―ー九州筑豊の炭鉱の成り立ちと盛衰を実感させる博物館ー
¶ 史跡九州三池炭鉱跡を巡る (1) 三池炭鉱施設訪問
♣ 「石炭産業科学館」を訪ねる
三井三池炭鉱は明治初期から中期にかけて、近代的な炭鉱運営を行うことで明治期の産業革命推進の一角を担った。昭和期になっても戦後復興のシンボルとなり石炭産業と石炭化
学の興隆が大牟田を含む北九州の周辺地域経済を潤した。しかし、産業構造の急激な変化のなかで埋没、かって栄えた三池炭鉱は1990年代には閉山することとなる。これと前後して三池炭鉱と盛衰を共にしてきた大牟田市は新たな道を模索せねばならなくなる。こういったなかで、三池炭鉱開発の歴史、石炭産業の意義・技術の推移
などを次世代に伝えようと大牟田市は石炭産業に関する総合的な博物館を設立させた。この施設が「大牟田市立産業科学博物館」である。幾つかの三池炭鉱跡を見学した後、私も、この博物館を訪ねてみた。その展示内容と感想は以下のようなものだった。
この「石炭産業科学館」では、産業近代化の原動力の一つとなった三池炭鉱に関する資料の展示のほか、地下の採炭現場を再現したダイナミックトンネル(模擬坑道)、エネルギーを学ぶ体験コーナーなどを持つ総合的な石炭産業科学の博物館施設となってる。 世界文化遺産インフォメーションコーナー、企画展示室・図書コーナー(1F)、オリエンテーション室や展望室もある。 2015年7月、三池炭鉱が世界文化遺産となったころから「明治日本の産業革命遺産」の三池炭鉱ガイダンス施設としても役立っているという。
○ 大牟田市石炭産業科学館〒836-0037 福岡県大牟田市岬町6-23
HP: http://www.sekitan-omuta.jp/topic/index.html
♣ エネルギーと石炭の展示コーナー
このコーナーでは、石炭がどのように人間生活に活用されてきたかの歴史を中心に、三池炭鉱地層やの開発の歴史や坑内での労働形態などが展示されている。ここでは、三池炭鉱の石炭層の形態、石炭塊などが実物に近い形で観察できる。また、初期の石炭採掘の様子を再現したパネルや写真、立体モデルなども興味を引く展示である。石炭がエネルギー源として、明治以降どのように活用されてきたかを示す蒸気機関車、ガス灯、様々な石炭ストーブなどの実物も見られる。石炭から作られる化学品の種類や生成過程、また、環境
問題への解説もあって、現代における石炭利用の形も紹介されている。
現代に至る工業素材、エネルギー源としての石炭の位置づけが示される「科学館」であると感じた。
♣ 炭鉱技術の歴史の展示コーナー
ここでは、近代以降の石炭採掘技術の推移が詳しく紹介されている。明治の初期までの採掘は殆ど人間労力による非常に厳しい労働であった。時には、劣悪な労働条件の下で囚人労
働による採掘も多く見られた。しかし、時代が進むにつれ炭鉱技術も近代化され、徐々に蒸気や電気を使った機械化による作業形態がとられるようになる。このコーナーでは、この歴史過程が模型や解説で詳しく語られている。また、三池炭鉱は竪坑内の排水や石炭の搬出が大きな課題であったが、この対
策や技術進化の様子も映像と模型で展示されている。炭鉱に携わる労働者の装備や現在に至る安全装置の展示も坑内での様子
を彷彿とさせる内容で、石炭がどのような形で生み出されてきたかを知ることができる。
¶大牟田の近代化産業遺産ホームページ https://www.miikecoalmines.jp/outline.html
♣ 炭都大牟田と炭鉱の展示コーナー
炭鉱の町として栄えた大牟田の歴史と三池炭鉱の関係についてふれた展示のコーナーである。ここでは、三池炭鉱の振興の草分けとなった団琢磨の事跡
と技術開発の背景、大牟田が石炭産出と輸送・積み出し拠点の基となった三池炭鉱鉄道、三池港の構築、大牟田が石炭コンビナートなどの工業拠点としてしての発展した姿などが写真や資料で紹介されている。これを見ることで石炭産業と共に生きた大牟田の姿が浮かび上がってくる。石炭産業が衰退したなかで、今後、大牟田が、どのように地域振興
を図っていくのか興味ある課題である。日本の各地で起こっていく工業の盛衰、産業構造の転換が激しいなかで、どのように地域の振興を図っていくのか、考えさせられる展示であった。
♣ 生きた採掘現場を体験できる「ダイナミックトンネル」
いずれの展示も魅力にあふれているが、なんといっても生きた石炭採掘現場を疑似訪問体験で得きる「ダイナミックトンネル」は圧巻であった。これは、炭鉱の再現「模擬」現場であるが、最近まで三池炭鉱で行われていた採掘現場を訪問体験出来るコーナーである。
訪問者は、入り口に入るとドアが閉まって擬似的な下降エレベーターに導かれる。ドアが再び開くとそこは既に坑内400メートルの深い坑道である。辺りを見回すと暗い中に石炭層が浮かび上がり、抗夫の採炭現場、坑内の石炭運搬鉄道車両が見られる。 まさに坑内採炭現場である。その先にはコンティニア・マイナーという掘進機械があり、また、ホーベルという採炭機械が据え付けられている。抗夫の作業姿をした人形の作業姿もそこでは観察できる。また、準備坑道を掘削するロードヘッダー、近代的な自走枠とドラムカッターがあって、高速で回転しながら石炭採掘を行
っている様子が再現されている。今まで、石炭の近代的な採掘についての知識がなかったため、改めてそのダイナミックな採炭現場に驚嘆した。炭鉱産業開発の初期の頃、囚人労働や過酷な労働条件の下での人力に頼っていた時代から、展示に見られる近代的な石炭採掘現場の状況をみるについて隔世の感を感じた次第である。これら先端的な採炭技術は、今ではベトナムや他の国々に活用されているという話である。こういった自動化にもかかわらず国際競争と石油へのエネルギー源転換により、日本の炭鉱が敗退し他国に技術が移転していく姿をみて、時代の流れを感じると共に、地元経済の衰退の姿が皮肉にも思えた・
♣ 訪問の感想
この遺構群を廻って感じたことは、第一に石炭産業の盛衰の激しさと三池炭鉱の果たした産業史における意義であった。明治の産業近代化において鉄鋼や造船と共に、石炭
は産業技術的にも企業発展においても最も重要な役割をはたした。三池港や宮原、三川坑開発、石炭輸送の鉄道敷設に見られるような近代技術の導入過程、工業燃料への活用、石炭輸出による外貨収入など、筑後の石炭産業は日本の産業発展の柱であったと思われる。また、三池炭鉱は三井財閥形成の一つの支柱にもなっている。この石油産業が、昭和、平成と続く中で次第に産業の主役から退き敗退していく姿は、この三池炭鉱の遺構の中に具現化
されているようでもあった。
こういった中で、第二に感じたのは、三池炭鉱の遺跡が「世界遺産」に登録された現在、多くのボランティアが地域の財産を大切にしようと施設「案内」に参加している姿だった。遺跡現場にテント小屋をつくり熱心に来訪者を案内している。私の訪問した宮原坑では、元抗夫の方がボランティアに参加しており、抗夫時代の話も混ぜながら興味深く説明してくれた。現在。大牟田市はこういった施設を大事にしながら、近隣の化学工場誘致、
観光や公共施設作りに取り組んでいる。「石炭産業科学館」もその路線であろうし、最近、新開地に誘致した帝京大学の福岡キャンパスもその一つであると考えられる。石油産業の盛衰とともしにした大牟田地域経済の将来を考え、地域住民の活躍を期待しつつ訪問を終えた。
(了)
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Reference
- 「三池炭鉱の歴史と技術」(大牟田市石炭産業科学館ガイドブック)2014
- 「世界文化遺産―三池炭鉱」ワークプレス刊 2016
- 大牟田の近代化産業遺産ホームページ https://www.miikecoalmines.jp/outline.html
- 宮原坑跡 大牟田の近代化産業遺産ホームページ https://www.miikecoalmines.jp/miyanohara.html
- 宮原抗跡 http://omuta-arao.net/history/tanko/miyahara.html
- 旧三池炭鉱専用鉄道敷 https://www.miikecoalmines.jp/rale.html
- 三池港 https://www.miike-coalmines.jp/port.html
- 大牟田のさまざまな近代化遺産 https://www.miikecoalmines.jp/others.html
- 三池炭鉱 万田坑 | 九州の世界遺産 http://www.welcomekyushu.jp/world_heritage/spots/detail/9
- 三井三池炭鉱-Wikipedia