下田の黒船博物館と開国博物館を訪ねる

―近代化への道を開いた黒船来航と下田開港―(韮山反射炉を訪ねる旅 Part 3)

下田の町を訪れる

Himoda-Perryx01 先日、韮山の反射炉跡を訪ねた後、下田港にも寄ってみた。下田は、日米和親条Shimoda- Kurofune Mx03約締結が結ばれたた後、函館と共にはじめて港を開き、西洋人が居住するようになった最初の港町である。その後、「下田条約」によって長崎、横浜、神戸などが開港されるが、その先駆けとなって西欧社会文化のShimoda- Kurofune Mx01インパクトが日本に及んだ最初の地である。このことから、下田には、これを示す数々の史跡が残っている。市内には条約交渉が行われた了仙寺に「黒船博物館」、近くに「開国博物館」がある。また、当時、日米交渉に当たったハリス邸宅のあった玉泉寺があり、私もShimoda- Kaikoku x04立ち寄ってきた。これら博物館には、興味深い江戸幕府末期の外交Shimoda- harris x05記録や英米人の見た日本の姿、生活記録などが展示されており、日本が明治に向かって社会変化する日本の様子が映し出されていて、貴重な体験が出来る。 これは、このときの博物館や史跡の見聞録で、韮山反射炉建設の時代背景を知る上でも貴庁であった。

♣ 了仙寺「黒船ミュージアム」

―鎖国から開港への社会変化をみるー

このミュージアムは、1854年、ペリー提督と幕府の間で「日米和親条約」が結ばれたのを受Shimoda- Perry xx1Shimoda- Ryosenjix04け、具体的な開港に関する外交交渉が行われた舞台「了仙寺」の境内に設けられている。現在、寺の境内と本殿は国の重要史跡に指定され旅行者も多い。また、本殿の天井には日米交渉の場を示す大きな記録写真画が掲げられている。Shimoda- Ryosenjix02Shimoda- Ryosenjix01

ミュージアムには、ペリーの肖像画、蒸気船黒船の写真や記念物、また、当時の日本社会の描写、外国人の生活状況を示す錦絵などが豊富に展示されている。
特に、日本人の描いたペリー提督Shimoda- illust x01Shimoda- Kurofune Mx02「顔」の描写が、当時の欧米人に対する庶民の印象を示していて面白い。このほか、当時の武具や鉄砲のコレクション、日用生活道具、楽器など珍しいものが並んでいる。なかでも日米交渉を
示した細密画、当時の世界地図、外国人の見た日本人の姿などがあって興味が尽きない。また、当時の時代背景を易しく解説する「黒船シアター」も設けられていて近代史を知る上で貴重な博物館であると感じた。

♣ 下田開国博物館

―下田の歴史と開国に至る歴史を語る民営博物館―

Shimoda- Kaikoku x01この博物館は、下田の幕末にまつわる歴史と外国と当時の地域社会Shimoda- Kaikoku x02との交わりを示す貴重な歴史博物館である。また、市内の篤志家が民営の形で運営している珍しい博物館でもあるという。館内は、下田自体の江戸時代以来の歴史の展示のほか、下田へのペリーの来訪と黒船艦隊に関する資料や記念品の数々、米総領事ハリス、「唐人お吉」にまつわる逸話、通訳ヒュースケンの活動、Shimoda- Kaikoku x03鎖国の禁を破り下田で密航を企て獄死した吉田松陰の逸話と記録のほか、日本で最初に写真術を開拓した下岡蓮杖の事跡など興味深い主題が、物語風に展開されている。なかでも、余り知られてShimoda- Petjatin x06
いないロシア・プチャーチンの下田Shimoda- Petjatin x04「黒船」来訪とその後の対露交流の姿などは、目を引く展示であり歴史的にも貴重なものである。

幕末に際して、欧米の力を誇示する艦船がつぎつぎにShimoda- Kurofune Mx04日本に近づき、鎖国を固持する江戸幕府の戸惑い、開港後の地域社会への衝撃、下田での隠れた外交の裏話などが、コレクションの中に体現されている。日本で最初に開港した下田ならではの歴史博物館と感じられる。 資料は数千点にも及ぶと記されているが、そのうち約1000点が常設されているほか、テーマを絞った企画展も模様されているようである。

 

♣ 「玉泉寺」の「ハリス記念館」

―幕末の米日外交で活躍したハリスの功績を展示する記念館―

Shimoda- harris x06 日米和親条約が結ばれた後、条約の内容交渉に当たったハリス米総領事が三年間Shimoda- harris x02滞在した場所が市内一角にある「玉泉寺」である。1927年に「ハリス記念碑」が建てられ、その後「記念館」が作られた。米国大統領カーターも1979年に記念館を訪れている。 館内はそれほど広くはないが、ハリスゆかりの写真、地図、ドキュメントなどが収められていて、当時の日米外交関係Shimoda- harris x04の様子を垣間みることができる。日本の幕末明治にかけての知る上で貴重な記念館といえよう。
玉泉寺構内にはペリー艦隊兵士の墓があり、また、「肉牛の供養Shimoda- harris x01碑」のほか「牛乳の碑」が建てられている。そこには玉泉寺ではじめて牛乳が商品として取引されたとあった。下田が森永乳業の創業の地であるともShimoda- harris x07記されており、明治初期の急速な急激な西洋文化の吸収と食生活変化を感じさせる碑でもあった。

 

♣ 下田港への来港を記念する「ペリー提督の碑」

Shimoda- perry x01 下田港の西岸に小さな公園があり、港全体を見晴せる位置に「ベリーのSimoda- perry x02碑」が建てられていた。市内から目抜き通りを抜けて20分くらいの距離にある。ここには日本の歴史を変えたペリーとの碑文があった。この場所にペリーの艦隊部隊が錨を下ろした後、川沿いの道をさかのぼり了仙寺に向かって行進し日米交渉の火ぶたをきったことになる。現在、この道は“歴史通り“として保護Shimoda- Social x03され、当時を偲ばせる場所となっている。このようにして下田は日本最初の開港場として西洋人と日本人の本格的な接触があり、幕末期の文化や史跡も数多く残された場所となっている。このことを感じさせる史跡が随所にあり、観光都市としての魅力を発信している。

 

♣ 韮山反射炉跡を訪ねる伊豆歴史見学旅行を終えて

世界遺産に指定された韮山反射炉の歴史的背景を知ろうと、反射炉見学の跡、これを推進しNRF- Illust x04Egawa- Odaiba x01た韮山代官英龍の「江川邸」を訪ね、また、反射炉建設を促すことになったペリー艦隊の来航に関連して下田を訪問してみた。鎖国下の幕末の欧米からの脅威から起因して西洋の近代技術を吸収して対抗しようとした日本の姿、開国を巡っての政治外交と社会変化、こういったなかShimoda- perry xx02で明治以降の社会の近代化への動きが加速していったことが、今回の見学旅行を通じて実感できた。製鉄にしても韮山のような試みが各地の技術者で担わShimoda- Social x02れ、また、造船にしても難破したロシア船の修復を主導した船大工がその後、大型西洋船の建造に貢献するなど、社会と技術の近代化のルーツの一つがここにあることを思って旅行を終えた。

(了)


Reference:

  • 「黒船ミュージアム」案内パンフレット
  • 同ホームページ http://www.mobskurofune.com/
  • 「幕末異文化交流下田絵巻―黒船―」(黒船ミュージアム)
  • 「開国殿 了仙寺」 案内パンフレット
  • 「下田開国博物館」パンフレット
  • 同ホームページ http://www.shimoda-museum.jp/
  • 「玉泉寺」パンフレット
  • 同ホームページ http://gyokusenji.web.fc2.com/
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