリーの来航に象徴されるように、江戸幕府が海防の必要から、1853年、ここに西洋式軍艦築造の造船所をつくったことがこの島の運命をきめた。そして、この石川島は、その後、明治になってIHIの創業者平野富二が、この造船所を譲り受け、民間の「石川平野造船所」を設立、造船を中心とする重工業を担う土地として発展することになる。
この資料館の展示では、この歴史経過をイラスト・パネルなどで丁寧に紹介している。また、江戸時代初期、この地を所有していた石川重次着用の鎧甲なども展示されていて、この土地の歴史の古さを感じさせる。また、平野造船所で建造した日本初の蒸気船の模型も展示されており、この石川島が、その後、造船工場地としての発展をとげ、日本の造船業の一つの拠点となっていったことを感じさせる。
♣ 「時代をつくる」ゾーン
このコーナーでは、IHIの企業としての技術発展の歴史を伝えている。IHIの明治期の石川島
造船の創業から、昭和の佃工場への拡張、そして、日本有数の重工業企業としての発展し、やがて豊洲へIHI本社機能を移すまでの長い企業の歴史を、年代推移のチャートを壁面いっぱいに表示して紹介するコーナーとなっていた。また、このコーナーには、同社の記念となる製品の模型や写真を展示してあり、重工業社IHIの技術開発の内容を現物モデルや写真なとを通じて詳しく紹介している。例えば、日本で最初のスクリュー式の蒸
気軍艦「鳥海」(1885)の模型、大型ハンマーヘッドクレーン(1916)の模型、近江鉄道で使われた電気機関車の模型、東京駅舎建設時の写真(1911)などがみられた。また、創業者平野富二の肖像画、初期の石川島造船の発展を支えた渋沢栄一、播磨重工との合併を主導し現在のIHIの発展を築いた土光敏夫の肖像画などもある。
♣ 「重工業はじめて物語り」ゾーン
ここには、前の年代記でも触れられたIHIの技術開発のハイライトを一覧表にした写真展示がされている。日本初の鉄橋「都橋」、交流式発電機、国産ジェットエンジン、タンカー「出光丸」などが写真でまとめて紹介してあった。日本のいずれも日本の重工業発展を象徴する展示と思われた。
♣ 「工場日記」
この展示場の中で、最も魅力にあふれ特徴的なのは、この「工場日記」コーナ
ーである。かってIHIの工場があった石川島、佃、月島での工場操業の模様や、そこで働いた人々の日常を大きなイラスト画面で展示しているほか、工場配置のジオラマ模型で従業員の一日を生き生きと表現している。また、随所に音声ビデオが
配置されていて、日本の高度成長時代、佃島や月島などの工場地帯で働く人と地域の交流が詳しく紹介されている。
♣ 見学のおわりに
IHIの「ものづくり館 i-Muse」を訪ねた折、勧められてこの「石川島資料館」を
訪ねてみたのだが、i-Muse以上に魅力ある資料館であった。展示コンセプトが明確で、企業の発展を初期操業の地であった石川島・佃地域の歴史や文化とともに紹介している姿が印象的である。 IHIが石川島播磨重工といっていた時代、この石川島・佃に、主な生産拠
点が置かれたていたが、1979年佃工場が閉鎖され、この土地は、東京の隅田川「ウオーターフロント計画」に組み込まれた。そして住宅や事務所ビルの建ち並ぶ「リバー・シティ21」と変貌していった。日本の高度成長・工業発展優先の時代
から環境・エネルギーを重視する生産方式への転換、首都圏集中から郊外への広域生産拠点の移転など、新たな時代へ変貌する日本経済の一つの姿をあらわしているようにも見えた。日本の産業発展と地域との関わりを見る上でも貴重な資料館であると思えた。
(了)
Reference:
- 「石川島資料館—石川島からIHIへ–」パンフレット
- 石川島資料館ホームページ: https://www.ihi.co.jp/shiryoukan/
- IHIの沿革・歩みHP: http://www.ihi.co.jp/ihi/company/history/
- 石川島資料館 中央区まちかど展示館https://www.youtube.com/watch?v=NV9uhZfHRW0